最終章 アリスと世界の終わり(4)
実は。という話でもないんだけれども、僕はスター・ウォーズを『エピソード1 ファントム・メナス』しか観たことがない。
だから『トイ・ストーリー2』のザークが父親であることを知らされたバズ・ライトイヤーがショックを受けるシーンはずっとオリジナルのものだと思っていたし、ダースベイダーというキャラクターは、ファントム・メナスに出てきたいがぐり頭の彼だと思っていた。いがぐり頭はダース・モールである。
一番好きなキャラはジャー・ジャー・ビンクス。映画史上もっとも不愉快なキャラ一位を獲得するほど不人気らしいということをのちに知って、かなり落ち込んだ。
つまりなにが言いたいのかといえば、僕は「映画史」というものをたらふく摂取して、映画を撮り始めたわけではない。ということだ。
映画そのものに憧れたのではなく。
ジョージ・A・ロメロ監督の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を観て、映画を撮ろうと思った。
それはどうして? 答えが出ないまま、次の日になった。
僕は『オアシス』の中をぶらぶらと歩き回っている。窓の外はまだ雪模様で、外を監視している兵隊らしき人が、寒そうに体を震わせている。防護服を着ていても、寒いものは寒いらしい。
いつもならば隣にいるアリスの姿は、今日はない。
朝食を食べるよりも先に、アナによって回収されてしまったからだ。
「あなたが朝食よりも先に検査を受ける運命にあることを、この私はすでに知っていました!」
「それは運命では無く、もはやただの予定では?」
用意された朝食(栄養さえ取れれば充分だろう。という味気ない見た目の固形食料だった)を一口とて食べる隙もなく、アリスはアナに担がれて、どっかに連れて行かれてしまった。
「ちょ、ちょっと待ってください! ご飯が! 私のご飯が!」
「お前の分は僕がしっかり食べておくから安心しろー」
「私のー!」
というわけで。久々の一人っきりである。
隣にアリスがいることが当たり前になって久しく、一人でなにをしたらいいのかも、一人だと話すこともないので、無性に静かで、なんとなく、僕は騒がしそうな場所に向かっていた。
『オアシス』の研究スペースである。
僕の腰ぐらいの大きさの発電機が幾つか置かれていて、その間をすり抜けるように、防護服を着込んだ『オアシス』の住人たちが、あちらへこちらへと忙しく歩き回っていた。
耳を澄ませば指示の声とゾンビの呻き声と防護服が擦れる音、発電機のエンジン音が聞こえてくる。
「厄災研究組織なんだから、研究スペースの撮影もしておかないとな」
カメラ越しに、一番近くの部屋を覗く。
そこではゾンビが磨り潰されていた。
腹部が切り開かれ、内臓が取り除かれたゾンビが、肉を剥ぎ取られ、骨をくり抜かれ、眼球が抉り抜かれ、血を抜かれ、体にはもう、皮膚しか残っていない状態になっていた。生首にぺらっぺらの体がひっついているみたいで、凧にして飛ばせそうだ。なんて考えていたら首をちょん切られて、別々にされた。まだ頭部を破壊していないからか、トレーの上に乗っている眼球はころころと動いていて、僕を見つけると、じっと見つめてきた。
バラバラにされたゾンビの体は、部位ごとにパッケージされ、別の部屋に運ばれていく。
「なにをしているんですか?」
『二の腕 検体番号:W-7493-223』とカルテに記入していた防護服の男に、声をかける。振り返った彼は、僕のことを訝しむ目で睨んできた。
「『世界を救うなにか』の付き添いです」
「ああ」
名乗ると、男は得心いったように頷く。
「サンプルを分けているんだよ。ここには色んな地域から運ばれてきた人種・性別・年齢・環境・死亡条件・経過年数の異なる様々な『死体』が集まっているからな。どれがどの『死体』なのか明記しておく必要がある」
「色んな地域って、例えば『死体』火力発電所のところとか?」
「なんだ、『クカリヨ』を知っているのか」
「そんな名前だったんだ、あそこ」
「クカリヨは良いサンプル回収場所だったな。住人自身が、積極的に『死体』を集めている物珍しいコミュニティだったから」
「だった?」
「なんだ、それは知らないのか」
男はきょとんとした表情を浮かべる。
「あそこは先日、崩壊したよ」
「…………」
「まあ、『死体』を集めることを優先して街の中に『死体』を入れることを良しとしていたコミュニティだったわけだし、遅かれ早かれ、崩壊するだろうとは言われていたが、最後はあっけないもんだったな」
そりゃあ、そうか。
僕がカメラを向けていない世界は時間が止まっているわけではない。昨日無事だった場所が、今日は崩壊していることなんてざらにある。
この世界は、リアルタイムに、終わりに向かっている。
「うちのメンバーは『死体』を回収して帰ってきていたおかげで、全員無事だった。そういう運命だったらしい」
運命。
アナが何度も口にしていたセリフ。
クカリヨが崩壊することは、この私はすでに知っていました。
なんて言っていそうだ。
言ったもん勝ちというか、堂々とした後出しジャンケンめいている。
運命。
神の
なるようになる。
なるようにしかならない。
アナはそれを信じているようだったが、『オアシス』の住人たちは、信じているのだろうか。せっかくなので、尋ねてまわることにした。
映画の途中で街頭インタビュー。『帰ってきたヒトラー』めいているぜ。
「運命。うーんーめーい。と言えば、ここのリーダーが神さまの声が聞こえるとか、運命がどうとか言っていたけれども、実際のところ、彼女の『神さまの声が聞こえる』というのは、信じているの?」
答えはこんな感じ。
「信じている」「正答率が高いことは確か」「累積された経験や知識から求められた解答を運命と言っていると思っている」「普段考えるわけではない別ベクトルの解答は、良いカンフル剤になる」「私はそれで助けられた」「彼女は本当に素晴らしい人だ」「当然だろう。私たちは運命の道を歩いている。世界を救う運命の道を」「『神の声が聞こえる』と言っているシスターと一緒に旅をしていたお前がそれを尋ねるのか?」
最後の答えに対しては、そりゃそうだとしか言いようがないがともかく、全体的に肯定的に受け取られているようだった。まあ、妄言だと思われてたらコミュニティのリーダーなんてやっていられないよな。
「この私は、あなたとここでぶつかることを知っていました」
「じゃあ避けろよ」
「避けることは運命ではありません。ぶつかることが運命だったのです。ぶつかることで、この私とあなたは話しているわけですし」
「
街頭インタビューを続けていると、曲がり角でアナとぶつかった。
アリスの身体調査は一旦終了したらしい。
「調査といっても、今はサンプルを回収した程度ですが。彼女、確かに『死体』になりませんでしたね。一回、目の前で噛まれてもらったのですが、衰弱する様子は一切ありませんでした。むしろ、朝食を抜いたことで気の滅入りの方が激しかったぐらいですよ」
『死体』<食欲。
というか、噛ませたのか。ゾンビに。確かに一番手っ取り早いかもしれないけども。
「彼女は僕の映画の
「丁重ですよ。丁重ですとも。彼女はこの私が求めていた存在。死んでしまうようなマネはしませんとも。もったいない」
それにしても。とアナは続ける。
「彼女は『死体』にならない運命であることは分かったのですが、どうして『死体』にならないのでしょうか」
「神さまがそう設計したからじゃあないのか?」
「その通り」アナは頷く。「この私が知りたいのは『神様がどう設計したか』。詳細なプログラムを理解することができれば、世界を救うことができるでしょう」
「神さまの声が聞こえるのなら、尋ねてみればいいのに」
「聞けるだけですので。尋ねることはできないのです」
「ふうん」
アリスもそういえば、神さまの声を聞いてはいるけれども、神さまに返事をもらっているところは見たことがないな。
神さまからの啓示というのは、一方通行なのだろうか。
「とにかく、明日からも彼女の研究は続ける運命であることを、この私は知っています。今日は部屋に帰ってもらいましたので、療養を取るように伝えてください」
「了解」
僕はアナと別れる。その前に、ひとつ尋ねた。
僕がアリスにされた質問と、同じ類の質問。
「どうして、世界を救うための研究なんてしているんだ?」
「そういう運命だからです」
「それだけ?」
「もちろん、誰かを救いたいからというのもありますよ。誰かを救うために、この私は研究をしています」
「この私が?」
「この私が、です」
アナは笑った。自己顕示欲の強い笑みであった。
僕は笑えない。
映画を撮って、誰かに観てもらい、高評価を得ようとしている僕だって、充分に自己顕示欲が強い人間なのだから。
***
部屋に帰ると、アリスがわなわなと震えていた。
「私の朝食がありません!」
「ごちそうさまでした」
「冗談だと思ってましたのに!」
その日は夜まで口を聞いてくれなかった。次の日、朝食を半分あげたら許してくれた。
怒り<食欲。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます