第46話 冬陽と秘密の部屋

 夕飯は手作りクリームコロッケとロールキャベツにした。しかし、料理はいい。初めての料理に挑戦した分、余計なことを考える余裕が無かったのが良かった。


 夏樹は、リビングのテーブルに並んだ傑作の数々を見て、少し心が落ち着いた。


 特に熱々のクリームコロッケは、夏樹自慢の一品だ。きつね色の衣を割ると、中からトロッと手作りクリームが溢れる。これがまたウスターソースと合うのだ。


 これなら、冬陽も「美味しい」と言ってくれるだろう。ふんすと鼻の穴を広げると、夏樹は冬陽が風呂掃除を終えて戻ってくるのを待つ。


 すると、夕飯の匂いにつられたのか、五分ほどして冬陽が戻ってきた。


「はぁー。ずっと屈んでて腰が痛いわ。――ってわっ。今日はえらく豪勢だね」


 長い黒髪をポニーテールにした冬陽は、テーブルの料理を眺めた後、自分のコップを食器棚から取り出しながら言った。


 夏樹は箸を二膳取り出すと、向い合せになるようテーブルに置く。


「そりゃ、今度こそ冬陽に『お兄ちゃん美味しい』って言わせるためだ。そのために俺は料理をしてるんだからな」

「ふーん。それじゃあ、仕方ないからわたしが毒見してあげるわ」

「毒見って。もうあの頃の俺とは違うぞ?」

「ふひひっ。どーだか」


 嫌な笑みを浮かべながら、冬陽は席について箸を手に取る。夏樹も席に座ると、一緒に手を合わせて「「いただきます」」と言った。


 夏樹はクリームコロッケに添えたサラダを口に放り込みながら、冬陽が箸で丁寧にクリームコロッケを割る様子を凝視する。予想通り、きつね色の衣の中からトロッとクリームが零れてくる。


「……お兄ちゃん、さすがに見過ぎ。キモいよ?」

「う、うるせえ! だったら、早く食って感想寄こしやがれ」


 挙動不審になる夏樹に呆れた冬陽は、垂れる黒髪を耳に掛けてからクリームコロッケを口に入れた。


 もぐもぐと冬陽の口が動く。そして、少し大げさにパッと目を見開くと――


「うん。普通かな」

「またそれかよ。いい加減美味しいって言ってくれよ……」

「いやいや、お兄ちゃんはまだまだだよ。その程度の腕では、この冬陽さまの肥えた舌を唸らせるにはまだ遠いよ」


 ちっちっち。と、冬陽が夏樹の前で指を振る。ぐぬぬっと歯を食いしばる夏樹だったが、このやりとりももう十数回目だ。最近では、悔しいよりもそうこなくてはと思うことの方が多い。それから、次の料理を考えるのも夏樹の楽しみになりつつある。


「……うーん。これでだめなら、次は王道で豪勢なステーキで攻めるか? それとも田舎の味を追求した肉じゃがで再度攻めるか……」


 思案顔でブツブツ言う夏樹を、冬陽は楽しそうに眺める。


 冬陽は幾度か箸をつけて、クリームコロッケを平らげていく。そしてロールキャベツに手を出しつつ、茶碗の中の白飯を口に放り込んでいく。


 食事も佳境に差し掛かった頃、冬陽は夏樹の顔を見て言った。


「……ねえ、お兄ちゃん。あの男の人のことだけど、楓さんに訊いてみたりしてくれない? さすがのわたしも、あんな見ず知らずの人に言い寄られ続けるのはキツいし」


 冬陽がそう言うと、夏樹は何故か視線を下げてしまった。


「いや、それがな? 今日一日、小日向と連絡がついていないんだ。既読もつかないし。やっぱり風邪を引いちゃったのかと思ってるんだが……」

「そうなんだ。じゃあ、やっぱり奥の手しかないね」

「奥の手?」


 夕飯を平らげた夏樹は、お茶を口に含みながら冬陽の言葉におうむ返しをする。

 冬陽は真剣そのものの表情で夏樹に告げる。


「そ。元のわたしの部屋を物色するの。そうすれば、あの男との関係が明らかになる」

「そうか。なら、お前が勝手にやってくれ」


 平皿の上に空っぽの茶碗を乗せると、夏樹はすぐさま立ち上がって台所へと向かってしまった。


 冬陽は慌てて立ち上がる。後ろのポニーテルがふわんと揺れた。


「いやいやいやお兄ちゃん。これは真剣な話だよ? お兄ちゃんの知らないことで、尚且つ楓さんとも連絡がつかないなら、必然的に部屋を物色するしかないでしょ?」

「理屈は分かる。でも、冬陽のプライベートを荒らすなんてしたくない」

「なんでよ? 好きな人の部屋なんでしょ? それなら逆にチャンスじゃない。元のわたしの本当の姿、知りたくないの?」

「ほ、本当の姿……」


 確かに、夏樹としても元の冬陽が何故あのような男と付き合っているのか気になるところではある。しかし、だからといって人の部屋に勝手に入るのもどうかと思う。


 昔から夏樹は、母親から心配されていた。中学生になった頃から、母親から常日頃『あんたは冬陽の部屋に勝手に入っていけないことをしてそう』とか『お願いだから犯罪者にはならないでね』と脅されていた。何を心外なと思っていた分、いざそれをするとなると乗り気にはなれない。


 夏樹は腕を組んで思案した後、人差し指を立てた。


「なあ、お前一人で見てくれないか? ほら、冬陽の部屋の鍵なら渡すし……」

「……お兄ちゃん。好きな女の子の鍵を、ずっと持ってたの? へんたい」

「お、おまっ! ち、違うからな!? こ、これはお前に元の冬陽の存在を気付かれないようにしたものであってだな! 別にやましいことをするつもりで持ってるんじゃない!」


 手の平を見せながら慌てて弁明すると、冬陽は「へっ」と鼻で笑った。


「冗談だって。なんでそんなに慌ててるの? もしかして、本当に――」

「だーっ! だから違うっての! もしかしてお前、俺を信じられないのか!?」

「信じてるよ」真顔で即答する冬陽。


 ぴしゃりと言い放たれてしまった夏樹は、グッと言い淀んでしまう。


 気まずそうにする夏樹を、冬陽は正面から見つめた。


 切れ長の瞳から放たれる視線が、夏樹の挙動不審な視線を捕まえる。


「わたしね、お兄ちゃんに見ててほしいんだ。これはわたしの勘なんだけど、元のわたしがあんな男と一緒になるなんて思えないの。きっと、何か理由があるはずだわ」

「り、理由って。だとしても、そこに俺が介入する権利なんて――」

「ある。だって、きっと元のわたしは……」


 そこまで言うと、何故か冬陽は黙り込んでしまった。


「おい。どうした? 冬陽」

「ん……。いや、なんでもない。とにかく、わたしだって困ってるんだもん。学校で助けてくれない分、お兄ちゃんにはここでわたしを助けてもらわないとね。それとも、お兄ちゃんは可愛いわたしを助けてくれないのかな?」


 そう言われると弱い。元の冬陽の事とはいえ、現に冬陽は水橋のことで迷惑を被っているのだ。ここは、割り切って彼女を助ける方が今後の生活のためになるかもしれない。


 ごめん。冬陽、母さん。そう心で謝って、夏樹は目の前の冬陽と向き合った。


「……わかった。俺も手伝うよ」

「決まりだね」


 洗い物は後回しにしよう。そう決めた夏樹は、冬陽を連れて廊下へと出る。


「ちょっと待ってろ。今鍵を持ってくる」

「ん。わかった」


 夏樹は早歩きで自室に向かい、かつて日記を仕舞っていた勉強机の引き出しを開けた。


 そこには、『冬陽の部屋』と書かれたプレートと、クローバーのキーホルダーが付いた鍵が一本入っていた。それが冬陽の部屋の鍵だ。


 彼女が倒れて以降、夏樹はこの鍵で冬陽の部屋を封印していた。でも、それももう昔の話だ。今の冬陽は、元の自分を知ろうとしている。前に進もうとしている。なら、それを夏樹が止める権利はない。


「……さて」


 夏樹はキーホルダーの付いた鍵を取り出すと冬陽の元へと向かった。


「待たせたな」


 冬陽の部屋の前の壁にもたれる冬陽に声を掛ける。


「いいよ。それより、早く開けて」

「はいはい」


 鍵を差し込み、右に捻る。

 ――ガチャリ。と、鍵は簡単に開いた。

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