第45話 前向きな女の子は輝いて見えます

「あの子が好きなの?」


「うわっ!」



 突然、声をかけられて、俺はひっくり返りそうになった。完全にきょを突かれたのと、その問いがあまりに核心かくしんをついていたからだ。


 声の方を向くと、知らない女が立っていた。もっさりとした髪を後ろでくくり、メガネをかけた地味な女。いったい誰だと思ったが、その耳元にある大きな猫のピアスに見覚えがあった。



「あ、昨日の」


「よっす。わかるものね。あんな暗がりだったけど、そのしけた背中にピンときたわ」


「余計なお世話だ」



 昨晩、夜道で会った名前を知らない猫ピアスの女である。どこかで着替えたのだろう。飲み屋にいそうな派手なかんじはなく、ただの町娘にしか見えない。



「それにしても、あんな美人に恋慕れんぼするなんて身の程ってものを知りなさいよ」


「うっせぇよ。昨日会ったばっかりの奴がしゃしゃり出てきてんじゃねぇ」


「あたしの見立てではよくて幼馴染おさななじみってとこね。高嶺たかねの花としてながめているうちに誰かにかっさらわれちゃうかんじ」


「……一目でいろいろ見抜いてんじゃねぇよ」



 何この子? 心の声とか聞こえちゃう系? 温泉好きなおっさんよりも性質たちがわるいんだけど。


 俺の釈然しゃくぜんとしない顔を見て、くしし、と笑う猫ピアスの女は、俺の横にひょいと腰かけた。



「まぁ、恋をするのは勝手だけどね」


「だから、してないって」


「本当? こじらせちゃうと後が面倒よ。好きになったら、さっさと好きって言っちゃって、だめだったら次々」


「なるほど。それで、他の女と逃げた彼氏のことはもう忘れたと」


「忘れた、忘れた、あんな男。うん、ほんと、もう、すっかり、きっぱり、忘れたい。うん。忘れたいの」


「なんか、ごめん」


「こっちもごめんね。他人の失恋をいじってたら、何だか自分の失恋がマシになる気がして」



 女の子ってそういうこと平気でやってくるよね。


 猫ピアスの女は、ぱたぱたと足を揺らしてから、カードを裏返したかのようにパッと笑い、俺の方に視線を向けてきた。



「それはいいとしてさ、町を案内してよ。私、この町に来たばっかりでぜんぜんわからないし」


「わるいがそんな時間はない。俺はもう仕事に戻らないと」


「えー! さぼってたくせに」


「休憩してたんだ」


「嘘だ。私のことめんどくさい女だと思って、ほったらかそうとしているでしょ」


「してないよ。本当に忙しいんだって。週末なら時間作れるから、そんときでいいだろ」


「ふん。もういいもん。他の人に頼むから。言っておくけど、私、もてるんだからね。いいの? 他の人に頼んじゃっても。引き止めるんなら今だよ」


「はぁ、めんどくせぇ」


「あ、めんどくさいって言った! それ、女の子にいちばん言っちゃだめなやつだからね!」



 ぎゃあぎゃあと騒ぐピアスの女を見て、俺は少し気が楽になる。こういう何も考えていない会話は川の水のようだ。胸の奥に詰まったへどろを一緒に洗い流してくれる。



「わかったよ。でも、本当に忙しいんだ。週末必ず時間をつくるから待ってくれ」


「むぅ。仕方ないな。約束だからね」



 猫ピアスの女は、にひっと笑ってからひょいと立ち上がった。その仕草は、以前も見たような気がして、ふとなつかしく思ったけれど、つい昨夜のことだと思い出す。


 

「でも、よかった。また会えて。あのときにね、私、あなたは死んじゃうんじゃないかって思っていたから」


「……ははは、何言ってんだか」



 この猫ピアス、とぼけた顔をして、やはり相当に察しのいい女である。いや、そうでもないか。深夜にあんな森の中を一人歩くなんて普通じゃない。訳ありだと考えるのが妥当、お互いに。



「俺も、おまえが無事に町に来れてて安心したよ」


「ふーん。夜道を一人で行かせたくせに」


「それはほんとごめん」


「だめ。許さない」


「サンドウィッチあげるから」


「よし。許ぅぅさない」



 猫ピアスの女は、ノリで許しそうになったところ、身体をくねりとひねる反動で乗り気っていた。しかし、サンドウィッチを奪っているあたり、ちゃっかりしている。


 ふふんと、鼻を鳴らして猫ピアスの女は告げた。



「靴をつくってちょうだい」


「靴?」


「そう。壊れちゃったから。あなたが直してくれたから、まだ履いているけど、買い直そうと思って。あなた、靴職人なんでしょ。だったら、私の靴をつくってよ。そしたら、許してあげる」


「あー、なるほどな」



 道理である。彼女の言うことはもっとも。靴職人にかしをつくったら、靴を作ってもらうのは自然。


 その靴職人が見習いでなければ、だが。靴の修理ならばできるけれど、一から作るなんてやったことがない。



「靴なら、買ってやるよ」


「えー、作ってよ」


「金はあるのか? 新品だと高いぞ。借金娘」


「うっ。そこは、ほら、友達割引で」


きずりの男じゃなかったのか?」


「何言っているの。二回も会ったら友達じゃない」


「都合のいい奴だ」



 それでも、俺は答えにきゅうした。俺なんかにできるわけがない。俺なんかが作るくらいならば、中古の靴を買った方がいい。


 などと煮え切らない考えを頭の中でぐるぐる回していると、もう、と猫ピアスの女は俺の頬をつねった。



「うじうじ悩まない! 悩んだって問題は何にも解決しないんだから。悩む前にまずやってみる。失敗したっていいじゃないの。やらない幸せよりやって後悔よ!」


「……やらないで幸せなんだったら、そっちの方がよくないか?」


「そういう話じゃない! 幸せって言ってもちょっとだから。ちょっとの幸せで満足しているからあんたはだめなのよ!」



 そりゃそうだ。


 猫ピアスの女。彼女の生き方そのものだと、そう思った。恋愛観とも通じる。悩む前に身体が動く。だから、たくさんの幸せをつかんで、同じだけ後悔してきたのだろう。


 俺は、素直に、彼女の生きざまに尊敬の念を抱いた。


 猫ピアスの女は、ふんと背中を向けてから、かるく振り返った。



「靴、約束したからね」



 そう言って去っていく彼女の姿を見て、俺は、自らが情けなくて消えてくなった。悩む前にやってみる。はじめから無理と諦めない。その姿勢を見習いたいと思いつつ、なぜか、ふと別の背中が重なった。


 

「あのおっさん、今日も挑戦してんのかな」


 

 思い出して、不意に笑った。


 女の子の背中におっさんの背中を重ねるなんて、ずいぶん疲れているな。うん、控えめに言ってやばいと思う。



「親方。俺、今日は帰って寝ます。おつかれした」

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