第70話 交渉するなら温泉でどうでしょう

「あら、また来たの?」



 山の上。ぐつぐつと煮えたぎる溶岩の湯に、彼女は気持ちよさそうにかっていた。



「三日くらい前に来たと思ったら、すぐに出ていっちゃってさ。入ったり出たりせわしないわね」


「おまえはいつもいるな。ふやけるぞ」


「そんなことないわよ。たった十日ほどだもの」


火炎龍サラマンドラひまでいいな。俺もそのくらいゆっくりしたいね」


世捨よすてのゴーレムに暇と言われたくないわね。あと、呼び方。何度言えば直るんだか」


「そうだったな。わるかった、サクヤ」


「あら、今日は素直じゃない。めずらしい」



 火炎龍、サクヤは尻尾しっぽをくねりと反対側に倒し溶岩をはねさせ、ふふふと笑みをこぼした。地上最強の一種である火炎龍。だというのに、地上で最もみにくい人の形をしているのだから、趣味がわるい。やたらと凹凸のある身体に、ぎろりと大きな黒い瞳と赤い唇、ウェーブのかかった黒髪。黒い髪は東の方の人間を参考にしているらしいが、いささか気味がわるい。


 楽だから。


 だそうだが、その理由はよくわからなかった。そもそも温泉以外の娯楽の趣味がまったく合わない女だ。わかろうとしても無駄な話だろう。


 ネジは、その巨体をゆっくりと動かし、溶岩の湯に浸かった。溢れた溶岩が縁かられて、流れ出た後、黒くなって固まる。ネジは、この色の変化をながめているのが好きだった。


 

「少し熱いな」


「うふ、温めておいたの」


「俺はぬるめが好きなんだ」


「熱い女はお好きじゃなくて?」


「いつも思うのだが、その性的なジョークをどうしてゴーレムの俺に言うんだ?」


「え? だって対等に話せるのがあんたくらいなんだもの。このくらい付き合ってよ」


「他にもいるだろ。魔王とか」


「あいつ嫌い。人間滅ぼすの手伝えってうるさい」


深海龍リヴァイアサンとか」


「本気で言っている? 火炎龍と深海龍の仲のわるさ教えてあげようか?」


「極東の九尾ナインテールと仲良かっただろ」


「だめ。10年前にあいつの男と寝たらぶちぎれられちゃって。今、絶交中だから。あと10年はムリ」


八咫烏ヤタガラスは?」


「あの子とは仲いいわよ。50年くらい前に三つ目の白虎バイフーをボコボコにしたの。楽しかったな。でも、どこにいるのかわかんないのよね、あの子」


「だったら、あとは魔女くらいか」


「次会ったら、あいつらは殺す!」



 魔女、何した?


 まぁ、魔女という生き物はどうしようもなく恨みを買う習性がある。かくいうネジも嫌いだ。


 

「ね? いつでも会えて、対等に話せるのってあんたくらいなの。だから、あんたはあたしのジョークを聞く義務があるのよ」


「義務はないだろ」


「責任とってよね」


「俺が何をした?」


「ふふ、今のは、人間の女が言うジョークで子供ができたからやしなってよねって意味よ」


「そうか」



 だから、なぜそれをゴーレムに言う?


 地上最強。だからなのか、彼女も孤独なのだろう。ネジはむしろ好む方だが、孤独を嫌う奴もいる。火炎龍ともあろうものが軟弱なと思わなくもないが、きっとそれは強さとは関係のない部類の話だ。



「ところで今日はサクヤに頼みがあってきたんだ」


「え? 何々? 珍しいじゃない。あんたがあたしに頼み事なんて。いいわよ。頼んでちょうだい。嫌だったら断るから」


「魔法を教えてくれ」


「魔法? って、あんたゴーレムでしょ。魔法なんて使えないじゃない」


「俺にじゃない。子供にだ」


「え!? 子供!? 誰と! 誰との子供!? ていうか子供作れる身体していたの!?」


「俺のじゃない。人間の子供だ。今、訳あってあずかっている」


「人間? 人間とエッチしたの!? 痛くない? いや、人間の方がさ」


「俺のじゃないと言っただろ。ただの人間だ」



 会話を好むくせに話を聞かない奴である。サクヤは一匹でさんざん盛り上がった後、ふーっと息を吐いて、何の話だっけとたずねてきた。ので、ネジは、もう一度同じ話をするはめになった。


 

「魔法ねぇ。言っておくけど、あたし達の魔法は天性のもので、手足や尻尾と同じよ。使い方を教えてと言われてもわからないわ」


「サクヤは人間の魔法にも詳しいだろ」


「まぁね。あたし、天才だから。って言っても教えるのはなぁ。したことないからな」


「できないならいい」


「できないとは言ってないでしょ。んー、まぁ、暇だし、やってもいいけど」



 やっぱり暇なんだな。



「タダではやらないかな」


「何がほしい?」


「うーん。あんたの宝石コレクションとか」


「……小さいのを一つなら許そう」


「みみっちいわね。まぁ、それも興味あるんだけど、近頃、運動不足なのよね。ちょっと身体動かすのに付き合ってよ」


「サクヤとか? そいつは物騒だな」


「大丈夫大丈夫。かるーくだから。小さい島を平らにするくらい? だと思う。うん、場所選ぶし」


「これだから龍という生き物は」



 ネジは、溶岩の湯に浸かり直し、しばらく返答を保留した。正直、面倒くさい。戦うのとか時間の無駄だし、おもしろくないし。その見返りとして、ガリバーへの魔法指導だけ。わりに合うかどうか悩んだ後、ネジは六割くらい気持ちで了承りょうしょうした。



「やったぁ! 久しぶりに運動できる!」


「ちょっと待て、あと四年は人間の子供の世話をしなければならないんだ。だから早くて四年後だぞ」


「えー。まぁ、いいか。そのくらいなら。でも、約束だからね。約束破ったらぶっ殺すから」


「できるんだったらな」



 これで魔法の指導について話がついた。ガリバーは喜ぶだろうが、果たしてこの女に魔法の指導なんてできるのだろうか。まぁ、何にも魔法が身につかなかったら、約束を反故ほごにしてしまおう。そのときはさすがのサクヤも怒らないだろう。



「でさ、さっきから気になっていたんだけど」



 考えることがなくなってやっとゆっくり温泉に浸かれると思ったネジであったが、一方で、何やら上機嫌のサクヤは、ひょいとネジの後ろを指をさした。



「あたしが教える人間の子供って、あの子かしら?」


「え?」



 振り返るとそこには、確かにガリバーの姿があった。彼は、山の斜面をあがってきて、ぶーっとネジに不満の色を見せた。



「ガリバー、どうしてここに?」


「だって、先生が置いていくから」


「いや、ついてこなくていいんだが」


「溶岩がここにあるなら言ってよ。これなら火を使い放題じゃん」


「いや、ここは危なくてだな。間欠泉がそこいらに」



 ネジが止まれと言おうとしたときだった。ガリバーの足元でガスがパン! と音を立てて噴き出し、彼の身体を上空に吹き飛ばした。



 え?



 そのまま、ガリバーの身体は溶岩の中にぽちゃりと落ちたのだった。


 ……。


 …………え!?


 ぽかんと眺めていたネジは、ようやく事態を把握して、久しぶりに、10年ぶりくらいに久しぶりに、お気に入りの鉱石を落としたときくらいに慌てて、ガリバーの身体を拾いに走ったのだった。

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