1章 第1部 エデン協会アイギス

第13話 動き出した歯車

 1章 少女たちへの誓い 上


 七歳の少年、久遠くおんレイジがさっきから少女にかたりかけてくる。

 なんでも彼は少女の父親が引き取ってきて、これから家族のようなものになるらしい。ただこの話を始めて聞いた時は、まったく興味なんてなかった。なぜなら少女には戦うことしか頭になく、馴れ合いなんてただの時間のむだだと思っていたのだから。なのにどうしてなのだろうか。レイジと出会った瞬間、少女のなにかが壊れた気がした。よくわからない感情が湧き上がり、心がかき乱されていく。しかしそれは不快ではなく、どこか暖い安らぎのようなものを感じてしまうほどに。

 そして少女はここで自分の気持ちに気づく。

(――どうしてなのかしら……? アタシはこの男の子を欲してる……)

 少女は闘争以外なにもいらないと思っていたのに、この時初めてそれ以外のものを心から欲っしてしまった。彼ならばずっと少女の味方でいてくれる。きっとどこまでもついてきてくれて、少女を孤独にしないのだろうと。そんな予感がするのだ。

(――ああ、きっとこれは恋心なんて陳腐ちんぷなものなんかじゃない……。もっと大きななにか……。そう、赤い糸で結ばれてると言っていいのかもしれないわね……)

 だから少女はレイジに自身の想いを告白する。戦うことでしか自分の生き方を証明できなかった少女。見るものすべてに色がなく、乾いた心の少女。でも彼ならきっと少女に違う世界を見せてくれる。そんな気がして止まなかったから。

「ねえ、一つ聞かせて。あなたは……」

 しかしその言葉を口にする前に、少女の意識は途切れてしまった。




「――いよいよ始まるのか……。はぁ……、出来ればアポルオンメンバーに会いたくないんだけど、今回ばかりは仕方ない……。最悪、西ノ宮グループに戻らなければいいんだし……」

 独り言が聞こえてくる。どうやらアリスはベンチに座りながら、うたた寝をしていたようだ。

 意識が次第にはっきりしてきた。現在アリスたちは日本に着いたばかりで、空港から出てすこし歩いたところにある広場のベンチに座りながら、狩猟兵団レイヴンのボス。アリスの父親であるウォード・レイゼンベルトを、待っている状況。なんでも彼は空港内でまだやることがあるので、先に外で待っていろと言われていたのである。

 季節は三月に入ったばかり。空は雲一つないほど晴れ渡っており、春の陽気な気候と合わさって心地よい。家族であり戦友でもあった少年、久遠レイジがレイヴンを出ていってから約一年がたっていた。

「よし! 気合いを入れろひかり! 今の私は一年前のレイジ先輩に稽古けいこをつけてもらってた時と違う! あれからいっぱい鍛えて、強くなったんだから!」

 どうやら今隣で座ってる後輩の少女がアリスを起こさないよう、こぶしをグッとにぎり決意表明をしているみたいだ。

 彼女の名は西ノ宮光。彼女は曲がったことが嫌いという、真っ直ぐな性格をした明るい女の子。年齢はアリスより一つ下で、一年と半年前にレイヴンに入ってきた後輩の少女である。ただ彼女は本来レイヴンのようなところにいるべき人間ではない。なにを隠そう名の知れた大財閥西ノ宮グループを経営する西ノ宮家の人間で、一度は次期当主に選ばれていた少女。それがどういうわけか家出をして、このレイヴンに入っているのだ。始めの方はレイジが光を拾ってきたのだが、そこからなぜかアリスにあこがれるようになり、自分の生きる道はこれだと選んでしまったという流れであった。

「ふう、こんなものか。――あーあ、レイジ先輩、今なにしてるのかな……。早く強くなった私を見せて、驚かしてあげたいのに……」

 光は快晴の青空を仰ぎ見ながら、感慨深そうにつぶやく。

「安心なさい。今のヒカリならきっとほめてくれるわよ」

「あ、やっぱりそう思います? また昔みたいに頭をなでてくれたりしますかね! ――あ、あれ? あ、アリス先輩?」

 アリスの言葉に、光ははしゃぎながら同意を求めてくる。しかしそれも束の間、なにかがおかしいと気づいたのかアリスの方を見て、慌てて口元を押さえだす。

 ちなみに光はレイジのことを頼れる先輩として、かなりしたっていた。それもこれもレイジがとある理由から、光の指導役として彼女を鍛えていたということもあるのだろう。

「あら、なにかしら?」

「わー! アリス先輩、起きていらしたんですか!?」

 小首をかしげていると、光はベンチから飛び上がりあわあわしだす。

「今起きたところよ。ヒカリ、それにしても気合い十分ね」

「――え、ええと……、ハイ、なんたってアリス先輩に直々に鍛えてもらいましたから!」

 光は動揺しながらも、ガッツポーズをとって応える。

 レイジが出ていったため、指導役はアリスが引き継ぐようになったのだ。それも光みずからの意思で頼み込んできたために。自分のことをほったらかしにされたのが相当気にさわったらしく、それ以降の光はレイジを見返そうと必死に頑張り、アリスの地獄のような特訓に最後までついてきたのである。

「フフフ、レージが出ていってからは弱音を吐かず、アタシのもとで頑張ったものね。昔はすぐに投げ出されてしまったけど……」

「あー、あの時はつい、レイジ先輩に甘やかされてしまい、アハハ……」

 頭の後ろに手を置きながら、ばつの悪そうにする光。

 実際のところ彼女の本来の指導役はアリスだった。しかしアリスのあまりのスパルタな指導にレイジが見かねて、指導役の役目を奪っていったのである。なんでも素人相手に手加減なしの実戦練習しかしない鬼教官などに任せておけるか、みたいなふうにだ。光の方も散々アリスに謝りながら最後にはレイジを選び、話がまとまってしまったというのがかつてのやりとりであった。

「おう、お前たち、こんなところにいたか」

 声をかけられた方を見てみると、金髪の見るからに陽気そうな中年の男がアリスたちの方へ近づいていた。

 ウォード・レイゼンベルト。この人物こそ狩猟兵団レイヴンの社長にして、部下たちからボスと呼ばれ慕われているアリスの父親だ。

 狩猟兵団とはエデンでデュエルアバターを使い、データを奪う荒事専門の傭兵。いわばかつて存在していたPMC、民間軍事会社のようなもの。この職業に就くには、狩猟兵団を管理する狩猟兵団連盟という組織からライセンスを手に入れなければならない。このライセンスは主にさだめられた規則を遵守じゅんしゅするといった契約書みたいな面が強く、もし違反すれば重い刑罰が下された。ライセンスを取得すれば狩猟兵団として活動出来るので、みずから民間会社を創設したり、そのままどこかで社員となって働くといった流れである。もちろんどこにも属さず個人だけで依頼をこなすのもありだが、民間会社の方が知名度や利益といった様々な利点があるので基本はこっちになるのであった。

「あ、ボス! いいところに!」

 これでこの話題から抜け出せると思ったのか、光はすぐさまウォードのところに歩いていく。なのでアリスも光について行くことにした。

「さて日本についてすぐで悪いがアリスと光には、早速動いてもらうことになる。ほかの幹部メンバーはまだあちこちに飛び回ってるから、今はお前たちが頼りだぞ」

 現在日本に集まっているのはウォードと数十名のメンバーであり、まだ全員がそろっていない状況。なぜかというと今後日本での活動をメインにするため、しばらくほかの国の依頼は受けられなくなってしまうからだ。だからみな戦いが本格化する前に、できるだけ他のところの依頼を終わらせておこうと奮闘していた。

「え? ボスは手伝ってくれないんですか?」

「ハハハハ、戦いは始まったばかりなのに、いきなりボスの俺が出向くなんて面白くないだろ? だからこの戦争が激化するまで、高みの見物をしておくさ!」

 ウォードは腕を組みながら、豪快に笑いだす。

「今回の依頼はレイヴンのメンバー全員を雇う契約なのに、一番の戦力であるボスが出ないとまずいんじゃ……」

 おそるおそる進言する光。

「いいんだよ、細かいことは。なんたってこの依頼は今までのと規模が違う。この日本を舞台にした世界の命運を決める戦争なんだからな……。――きっと長い戦いになるはずだ。だから俺たちは俺たちの好きにして、気ままにやればいいんだよ。きっと依頼してきたアランもそうすることを望んでいるはずだ。せいぜいこのお祭りを盛り上げろってな」

「うわー、そんな無茶苦茶な解釈で大丈夫なんですか……?」

 ウォードのあまりのいい加減な発言に、光は頭をかかえながら心配を。

 真面目な彼女にとっては、いつまでたってもウォードの性格に慣れないらしい。

「ヒカリ、いい加減にレイヴンの流儀になれるべきよ。うちはそういうお堅い考えとは無縁で、ただ好き放題暴れて依頼を達成する無法者の集まり。向こうもそれを承知の上で依頼してるんだから」

「あ、すいません。ついクセで……」

「わかればよろしい。――じゃあボス、アタシたちはもう行くわね。まずはこの戦争の開幕を告げるかねを、鳴らしてこないと」

 光に言い聞かせ、アリスは前々から聞かされていた計画を実行するためにこの場を去ろうとする。

 するとウォードがなにかを思い出したのか知らせてきた。

「――おお、そうだった。お前たちにいい知らせだ。レイジのことについて」

「レージの?」

 こればっかりは無視できず、くい気味にたずねるしかない。

「そうだ。今あいつはこの日本でとあるエデン協会に属してるらしいぞ。しかもこの一年で名を上げて、今では上位ランクの人間だそうだ」

「さすがはレイジ先輩。――まあ、あの人の腕ならそれぐらい当然ですけどね」

 光はどこか嬉しそうに笑う。

「――エデン協会か……。それなら向こうで出会ったら切り捨てても大丈夫よね?」

「問題ないだろ。狩猟兵団とエデン協会はお互い相容れない敵同士。衝突なんて日常茶万事だしな」

「本当ですか! アハハ、腕が鳴ります! 訓練をほったらかしたツケはしっかり払ってもらわないと! 成長したこの私の力で!」

 光は拳を手のひらに打ち付け、宣言する。

 レイジが出ていったことを彼女はかなり根に持っていたので、そのうさを存分に晴らしたいのだろう。しかしそれはアリスも同じである。今まで自分を放っておいたツケを、なにがなんでも払ってもらいたかった。

 だがそこでふと、レイジに対して別の強い思いが湧き出ていることに気付く。その感情を理解すると、思わず笑みがこぼれてしまっていた。

「――レージとやり合える……。フフフ、それは楽しみだわ!」

「うわー、アリス先輩がものすごく邪悪な笑みをしてる……」

「あら、ヒカリ、なにを言うのかしら? アタシはただ純粋にレージと会えるのが嬉しいだけなんだから、フフフ」

 光はアリスを見て、口元を押さえながら一歩下がる。それほどまでに今、うれしくてうれしくて仕方がないのだろう。もはやこのあふれる感情を抑えきれないほど。まるで恋する乙女のようであり、ただレイジとの闘争を求めてしまっていた。闘争こそアリス・レイゼンベルトが生きる、最大の目的であるがゆえに。

「ハハハハ、やる気は十分だな。その勢いでレイジに目にものを見せてやれ。おそらくそのチャンスはすぐにでもやってくるだろうしな」

「そのいい方だと確証があるのよね?」

「ああ、レイジが今いるのは普通のエデン協会の組織とは違うからな。だから必ず俺たちの邪魔をしてくるはずだ。あちらさんにとっては、俺たちがやろうとしてることは決して見過ごせるものじゃないからな」

 ウォードの話からするとレイジは無数にあるエデン協会の民間会社の中でも、とんでもないところに属してしまったらしい。この作戦の全容を聞いているアリスにとっては、その事の重大さが理解できてしまう。だが、そんなささいなことアリスにとってはどうでもよかった。黒い双翼そうよくやいばとして共に戦い続けた戦友、久遠レイジと戦えるならそれだけで。

「フフフ、本当にいい知らせ! おかげで最高の気分で仕事できそうよ! ――それじゃあ、行くわよ、ヒカリ」

 くるりとウォードに背を向け、軽い足取りで今度こそこの場を去ろうとする。

「はい! アリス先輩。全力でサポートするのでよろしくお願いします!」

「ええ、期待してるわ。幹部クラスまで上り詰めたその実力をね!」

 光は心地よい返事をして、アリスの後を追ってきた。

 その言葉は一年前とは違う、自信に満ちあふれた声であった。それもそのはずであれからアリスがじかに鍛えあげた結果、その実力は幹部クラスにまで達していた。もはやレイジともいい勝負ができるほどだ。

 光をつれて歩いていると、ウォードが突然空を見上げて独り言をつぶやくのが聞こえてきた。

「――レイジ、こうなることはわかっていたよな? エデン協会なんかに入ったら、いづれその対極に位置する俺たち狩猟兵団とやり合うということを……。――さあ、もう選んでいる暇はないぞ。お前は決めないといけない。いったいどちらに付くのかをな……」

 その内容が内容だけになんだか感慨深い気分になってしまう。一体久遠レイジはこの先どうするのだろうかと。戻ってくるのか、はたまた出ていったままなのか。そしてレイジが出した答えに、アリス自身どんな答えを選ぶのか。

(もしあなたがいないままだったら、アタシはどうするのかしらね……、レージ……)

 ふと強い風が吹いた。アリスは立ち止まり、空を見上げる。そこにはどこまでも青くみ切った空が広がっていた。そんな中ふと思いをはせる。この先どうなるのかわからない。ただ一つだけはっきりしていることはあった。

「レージ、今度こそ逃がさないんだから……」

 空へと手を伸ばして、つかみ取るように拳をにぎる。そして万感の思いを込めて告げた。 なぜ自分でもこんな独り言をつぶやいたのかわからない。ただなんとなくレイジも今、同じ空を見ている予感がしたから。





 突如強い風が吹いた。木々が立ち並ぶ街道を歩いていたレイジは、思わずその場に立ち止り空を見上げてしまう。そこにはどこまでも青く澄み切った空が広がっている。

 どうしたのかというと、ふと誰かに呼ばれた気がしたのだ。それになぜだか胸騒むなさわぎまで感じだしている。まるでこの時をもって、運命の歯車が回り始めたかのように。

 不思議がっていると、大きな声で呼ばれているのに気付く。

「レイジ! なにぼさっとそんなところに突っ立ってるんですかー! さっさと行きますよー!」

 どれだけ空を眺めていたのだろうか。気付けばさっきまで並んで歩いていた那由多なゆたは、だいぶ先まで進んでしまっていた。

「――ああ、今行くよ、那由他」

 レイジはパートナーである那由他に返事をしながら、彼女のもとへと歩いて行くのであった。


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