第47話 元の冬陽のスマホ

 ――ガチャリ。と、鍵は簡単に開いた。


「お兄ちゃん。そのキーホルダー……」

「ん? ああ、これがどうかしたか?」


 冬陽は鍵についた四つ葉のクローバーのキーホルダーを見つめていた。


「これ、もしかしてお兄ちゃんがあげたやつじゃない?」

「……なんで分かった?」


 冬陽の言う通り、このキーホルダーは夏樹が冬陽と疎遠になる前の小学校時代にプレゼントのしたものだった。


 慄く夏樹に、冬陽は「にひひ」とイタズラが見つかった子供のように笑った。


「内緒、って言いたいところだけど、実はよく分からないの。でも、そのキーホルダーを見た時、心がぽわーって暖かくなったんだよね。だから、きっと元のわたしはそのキーホルダーを大切にしていたんじゃないかなって思うの」


「そういうものなのか? 捨てるに捨てられなかっただけじゃないか? ガキの小遣いで買えるような安いキーホルダーだぞ?」

「プレゼントは値段より想いだよ? お兄ちゃん」

「……お前、この前小日向のプレゼントが自分より高くて怒ってたじゃないか」

「あれはお兄ちゃんが悪いの! どうして仲直りしたい人より高いプレゼントを他の人にあげるかなぁ! しかも、よりにもよってわたしの目の前で!」


 冬陽は、ポニーテールを逆立ててプンスコと怒る。


 夏樹は「悪かった。悪かったって」とひたすらに謝り倒した。その甲斐あってか、冬陽は一応機嫌を直したらしかった。ふぅっと、夏樹は肩を撫で下ろした。


「とにかく。気を取り直して開けるぞ?」

「ん。どうぞ」


 扉を開けると、中は薄暗かった。夏樹は扉の横の壁を擦った。すぐに灯りのスイッチを見つけたので、それを押す。


 電気がつくと、部屋の中が明らかになる。夏樹も数年ぶりに、冬陽の部屋を見た。

 元の冬陽の部屋はシンプルで、正面に勉強机と、小さい時に親から貰ったというエレクトーン。左にベッド。右に箪笥と本棚と、これだけしか物がない。


「あれ? この写真は?」


 とてて、と。冬陽が正面の勉強机に駆け寄って写真立てを手にした。


 そこには、おでこに湿布を貼って恥ずかしそうに俯くセミロングの少女と、この写真を撮った人物を非難しているかのような顔をした学生服の少年が写っていた。


 特に、セミロングの少女は隣にいる冬陽と瓜二つだ。


「あー……これね」


 夏樹は、その写真を見てげんなりする。


「これが、元のわたし……。ねえ、お兄ちゃん。これはいつの写真なの?」

「いつって、まあ二年ちょい前かな。この前話したろ? 冬陽が車に轢かれたって聞いて、受験放り出して病院に行ったら、デコだけ怪我してたってオチのやつ」

「そういえば、そんなことも言ってわね。ほんと、お兄ちゃんはバカだねー」

「うるせ。んで、後から来た親父が爆笑しながら撮ったのが、この写真だ」


 当時のことを思い出すと、今でも顔から火が出そうだ。この一件以降、ますます夏樹は冬陽と話しにくくなってしまったのを覚えている。


 冬陽は、少し熱っぽい顔でその写真を眺めていた。


「ふーん。でも、だとしたら元のわたしは、よっぽどその時のことが嬉しかったみたい。だって、こうして写真まで残してるんだもん」


 冬陽は、そう言って面白くなさそうに写真を見続ける。


 写真の中の冬陽は、今の冬陽にそっくりだった。綺麗な黒髪をセミロングにしていて、手足は華奢で白い。身長は夏樹より少し低く、体つきは豊満でこそないが別に貧相というわけでもなく、むしろバランスが取れていて見栄えがとてもいい。


 16歳の冬陽も、この頃からあまり変わっていない。元の冬陽の姿を知ってもらうには、この写真は丁度いいだろう。


 しかし、何故か冬陽はその写真を見て溜息を吐いていた。


「……はあ。やっぱりこの歳になっても、若菜さんや楓さんには勝てなさそうだよー」

「ん? 勝てないって、何が?」

「なんでもない……」


 何故か意気消沈している冬陽は、写真立てを元の場所に置いて辺りを見回した。何か気になるものを探しているようだ。


 辺りを見渡していた冬陽は、ふとベッドの方へ視線を向けた。


「あっ。あれって、もしかして……」


 元の冬陽が小学生の頃から使っている木製のベッド。そのベッドの枕元に、スマートフォンが一つ置いてあった。


 それをベッドに上って取ろうとする冬陽に対し、さすがの夏樹も声を上げようとした。


 しかし、すんでのところで夏樹は思い出す。スマフォにはパスワードが設定されている。今の冬陽が、そのパスワードを知っているとは思えない。


 案の定、冬陽はスマフォのパスワード画面で手をこまねいていた。何回か適当にパスワードを入力したようだが、どれもハズレたようだ。


「あんまりパスワードを間違えると、しばらく使えなくなるぞ?」


 やんわりと、見ない方がいいと忠告する。すると、冬陽の指がピタッと止まった。


「……お兄ちゃん」


 くるっと、冬陽が振り返って夏樹を見上げた。一本にまとまったポニーテールが翻る。


「な、なんだ?」

「元のわたしが事故に遭った日、いつか覚えてる?」

「えっ? ああ。えっと、推薦入試の日だったから、2月19日だった気がするけど……」


 それだけ聞くと、冬陽はタタタッと数字を入力。入力した数字は『0219』。

 すると、スマフォはいとも簡単にロックを解除してしまった。


「なっ……!」


 驚いた夏樹に対して、冬陽はペロッと舌を出す。


「ひひっ。女の子って、案外嬉しかった日をパスワードに設定したりするんだよね」

「そ、そんな知識、一体どこで……。スマフォだって持たせてないのに……」

「ふっふっふー。ドラマでスマフォの使い方はマスターしたのだー」


 得意げに鼻を天狗にして喜ぶ冬陽。パスワードを突破したその手は休むことなく、まるでこのスマフォが初めから冬陽のものであったかのように動く。


 冬陽は、おなじみのメッセージアプリを見つけると、声を上げた。


「うわーっ。通知数がカンストしてる。きっと、みんな心配してるんだね――ん?」


 スマフォの画面をタップしていた冬陽の指が不意に止まった。少し考え事をしているかと思ったら、今度は高速で画面をタップ。そして指で何度も画面を縦にスライドし始めた。なんとも忙しない奴だ。


「おい。もうそろそろ止めとけって。いくらもう一人の自分でも、見られたくないものとかあるだろうし」

「ちょっと黙ってて、お兄ちゃん」


 何やら切迫した声の冬陽が夏樹を黙らせる。夏樹はそれ以上、冬陽を止めなかった。


 冬陽はしばらくの間スマフォをスライドさせていたが、やがてベッドから降りて夏樹の前に立った。


「お兄ちゃん。あの人、どうやら真っ黒みたいだよ」


 明らかに怒りの色を露わにした冬陽が、スマフォの画面を夏樹に見せる。


 そこには、水橋と冬陽の個人チャットの様子が表示されていた。未読数は+999。

 夏樹は、冬陽が見せたチャット画面を食い入るように見つめた。

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