第62話 冬陽の選択
全てを聞き終えた元の若菜は、胸に手を当てて涙を流した。
「家族が大好き、か。そっか……そういうことだったんだね」
なにか、彼女なりに心に響くところがあったのだろう。そんな元の若菜を見ていると、ついつい自分まで泣きそうになる。
元の若菜は涙を拭うと、泣き腫らした目で冬陽を見つめた。
「ありがとうございました。おかげで、もう一人のぼくの事がよく分かりました」
「いいのよ。若菜さんの最後のお願いだもの。わたしも叶えてあげられて満足よ」
「いえ、冬陽さんのお話で分かったんです。もう一人のぼくの最後の願い。その本当の意味が……」
「ほ、本当の意味?」
「はい。実は、ぼくも冬陽さんに知ってもらいたいことがあります。聞いてもらってもいいですか?」
元の若菜の真剣な表情に、冬陽は小さく頷いた。
「では。実は、ぼくがクランになったのは、両親に『お前なんか生まなきゃよかった』って言われたからだそうです。普段のぼくは虐められっ子で、素行の悪い連中のパシリにされていました。そのせいで補導されることも多かったし、万引きで何度も警察の厄介になりました。でも、家族には言うに言い出せなくて、いつしかぼくは、家族を避けていました。そしたら両親の言葉もお姉ちゃんの言葉も、全部がひどいノイズのように聞こえて、ぼくの心を苦しめました」
元の若菜は続ける。
「そして何度目かの補導の時、ぼくは両親に『お前なんか生まなきゃよかった』って言われて……目の前が真っ暗になりました。その後、気が付いたらベッドの上で、お姉ちゃんもお父さんもお母さんも、みんな泣いていました。そんな時、ぼくに不思議なことが起こったんです。その姿を見て、ぼくの胸が……かぁっと熱くなったんです。今まで家族が自分のことで泣いていても、うざいとしか思わなかったのに。どうしてか、その姿にすごく罪悪感が沸いて、同時に心配してくれたことが、とっても嬉しかったんです」
そこで言葉を切ると、冬陽を見つめた。
「それで、ぼくは冬陽さんや家族からもう一人の若菜の話を聞いて確信しました。もう一人のぼくが、ぼくの心の奥に仕舞っていた気持ちを呼び起こしてくれたんだって。もう一人のぼくには、感謝してもしきれません」
心の奥にしまっていた、気持ち……。
冬陽は自分の胸に手を当てる。
自分がもし、元の冬陽の秘めていた気持ちに立ち向かうために存在しているのだとしたら、自分がするべきことは……。
冬陽の思案に気付いた元の若菜は、少し間を置いてから口を開いた。
「……冬陽さん。冬陽には、冬陽さんにしかできない役割があります。それは、手を差し伸べて救うことじゃない。その役目を負った人は、別にいるんです。冬陽さんには、救うべき人を、後ろから押し上げてあげる役目があるんです」
救うべき人。それが言わんとしていることは、冬陽にも分かる。分かるが――
「そんなこと言われたって。わたしは消えたくない。わたしは、お兄ちゃんとずっと一緒にいたいの!」
誰もが若菜のような決断が下せるわけじゃない。自分が消えてもいいなんて、そんなの簡単には思えない。
若菜はジュースを飲んで口を湿らせると、再び口を開いた。
「目覚めてからのぼくには、ずっと家族を想う気持ちがある。熱くて、あったかい、無くしていたと思っていた気持ち。それはきっと……もう一人のぼくなんです」
若菜の言葉に、冬陽はハッとした。脳裏に、若菜の言葉が蘇る。
『ボクは元のボクに知ってほしいんだ。ボクという存在がいたってことを。そして、ボクの存在を通して、また家族と仲良くなってほしいって』
呆然とする冬陽に向けて、元の若菜は続ける。
「ぼくの心には、ちゃんともう一人の若菜がいる。だから、ぼくは家族を愛していられるんです。消えたりなんかしていない。この気持ちは確かに、もう一人の若菜がいた証なんだと思います」
「若菜さんの気持ち……」
「もう一人のぼくは、自分が若菜になることもできたのに、ぼくを助けてくれた。だから、ぼくはもう一人のぼくの願いを叶えることにしました。もう一人のぼくが遺してくれた気持ちを、忘れないために。これからは、悪いことはやめて家族と仲良くしていこうって思ってます。失った時間を、取り戻します」
冬陽は、瞠目した。
若菜の願いを叶える。そう言い放った元の若菜の表情。先程までの覇気のない様子とは違う、意志の強い視線と固く結ばれた唇。
その表情に、もう一人の若菜の面影を見たのだ。
確かに、若菜は彼女の中にいる。そう思うには十分だった。
「……わたしが消えても、元の冬陽の中にわたしは残る……」
若菜は言っていた。家族への愛情。その発露が自分であると。
冬陽は気付いた。夏樹への恋慕の想い。その体現が自分であると。
夏樹への恋心を封じ込め、恋愛を避けてきた元の冬陽。そんな彼女の強い想いが、今の自分を成り立たせている。
では、自分は何のために生まれたのか。
恋に背を向けた少女の本心。そこから生まれた自分と、好きな人の存在。
コインの裏だった自分が、何故表に出てきたのか。
冬陽は大きく息を吸う。肺に満たされるのは、慣れ親しんだ家の空気。
今度は、それをゆっくりと吐いていく。溜まったものを吐き出すように、ゆっくり、ゆっくりと。
「ああ、そっか。そうなんだね……」
恐怖も、迷いも、怒りも、全てがスーッと心の中へと消えていく。
冬陽は、ようやく理解した。自分が選ぶべき道を。
「若菜さん――いや、若菜ちゃん。わたし、ようやく分かったわ。あなたと、それから若菜さんのお陰で」
憑き物の落ちたような表情で、冬陽は元の若菜に言った。
「そうですか。これで、ぼくも一安心です」
「感謝するわ。ありがとう。よければ、前の若菜さんと同じように、友達になってほしいのだけれど……どう?」
ティッシュの海を挟んで、冬陽が上目遣いで元の若菜を見上げる。
元の若菜は、頬を染めてその視線から一度だけ顔を背けた。しかし、彼女の視線は冬陽を捉えたまま。やがて、冬陽の反応をちらちらと伺いながら、もじもじと――
「――は、はい。ぼくでよければ……よろしくお願いします」
――顔を真っ赤にしながら、元の若菜は頷いたのだった。
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