第48話 レイジの選択

 レイジは光が指定した、現実の十六夜市にある十階建ての廃ビルに来ていた。この建物は老朽化もあり、新しく立て直す予定らしい。なので現在は封鎖されており、解体の方を待っているとのこと。そして今は廃ビルに忍び込み、階段を上って屋上の方へと向かっているところである。

 どうやらアリスたちはアイギスの事務所近くに滞在しているらしい。そのため指定された場所もおのずとすぐそこで、このビルには簡単に来れたのであった。あとは今登っている階段を上がりきり、屋上へと続く扉を開けるだけ。そこにアリスが待っているはず。

 そんな中、レイジは一年前のウォードとの会話を思い出していた。




 ここは狩猟兵団レイヴンの事務所のオフィスにある、社長用の個室。室内はガサツなウォードの性格から散らかっており、酒の入ったボトルがあちこちに置かれている。そこでレイジはアリスの父親であり、レイジを引き取ってくれた狩猟兵団レイヴンのボス、ウォード・レイゼンベルトと二人だけで話をしていた。

「で、どうしたんだよ、ボス。オレになにか言うことがあるのか?」

 レイジは社長の席にどっしりと座っているウォードの前に立ちながら、呼び出された要件をたずねる。

「ハハハ、一応俺はレイジの後見人こうけんにんを頼まれてる立場だ。つまりは父と子。お互い腹を割って話すのは普通のことだろ? だからたまには付き合え」

 ウォードは腕を組みながら、豪快に笑ってくる。

 彼は昔、レイジの父と一緒に戦ってきた戦友だったらしい。なんでも父の仕事には戦力が必要だったらしく、昔からクリフォトエリア専門の傭兵業をしていたウォードを雇って共に戦っていたとのこと。それ以上はくわしく教えてくれないのでよくわからないが、今のレイジとアリスのような戦友の関係なのかもしれない。

「――そう言われたらことわれないな。ボスには返しきれないほどの恩があるんだからさ」

 どうやら今の彼の雰囲気から仕事関係の話ではないようだ。その証拠にウォードの表情は、娘のアリスを心配する時のような感じだった。

「レイジ、お前はこの今の世界が好きか?」

「――なんだよ急に……」

 突然のスケールのでかい話に困惑するしかない。

「俺は大好きだぞ。八年前までのセフィロトの規律なんてもはやなんの意味もない。世界そのものが戦いを許容している今、誰もが己が欲望のまま奪い、願いを実現できる最高に楽しい世の中だ。その勢いは今まで秩序ちつじょという名の牢獄ろうごくに抑え込まれていたがため、最高潮に膨れ上がってやがる。だから俺たちみたいな闘争に飢えた無法者たちが、ひたすら戦場を駆け抜けられるまさに夢のような世界だ!」

 ウォードは天を遠い目で見上げながら、愉快げにかたる。

「――オレは……」

 対してレイジは、そんな彼の意味ありげな質問に答えることができずにいた。

 ウォードが言うような世界を望む気持ちも確かにある。レイジ自身もはや戦闘狂といっていいほど戦いを求めてしまっているため、最高の日々を謳歌おうか出来るのは間違いない。そうなればこれまで通りレイヴンの一員として、終わりなき戦いの日々を進み続けることになるのだろう。だが心のどこかに、それはダメだという気持ちもあった。脳裏に浮かぶのはカノンが微笑んでいる姿。そのことを想うと今の久遠くおんレイジを築き上げている根底が、崩れそうになっていくのを感じた。

「――やはり答えられんか……。なあ、レイジ、本当はわかってるんだろう? 自分の中にあるその迷いが、今のお前の足枷あしかせになってることを」

 そんなレイジの葛藤かっとうする表情を見て、ウォードはなにかを納得したように声をかけてきた。

「――そういうことか……。つまり今のオレでは、足手まといになると言いたいんだろ?」

「足手まといとまではいわないさ。お前は強い。それは狩猟兵団の上位連中であったとしても十分やり合えるほどに。――ただ、その迷いがある限りそれまでだということだ。自身の力を無意識に抑え込んでやっていけるほど、この世界は甘くない」

 ウォードはそのすべてを見透かしているような目で、きっぱりと現実を突き付けてくる。

 その言葉はレイジの心にすごく響いた。まさしくその通りなのだから反論もなにもない。もはや自嘲気味な笑みしか、出てこなかった。

「――ははは……、師匠ししょうにも同じようなこと言われたよ。お前の剣には信念がない。そんな軽い剣ではこの先通じないぞってさ」

「だろうな。このことで思うのは、すごく惜しいということだ。レイジにもしその迷いがなければ、きっとオレを超えるほどの狩猟兵団になっていても、おかしくないんだからな」

「どんなお世辞だよ。さすがに化け物クラスのボスを超えるなんて、ありえないだろ」

 ウォードは第一世代でありながらSSランクであり、この狩猟兵団レイヴンの中でもっとも強いデュエルアバター使い。そんな化け物じみた彼を超えるなど、夢のまた夢であった。

「ハハハハ、いずれレイジにもわかるよ。なんたってレイジは本来、どこまでもアリスと一緒に堕ちていける。――そう、闘争に至福の喜びを感じ、戦うことでしかみずからの存在を示せない狂った生き方。まさしく修羅しゅらの道の果てへと……」

 畏怖いふの念を込めた瞳で、レイジを見すえてくるウォード。

 驚くことに彼の口から出る言葉には、一切の冗談がふくまれていなかった。本気でそう信じきっているみたいだ。

「――ははは……、なんとなくわかってしまうのが怖いよ……。――それで今後のために、さっさと迷いを断ち切ってこいと言いたいわけか」

「それができたら苦労しないんだろ? まったく、とんでもないものを持ってしまったようだな。かつて約束した少女との恋心とは!」

 ウォードは意地のわるそうな笑みを浮かべ、盛大にからかってきた。

「一つ言っておくが違うからな! オレがあの子のことを想ってるのは好きとかそういう感情じゃなくて……、そう、憧れみたいなものだ! 彼女の理想があまりにもきれいだったから、力になってあげたくて……」

 言葉に詰まりながらも、必死に訂正する。

「ハハハハ、無理しなくていいさ。それにしてもレイジは本当に健気だな! 昔あった初恋の女の子のために、自分の本来あるべき日常をすべて捨てて、力を求め続けるほどだったんだから! こりゃー、アリスがレイジを振り向かせられないわけだ、ハハハハ!」

 するとウォードはみなまで言わなくていいと、愉快げにほめたたえてくる。そしてひたいに手を当て、豪快に笑いだした。

 これ以上言っても余計に誤解を生むことになりそうなので、悔しながらも認めることに。

「――まあ、大切な人だということには変わりはないよ……。一度は本気で彼女のために生きようと、想ってたぐらいなんだから……」

 目をふせ、拳をぎゅっと力いっぱいにぎりしめながら伝える。

「だがそこまで思ってるというのに、お前はここにいる。なぜだ?」

「――それはたどり着けなかったから……。――いや、それもあるけど本当はあの子に、こんな戦いに染まったどうしようもない姿を見せたくないだけなのかもしれない……」

 ウォードのするどい追及に、自嘲的な笑みを浮かべながら白状はくじょうした。

 戦いに飢えた獣が平和を願うあの少女のところにたどり着いたとして、いったいなんの役に立つのだろうか。もはや戦うことでしか生きられない自分を、彼女はこばむかもしれない。そんな想いが、心の奥底にあったことを認識してしまう。

「――レイジ、気付いていたか、? お前の敗因はその約束の少女だけでなく、アリスまで救おうとしたからだ。もしアリスに深く関わっていなければ、狂気に堕ちることもなかった。そしてその子にふさわしい力を身につけていき、いづれたどり着けたかもしれない」

 ウォードはあわれむようにレイジを見つめ、真実をかたりだす。

 彼の言っていることは正しい。もしレイジがアリスと深く関わらなければ、カノンのためだけに力を求め続けていたような気がする。そしていつの日か彼女の理想を叶えるための剣となって、再開できていたのかもしれない。

「――だというのに、レイジはいつまでたっても、アリスの手を離さなかった。だから一緒に堕ちていってご覧のありさまだ。もうアリスが手遅れなほど壊れていたことぐらい、わかっていただろうに……」

「……仕方ないだろ。でないとアリスはずっと孤独のままだったんだから……」

 思い浮かぶのはアリスと初めて会った時の光景と、その時にいだいてしまった想い。わかっていたのだ。もうアリスという少女は救いようがないところまで、堕ちていってしまっていることを。それなのにレイジはアリスの手を取ることを選んでしまい、今の彼女との関係を生み出すことになるであろう、ある誓いを立ててしまった。それは単に見捨てられなかったから。きっとアリスは自分にしか救えないと、気付いてしまったがゆえに。そう、どこまでも堕ちていくアリスを一人にさせないために、久遠くおんレイジはどこまでもついて行く。そんな決心を抱いてしまったせいで、すべてが狂いだしてしまったのだろう。

「……これも久遠の血筋が原因か……、あいつと同じで……。――ククク、まったく、運命というのは面白いものだな……」

 ウォードは感慨深くそうに独り言を。

 よくわからなかったがその言葉には、想像をぜっするほどのなにかがふくまれている気がした。

「――レイジは優しすぎたんだよ。相反する2つの道を両方選ぼうとしたからこんなことになってしまった。――そういうお人好しのところは、父親とそっくりだ……」

「――ははは……、なんで始めから気付かなかったんだろうな……。どう考えても二つを救えるはずがないのに……」

 アリスを見捨てない道も、カノンの理想を叶える道も、最終的に行き着くのは完全に正反対の結末。コインの表裏であり、光と影、秩序と混沌。ここまではっきりと相反しているとなると、もう笑うしかなかない。

 そんなレイジを見かねてか、ウォードが目をふせとんでもない事を口にする。

「――ここらで潮時か……。レイジ、このレイヴンから出ていくといい」

「なにを言い出すんだ……。そんなことできるはずが……」

「それしか方法がないだろ? どうせこれからも選びきることができず、今のままなんだからな。一つ言っておくが、このままだとアリスでさえ救えないぞ。そんな迷いのある状態で、最後までついていくことができないのは目に見えてるだろうが」

 彼の正論になにひとつ言い返すことはできなかった。

「ここでは見つけることはできないんだろ? だから答えを見つけて来いレイジ。今ならまだ間に合うはずだ」

 ウォードは立ち上がり、レイジの肩へと手を置いてくる。

「いいのか? オレがここから出ていったら、もう戻ってこないかもしれない。いや、そんな気がする……」

 それはどちらかを救うための答えを、探してこいということ。確かに今のレイジにはそうするほか選択肢がないのだろう。それがどんな答えなのか見当もつかないが、一つだけわかることがあった。アリスかカノンのどちらを選んだとしても、もうこのレイヴンには戻ってこないと。そんな予感がするのだ。

「気にするな。父親が押し付けたからここにいただけで、もともとレイジはレイヴンに足を踏み入れる人間じゃなかった。そう、これでレイヴンは元の形に戻っただけだ……」

 子供が巣立つときのような、どこかさみしげな表情をするウォード。

「――だけど……」

「ハハハ、お前はもう十分借りを返してくれたよ。なんたってあのアリスにずっと付き合ってくれたんだ。父親としては感謝しきれない程だぞ」

 ウォードはレイジの髪をくしゃくしゃなでながら、笑いかけてくる。

 そこに一人の父親としての、心からの感謝が込められていた。

「一応、お前の父親役としてこれぐらいさせてくれ。せめて自分の道は自分で決められるようにしてやりたいんだ……。レイジもアリス同様、オレの子供として育ててきたんだからな……」

 そしてウォードはその父親の顔を、今度はレイジ向けてくる。

「……ボス……。……今までありがとうございました! この恩は決して忘れません!」

 これには感極まり、頭を下げて心からの感謝を伝えてる。

 いつもの彼の様子からアリスと同じ戦いにしか興味がないと思いきや、きちんとレイジたちを父親として見守ってくれていたのだろう。そのことにいくら感謝しても、しきれないほどであった。

「よせよ、水くさい。オレとレイジの仲だろ?」

「ははは、そうでしたね。――みんなによろしく伝えといてくれますか?」

 顔を上げ、ウォードに頼み込む。

「別れを告げなくていいのか?」

「今会ったら決心がらぎそうだから。特にアリスなんかに会ったらオレは……」

 アリスに引き止められたら、レイジはその手を振りほどけるのかわからなかった。もしかすると今まで通り彼女のそばにいるべきだと、心変わりしてしまいそうな気がするから。

「そうか、任せておけ。あいつらにはちゃんと言い聞かせておく」

 レイジの心情を理解してくれたのか、ウォードはいつもと同じくレイヴンのボスとしての頼もしい感じで引き受けてくれる。

 これでもうここから出ていくだけだと安心して、この部屋から立ち去ろうとする。

 そして扉に手を掛けた瞬間、ウォードが忠告してきた。

「レイジ、同じあやまちを繰り返すなよ。今度こそ選び抜いてみせろ」

「――ああ、きもめいじておくよ」

「ただ、残念なことにアリスとのつながりは消せないぞ。それほどまでに近づきすぎたんだ。だからお前はあいつから逃げられない。なんらかの決着を付けるまで、決してな……」

「そうですね。アリスの手をとった責任は、果たさないと……」

 レイジがどんな道を選ぼうとも、アリスとは再び出会う予感がするのだ。それはまるで運命の赤い糸で結ばれているかのように、お互いを引き合わせるのだろう。それが敵なのか味方なのかわからないが、それだけは断言できた。その時に自分が彼女にどんな答えを投げかけるのか、今だ想像できないのだが。

「ハハハ、今からレイジがどんな選択をするのか楽しみだよ。最後にその手でつかむのはいったい誰なのか……。――アリスかそれとも……、そしてその果てにたどり着く世界の結末は……」

 扉を開け部屋を出ていく途中、ウォードが意味ありげにつぶやくのが聞こえる。

 内容が少し気になったが、長居すれば決心が揺らぎそうなのでかまわず出ていくレイジなのであった。




(――今度こそ選び抜いてみせろか……、まったくその通りだ、ボス)

 かつての記憶を思い出し、改めて気合いを入れ直す。

 そしてレイジはとうとう、廃ビルの屋上に出るための扉にたどり着く。そしてドアノブに手を掛けた。

 今のレイジの心境は、昨日みたいな不安はさほどなかった。むねにあるのは那由他が言ってくれた、味方であり続けるという言葉。それを思うと不思議と心があたたかくなるのを感じた。

(――オレには那由他がついている。だから後は選ぶだけだ)

 那由他のことを想いながら、レイジは扉を開ける。

 すると屋上にはすでに人影が。

「――やっと来てくれたのね……。レ―ジ……」

 夕暮れ空の下、そこには輝くような金色の髪を風になびかせ、レイジが来るのを心待ちにしているアリス・レイゼンベルトの姿があった。

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