第44話 ブラックでない会社なんてあるんですか?
「エドガー! ちんたらしてんじゃねぇ!」
「あい!」
親方の
うちの店では、大きな町で
ただ、その作業は重労働だ。靴の回収に行くのは俺だし、汚い靴を磨くのも俺だし、修理するのも俺の仕事。親方は、辛いばかりで、おもしろみのない仕事ばっかり押し付けてくる。
俺だって、新品の靴を作りたい。足の型をとって、素材を選んで、靴の形を想像して、線を引いて、ハサミを入れて、組み立てる。そこにこそ、おもしろさがあるというのに。
まだ足の型どりしかやらせてもらっていない。
あとは雑用雑用雑用。靴運んで、磨いて、修理して、また靴運んで、磨いて、修理して、明日もあさってもその次の日も。
その生活に嫌気がさしたから、死のうと思って森に足を踏み入れた。もう終わりにしようと、そう思ったはずなのに、今日も俺は店で働いている。
なぜ?
それはたぶん変なおっさんに会ったからだ。
昨夜のことは、今思い出してもやはり夢だったのではないかと思う。だが、身体の
人魚の泉。
俺は確かにおとぎの世界に足を踏み入れた。本当にあったのかという高揚感、それから、人魚に襲われたときの恐怖が鮮明に思い出される。
同時に温泉の温かさがお腹の奥によみがえる。あれは、本当に気持ちがよかった。一睡もしていない俺が、今、こうして働くことができているのは、あのひと時のおかげだろう。
その温泉に
カラスと言ったか。本当におかしなおっさんだった。あの恐ろしい人魚の泉に好き
俺は、あくびをしつつ、磨き上げた靴を処理済みの
「エドガー! 商品は
「あい! すいあせん!」
どうせゴミを
朝から磨き続けて、ひと段落したのはお昼を過ぎたころだった。外でやっているので日差しもきつい。俺は木箱に腰かけて一服する。
作業は単調。一足一足の汚れを落とし、修理できそうかどうかを見極める。その作業は思いのほか地味で、なかなか進まず、肩がこる。
あの量の選定を終えるのに一週間といったところか。それから修理して、また磨いて、微調整して、また磨いて。
はぁ~。
気の遠くなるような作業だ。それだけやって、二束三文というのだからやっていられない。
「あのまま人魚に食われておけばよかったな」
「人魚?」
「うわぁ!」
声に驚いて声をあげた。見上げると、そこには見知った顔がこちらに不満そうに眉を寄せていた。
「もう。人をお化けみたいに」
「わるい、デイジー。急だったから」
幼馴染のデイジー。来月に町のぼんぼんとの結婚をひかえた彼女は、見慣れた顔でむぅと口を
「せっかくお弁当を持ってきてあげたのに」
「あぁ、そういえば忘れた」
「おばさんから聞いたわよ。今日は朝帰りだったって。どこの誰とお楽しみだったんだか」
「ば、ばっか! ちげぇよ。そんなんじゃねぇ」
「じゃ、どこで何してたのよ」
「……知らないおっさんと温泉入って、森の中を全裸で
「何言ってんの?」
ほんと、何言ってんだろうな。
デイジーは心配そうな顔をして、俺の背中をそっと撫でた。
「働き過ぎなんじゃない? ちゃんと休まないとだめよ」
「心配し過ぎだよ。そこまでじゃない」
「うーうん。そこまでのことを言ってたわよ」
「……あー、そうかもな。気を付ける」
働き過ぎなのも、おかしなことを言っているのもその通りだ。そして、そんな俺のことを心配してくれているのも、いつも通りの彼女。
その幼馴染は来月、俺ではない奴と結婚する。
思い返す度にげんなりとする。だから、なるべく会わないようにしていたのだが、この小さな町で暮らしている以上、なかなか難しい。
デイジーは、はぁとため息をつく。
「ほんと、頼りないわね。もう少ししたら、こうやってあんたのことを心配してあげられなくなるのよ。しっかりしてよね」
「わかっているよ。というか、おまえの方が心配だ。子供の頃から、不安になるとすぐにぴーぴー泣いてたからな。雷の鳴った日は、ずっと手を握ってやってただろ」
「! そんな昔のこと忘れてよ!」
「おねしょしたときは俺がシーツを交換してやったし」
「わーっ! わーっ! わーっ!」
「まぁ、あれ、おばさんは知ってたらしいけどな」
「え、嘘?」
バンと俺の頭を引っ叩いて、デイジーはくるりと
「もう知らない! ばか!」
彼女の後ろ姿を見送って、俺は息を吐く。肩に入っていた力がすっと抜ける。もっとも安心できる人のはずだったのに、いつからこうなってしまったのだろう。
俺はもう一度ため息をついてから、持ってきてもらった紙包みを開き、サンドウィッチを頬張った。
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