第26話必勝法

「……分かったよ。ちゃんと傍にいる」


 我がままで気分屋で、何もかも自分の好きだった冬陽と正反対である今の冬陽だが、だからこそ傍にいてやりたい。放っておけない、そう思う。


 小日向が時間を確認する。そろそろ学校に向かわなければいけない時間だ。


「それじゃあ、私はそろそろ学校に行ってくるね」

「ああ。気を付けてな」

「う、うん。えへへ。なんだか春野くんにお見送りされるの、新鮮だね」


 垂れ目を更にとろんとさせて、小日向が恥ずかしそうに微笑む。


「まあ、今日は都合が都合だしな。そうだ、小日向。お前、傘持ってるか?」

「ふぇっ? も、持ってないけど……」

「今日は昼から一気に天気が崩れるって話だ。傘、持ってないなら貸すけど?」


 そう言うと、夏樹は玄関に立てかけていた紺の傘を取り出して、それを小日向に渡した。


「あ、ありがとう……。やっぱり優しいね、冬陽ちゃんから聞いた通り」

「あいつが?」


 そんな馬鹿な、と。夏樹は冬陽がいるであろう母の部屋を目で追った。

 小日向は夏樹が勘違いしたのに気付き、首を横に振った。二つくくりの髪が揺れる。


「ちがうよぉー。親友の冬陽ちゃんだよぉ」

「あっ……ああ、そうだよな。ってか、冬陽がそんなことを?」


 意外だった。小日向を冬陽から紹介されたのは小学校の頃だ。その後、冬陽と疎遠となった後も夏樹と小日向の交流は友達の友達程度には続いていたのだが、冬陽が自分の話をしていたなんて初めて知った。


「うん。冬陽ちゃん、言ってたよ? 車にぶつかって病院に運ばれた時、夏樹は誰よりも早く病院に来てくれたって。その日って、確か工業高校の受験の日だったんでしょ?」

「あー、そんなこともあったなあ」


 二年前の冬。夏樹は志望校だった時雨工業高校の受験に向けて水沢駅に向かっていた。


 その時、友達と約束をしていた冬陽が事故に遭ったと両親から電話が来たのだ。いてもたってもいられなくなった夏樹は、電車であの県立医療センターに向かった。


「でも、あれは俺の早とちりだったしなあ。恥ずかしい話だ」


 結局のところ、冬陽は車に轢かれたのではなくぶつかっただけだった。ぶつかった衝撃でうつ伏せに倒れた冬陽は、ねん挫とおでこを擦りむいただけで命に別状はなく、念のための病院搬送だった。


 それを夏樹が知ったのは病院でだった。もちろん、受験には間に合わなかった。


「冬陽ちゃんってば、未だにお礼を言えてないって言ってたよぉ」


 小日向が懐かしそうに話す。確かに、夏樹は冬陽から礼を言われることは無かった。


 それどころかその一件以降、以前まであった最低限のコミュニケーションさえ無くなってしまった。


「礼なんて言われてもなあ。俺が勝手に突っ走っただけだし」

「そんなことないよ! 冬陽ちゃん、絶対嬉しかったはずだから!」


 だったら何故、冬陽は自分から更に距離を取ったのだろうか。

 きっと、自分の行動は冬陽にとって迷惑だったのだろう。日陰者でクラスでは貧民のようなポジションだった自分にとって、貴族様の気持ちは推し量れなかった。


「あっ。姉さん、もう行くの?」


 夏樹の背後で声がした。そこには、14歳のわがままボディ若菜が立っていた。その後ろにはパジャマ姿のちんまい冬陽もいる。


 傘を大切そうに持った小日向が、ふわっと笑った。


「あ、うん。そうだよぉ。どうしたの?」

「途中まで一緒に行こうかなって思って。ボクも今日は帰るし」

「若菜ちゃん帰っちゃうのか? せっかく来たのに?」


 夏樹は少し驚いた様子で言う。せっかくなら、もっとゆっくりしていけばいいのに。


「はい。お邪魔虫は退散します。冬陽ちゃんには、一通りの生理用品の説明はしておいたんで、安心してください」


 ニコリと微笑んだ若菜。その手がそっと、彼女の背後にいる冬陽には見えないように夏樹へ伸びた。


 サッと、何か紙片のようなものを握らされた。


 冬陽に背を向けたまま、くしゃくしゃのそれを開く。


 若菜が、玄関で靴を履いた。


「それでは、また明日」

「いってくるねー、春野くん」

「ああ。いってらっしゃいー」

「ばいばい」


 二人の少女を見送って、玄関を閉める。

 ぺたぺたと廊下を歩いていく冬陽の背中に、夏樹は声をかけた。


「冬陽、体調はどうだ?」

「ん? 結構まし。若菜ちゃんに薬もらったし……しばらくは大丈夫」

「そか。なら、今日はちょっと早めに昼飯食って病院に行くか」


 そう言うと、冬陽は顔だけをこちらに向けた。


「別にいいけど、なんで?」

「なんでって、そりゃあ……めでたい日だし、寿司の約束もあるしな」


 何か企んでるな? そんな意味の籠った冬陽の視線が、夏樹に突き刺さる。

 なんとか上手く言おうと思っていた夏樹は、失敗とばかりにガシガシと頭を掻いた。


「あーもう! 駅前にあるバイキングの店があるんだ! この前小日向から教えてもらって、女の子に人気だっていうからそこで飯食おう! なんつーかその……で、デートの誘いだっつーの! 寿司もある――」


 途中で夏樹の台詞は途切れた。ドンと、冬陽が夏樹にぶつかったからだ。


「ふ、ふゆっ――」

「本当? ありがとう!」


 胸元に顔をグイグイ押し付けてくる冬陽。今までの不機嫌そうな様子から一変。嬉しさを抑えきれないといった様子だ。


「そういうことなら、今すぐお布団で体調整えておかないと!」


 がばっと顔を上げると、そこには向日葵すらも恥じらうほどの満面の笑みがあった。


 夏樹の心臓が、一際大きく高鳴った。

 冬陽は夏樹から離れると、自室へと戻っていく。扉に手を掛けると、くるっと振り返った。セミロングの綺麗な黒髪が揺れた。


「お兄ちゃん、大好きだよっ!」


 冬陽は浮かれた笑顔でそう言うと、バタンと扉を閉めて部屋に入ってしまった。

 玄関に残された夏樹は、ぼーっと見惚れたまま立ち尽くして、ぼそっと呟いた。


「若菜メモ……本当に本当にありがとう」


 若菜からもらった紙片には、こう書かれていた。

『駅前のバイキング(お寿司もあります)に誘ってください(デートって必ず言うこと!)。女の子に人気です』と。


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