第十話  サンアンクマユの情勢

「どうやら、完全にスファン様の興味が無くなったようだ」


 イェバスが納得いかないまでも安堵したような顔でリオとシラハを見て、ため息をつく。

 シラハと共に町へ出かけて早三日。スファンは路地で飛び去って以降シラハの前に姿を現さなくなっていた。

 イェバスや道場の師範からミロト流の身体強化について学んでいたためリオとしては充実した時間だったが、スファンが町の外に出る可能性が大きく減った今、リオとシラハを足止めする物はない。

 鳥かごの建設を準備していた議会もスファンがシラハへの興味を取り戻す前にリオ達に町を出て行ってほしいと内密に話をしに来ていた。


「町の事情に振り回して申し訳ないんだが……」

「いえいえ、こちらとしても早めにサンアンクマユに行きたいので気にしないでください」


 また足止めされては困ると、リオもシラハも荷造りは済ませてある。

 心配性な町の人々が気を揉まないよう、夜にこっそり町を抜ける算段をつけて夕暮れに沈む町を見る。議会の最上階から見下ろす景色は壮観で、この時ばかりはスファンに感謝してもよいと思った。


「ミロト流のことを色々教えてくれてありがとうございました」


 頭を下げると、イェバスは照れたように笑う。


「呑み込みが早くて教え甲斐があったよ。まぁ、身体強化の限界が低すぎてモノにならなかったが」


 元々、ミロト流は少ない魔力をやりくりするため身体強化の重点強化を行う。しかし、リオの場合は身体強化の限界が低く、相対的に魔力は多いため重点強化をするまでもなくすべての要素を限界まで強化できる。

 ミロト流の五点強化法を実践するまでもないのだが、それでも考え方を知り、それぞれの強化割合に応じた剣の振り方など注目すべき教えが多々あった。


「充実した日々でしたよ。柔軟性や瞬発力の違いで最適な剣の振り方が変わるのは理解してましたけど、具体的に理論立てて学べたのが凄く嬉しかったですし、参考になりました」

「こちらとしても、無駄を省いた足捌きや躱すことに重点を置いたトリッキーな動きは面白かった。これだから他流派との交流は欠かせないな」

「俺のは我流ですけどね」

「あれだけ理念から何まで完成しているんだ。名前がないだけで流派としては成立するさ」


 笑いながらイェバスがリオの肩を叩くと、シラハがイェバスの手を払った。

 呆気にとられたイェバスがとりなしを求めてリオを見る。


「シラハ、今のは失礼だから謝りなさい」

「……ごめんなさい」

「俺からもごめんなさい」

「あぁ、いや」


 微妙な空気になりかけて、イェバスが話題を変える。


「本当にサンアンクマユに行くのか?」

「そのつもりです。用事もあるので」

「そうか……」


 イェバスは難しい顔をして、リオとシラハの顔を見る。


「実際に見てきたわけではないが、情報が入ってきている。今のサンアンクマユはいつも以上に危険だぞ?」


 危険、と聞いてシラハが眉を顰める。

 暗くなり始めた窓の外を見て、リオは荷物を持って立ち上がった。シラハに止められる前に動き出し、なし崩しにサンアンクマユに向かうのだ。

 リオを心配そうに見ながらも、イェバスは止めても無駄と考えたのか、リオの後に続いた。

 シラハが荷物を持ったのを見届けて、リオは一足先に部屋を出る。

 階段を降りながら、イェバスが続けた。


「リオが最初に道場に来た日、師範が急な会議で出かけていたのを覚えているか?」

「サンアンクマユで何かがあったって話でしたね」


 サンアンクマユはもともと危険な街だと聞いている。この町に近く、交易も行われているが実質的には無法者の町だとの噂だ。

 治安の悪さが常態化しているサンアンクマユで多少の事件が起きても、この町の人間が対策会議などを行うとは思えない。つまり、なんらかの大規模な事件が起きたことになる。

 イェバスは頷いて、端的に状況を教えてくれた。


「サンアンクマユはもともと裏組織が多数根を張っている町だ。抗争が絶えず、毎月のように死者もでる。冒険者ギルドでさえ、数ある武装組織の一つ程度の位置づけで衛兵隊との連携でどうにか周辺の治安を維持している有様だ」

「そんなに危ないんですね」

「あぁ。だが、そんな裏組織の中でもホーンドラファミリアだけは例外だった」


 ホーンドラファミリア、ラスモア・ロシズがちらりと話していた裏組織の一つだ。

 議会の裏口を出て、リオ達は大通りを避けつつ歩く。


「ホーンドラファミリアは邪神カジハに滅ぼされた小国シュベート国からの難民が結成した組織だ。非合法なこともするが、難民がすべて所属しているだけあって規模が大きく、慈善事業に近いこともしている。いろいろなところに顔が利くからどんな裏組織も手は出さなかった」

「その口ぶりだと、手を出す組織が現れてサンアンクマユで抗争中ってことですか?」


 話が見えてきて先回りすると、イェバスは深刻な表情で頷いた。


「ホーンドラファミリアは邪器や神器を多数有する組織だ。難民が母体だけあって抗争になれば家族を守るために徹底抗戦を行う。結果的に、巻き込まれた冒険者ギルドの支部長が死亡したとの情報が入った」

「……マジですか」


 サンアンクマユは治安が悪いだけでなく、周囲では未知の動物が多数発見され、邪獣がひしめき、国をも滅ぼした邪神カジハまでも巣食う危険地帯だ。

 そのサンアンクマユにおかれるギルドの支部長が弱いはずはない。有事には陣頭指揮を執ることも可能な実力者が置かれるはずだ。

 そんな支部長が余波で命を落とすような抗争など想像もつかない。


「気を引き締めた方がよさそうですね」

「行かないって選択肢はないのか」

「こちらにも事情があるので」


 譲る気はないと態度で示し、リオは町から街道への境に立つ。タイル敷きだった舗装路が踏み固められた剥き出しの地面となったそこから先はもう、スファンの町ではなくサンアンクマユへ続く道の上だ。

 リオはイェバスに片手を上げて、もう片方の手でシラハの手を取る。


「お世話になりました。鳥かごができた頃にまた来ます」

「建設中止だよ! でも、また来い!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る