第26話 琥珀海岸

 海が、波が、白くうねる。

ざざーん、と、波が打ち寄せる浜にて、カナデが、流れ着いた不恰好な琥珀らしい小石を拾い上げる。


「琥珀海岸、っていっても、売り物みたいに綺麗なものが漂着するわけじゃないのね」


 一方、アイリーンも、琥珀を拾うのに夢中だ。海の中に足を浸して、少しでも大きな琥珀を探そうとちいさな手で砂を攫う。


「おとーさん、おっきい茶色の石、みつけーたー」


 アイリーンは、琥珀を手にしながら楽しげに笑う。


「うみのみずって、つめたーい」

「そうだな、アイリーン」


 ジーンは、アイリーンの満面の笑顔に目を向け、自らも微笑んだ。


 琥珀ヤンターリ村に着いて数時間、ジーンの目前に広がるのは、そんな平和な光景だった。この瞬間にも、目前に敵が待ち構えているのか、と村に着いた時には思ったが、いまのところその気配はなく、カナデとアイリーンは楽しげに波と戯れている。金髪の少女と我が娘はまるで歳の離れた姉妹のように見え、それがまた微笑ましさを増す。


 本当は、コルサコフを出る時、アイリーンのことは、誰かに託してきたかったのであった。なにが待ち受けているか分からない、この地に向かうからには。だが、あいにく信頼できる人間も、この極東の島には思い当たらない。


 ジーンは思う。

 しかたなく、三人でこの村に来たからには、必ず三人とも無事で、生きて帰らねばと。そして、カナデを元に戻す手がかりを、なんとしても得なければ。とも。

 ジーンがそこまで考えた時、カナデが、はっ、とした顔で陸の砂丘の向こうを見た。


「ジーン、誰か来るわ」

「えっ」

「おそらく、男性と女性がひとりずつ」


 ジーンにはその気配はまったく、まだ、わからない。だが、ジーンはカナデの言葉を受けて、胸ポケットに忍ばせた銃に手を伸ばす。カナデも同様だ。二丁の銃は、ヴァンスがウラジオストクで別れるとき「あんたら、この先、いろいろ、あるんだろうからな」と餞別に渡されたものだ。

 ふたりはじっと耳をすまし、目を凝らす。すると、数分ほどのち、ジーンにも遠目に、二十代後半から三十歳くらいの男女がこちらへ歩いてくるのが、見えた。どうやら村の住人らしいが、油断はできない。


 ジーンはアイリーンを波間から、ひょい、と抱き上げると、銃を砂丘に向けて定めた。しかし、三人を認めた村人の声は、ジーンの予想に反して穏やかなものだった。


「珍しいな、よそ者がこの村に来るなんて」


 にこやかに男が言う。


「兄さん、あんたは幾つだ?」


 銃を構えながらも、ジーンはつい、馬鹿丁寧に応じる。まったくもって、本当に、こういうとき性分が出るな、と、思いつつも。


「三十二歳になります」


 すると、男はなんとも不思議な問いかけをしてきた。


「ほう。お前さんは、しているのか? それとも、のほうか?」

「え?」

「ちなみに俺はターンだ。今年で六十五歳になる」


 ジーンは戸惑った。


「とても、そうは見えませんが。私と同い歳ぐらいとばかり……」

「あたりまえだ、ターンをしているからな」

「ターンを?」


 ジーンとカナデは、会話のなかに突如出てきた「ターン」という忌まわしい単語に、身体を固まらせる。

 しかしながら、男はさらに不可思議なことを言う。彼は横の女性を指差した。


「ちなみに、こいつはうちの孫だが、リ・ターンをしているから、本来は十四歳だ」

「十四歳?」

「ああ、だが、リ・ターンの薬が合わなかったらしくてな、知能はかえって子ども返りしてしまったが。どうも、ターンに比べて、リ・ターンの薬の効能は不安定でいけない」


 そして、話について行けずに、無言で目を見開いている様相のジーンを見やって、男は溜息交じりに呟いた。


「お前さんは、本当に、なにも知らないでこの村に来たんだな。俺はこの村の世話役で、ユーリ・フォーミンという。こいつはオルガ。あんたは?」

「ジーン・カナハラだ」

「そうか。じゃあ、ジーン、教えてやる。この琥珀村は、村の中心部にある軍の研究所の、被験体たちが住む村だ。それも主に、ターン、もしくはリ・ターンの実験による被験体が殆どだ」


 カナデ、それにジーンはユーリの言葉に思わず息を呑み、数秒の後、ユーリに問い質した。ざざん、ざざん、と響き渡る波の音の狭間にジーンの声が響く。


「この琥珀村の住民全員が、被験体で構成されているのですか?」


 そのときだった。カナデが再び鋭く叫んだ。


「ジーン、誰かまた来るわ!」


 ジーンは慌てて周りを見渡した。だが、ジーンの耳に響き渡るのは、波の音のみである。しかし、カナデの聴覚にやはり間違いはなかった。


 果たして、数分の間をもって、砂丘の上から聴こえたのは、ジーンには懐かしい声であった。


「ご苦労だった、ユーリ。もう下がって良いぞ。そこから先は、俺が教えてやるさ、ジーン・カナハラ」

「クオ!」


 見れば、海風に肩までの長髪を揺らすクオの長身がある。

 ジーンはかつての同僚に姿に思わず安堵して、銃の構えを解き、彼に走り寄ろうとした。


「殺されていなかったのか、生きていたのか!」

「おっと、気安く俺に近づかない方が良いぜ、優男ちゃん」


 クオが顔に薄い笑いを浮かべ、ジーンを牽制する。そこでようやく、ジーンは、今更ながらクオがユーラシア革命軍の軍服を纏っていることに、違和感を覚え、立ち止まる。


「なんでだ、クオ」

「鈍感だなあ、優男ちゃん。そりゃ、月の研究所を殲滅させたのは、他ならぬ俺の指示だからさ」

「え?」


 ジーンには最初、クオの言葉の意味が分からなかった。


 だが、次の瞬間、月面を走るホバークラフトの中で見た、研究所での惨劇が思い浮かぶ。

 容赦ない銃撃、血にまみれ山積みにされた研究員の遺体、そして、広場に吊るされたドロシーとデュマの無残な姿――。

 そのどれもが生々しく、ジーンの五感に迫る。


 それが、すべてクオの指示だった? 彼は今、そうたしかに、ジーンの前で口にした。


 ――どうして? どうしてだ?


 ジーンは呆然としつつ、目の前に悠然と立つクオを見た。


「……なぜだ? なぜ、あんなことをやった?」


 すると、クオはさらに嗤った。くっくっ、と楽しげに。


「いろいろあるがな、ひとつは、あの月の裏側での研究成果を、他の誰にも漏らさぬ為だよ。全ての成果は、ただひとり、我が元首のために還元されるべきものだからな」

「レ・サリ元首のために?」


 ジーンの手がわななく。なぜこんなところで、自らの国の最高指導者の名が出てくるのか、彼には訳が分からない。

 だが、クオはそれ以上、そのことについて懇切丁寧にジーンに説明することはなく、いきなりカナデを指さすと、ジーンに告げた。


「ジーン・カナハラ。カナデ・ハーンをこちらに渡してもらおうか。ここの村の被験体は、すべてみなどこか身体に欠陥がある、いわば失敗作だ。だが、そのカナデ・ハーンこそは、今まで様子を見させてもらった限り、一番完璧なターンの被験体だ。いわば、ターンの試薬を完成させるために、彼女の生体データは必須なのでな」


 途端にカナデが顔を顰め、銃を構え直す。彼女の顔は険しく、瞳は、きっ、とクオを睨んだままだ。


「断る。彼女をこれ以上、弄ばせるわけにはいかない」


 ジーンの明解な答えに、クオは、そう思っていたよ、とばかりにいよいよ楽しそうに唇を歪めた。


「そうだろうな。ならば、力ずくで奪うしかないな。おい、出てこい」


 すると、砂丘の陰から、ひとりの小柄な女性が歩み出てくる。きゅっ、きゅっ、と、ゆっくり、ゆっくり、砂を踏みしめて。


「……!」


 その女には、見覚えがあった。

 他の誰よりも、ジーンには見覚えがあった。


 あの、癖のある茶色の毛髪に、くりっ、とした、菫色の瞳。


 だが、最期に見た姿よりかは、十歳ほど、歳を取って見える。

 しかし、だが、しかし。


 ――あれは、あの面影は、まごうことなく。俺が、この手で、殺した。


「レ……ベッ……カ……!」

「おお、遠く離れてなお、愛する妻の顔を覚えていたか、麗しいな、ジーン。ああ、ちなみに少し感じが違って見えるか? それはな、彼女には、リ・ターンの薬を打ってあるからだ」

「……なんだ? それは?」


 ジーンは死んだはずの妻を凝視しつつ、途切れ途切れに、呻いた。クオはその様子を殊更面白げに眺めつつ言葉を、放る。

「教えてやるよ。だ。つまり、若い被験体をより成熟した細胞に変化させる効能がある薬だよ。さあ、レベッカ。カナデ・ハーンを捕えて見せろ」

「分かりました。ケセネス准佐」


 どこか遠くで、海鳥が叫ぶ。


 唸る浜風にダークグレーの髪をなびかせながら、ジーンは呆然と死んだはずの妻の顔を見つめる。

 しかし、その菫色の瞳はジーンを捉えても、昏く濁ったままで、まったくの無反応だった。

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