第14話 小日向と

 学校の授業はつつがなく終了し、夏樹と小日向は春野家へと小走りで向かっていた。その間に、夏樹は小日向に今朝のフレンチトースト事件を語った。


「最初は誰だってそんなものだよぉ。私だって、はじめから料理ができたわけじゃないんだから」


 小日向は少し長い二つのおさげを揺らしながら笑う。ついでにおっぱいも揺れていた。


 足を繰り出す度に揺れるおっぱいに目が行きがちになっていた夏樹は、小日向に気付かれる前に口を開いた。


「でも、できるだけレパートリーを早く増やさないと、カップ麺や外食ばっかだと栄養も偏るし金もかかる」

「だよね。今の春野くん家には、贅沢してる余裕はなさそうだもんね」

「そうなんだよ。なんかこう、金がかからず日を跨いでも食べられるメニューを作れるようにならないと……」


 夏樹が悩んでいると、小日向がぴんと人差し指を立てた。


「それじゃあ、カレーとかどう? 簡単だし、いっぱい作れば日を跨いでも食べられるし、ナンやうどんを買えばレパートリーも増えるよ?」

「カレーかあ。中学の修学旅行で作った以来だなあ」


 だが妙案だ。中学生も徒党を組めば作れる簡単メニュー。それなら自分にも作れるかもしれない。いや、事実作ったことがあるのだ。作れないわけない。


 夏樹の笑みが徐々に邪悪になっていく。隣でそれを見ていた小日向は、嫌な予感がして提案した。


「で、でも最初は誰かと一緒に作った方がいいかもっ。わ、私も若菜を家に入れてもらっているし、そのお礼も兼ねて……わ、私と一緒に……カレーを――」

「おっ、そりゃ助かる。それじゃあ、小日向先生にご教授を願おうかな」

「う、うんっ。それじゃあ、一旦帰ったら食材を買いにいかないとね」


 小日向は仄かに顔を紅潮させて微笑んだ。


 二人は夏樹の住むマンションのエントランスを抜ける。エントランス正面のエレベーターを使うほどでもないので、そこを右に曲がって連絡階段へ向かう。


 小日向は階段に足を掛けると、先に階段を駆け上がって夏樹に問いかけた。


「ねえ、春野くん。日記、書いてる?」


 階段の中腹で立ち止まった小日向に、ようやく階段の一歩目を踏んだ夏樹も同じく立ち止まり、彼女を見上げた。


 逆光のせいで、彼女の表情が分かりにくい。


「日記? あ、もしかしてあの担当医の人に書くよう言われた……あれ?」


 夏樹の問いかけに、小日向はこくりと頷いた。


 冬陽が退院する際に、夏樹は担当医から日記をつけるように言われていた。内容は冬陽とのコミュニケーション内容や、その時自分がどう思ったかなどを要求されている。何のために書くのか分からないが、夏樹は取り合えず言われるがまま書くことにしている。


 小日向が訊いてくるということは、この作業はクラン症候群の患者を持つ親族全員に義務付けられているということなのだろう。


「ああ。一応書いてるよ。今の冬陽は、元の冬陽と違うところが多いから書くことには困らないしな」

「そう、なんだ。絶対に、欠かさずやるんだよ?」

「やってるよ。っても、まだ三日目だけどな」

「なら、いいけど……」


 なんだか煮え切らない答え方。少し疑問に思った夏樹だったが、理由を聞くよりも先に小日向は階段を登りはじめた。


「ほら、二人が待ってるよ? 急ご」

「あ、ああ」


 夏樹は鍵を取り出すと、小走りで玄関へ向かう。玄関で小日向を待たせるわけにはいかない。いそいそと鍵を差し込み、回す。


 しかし、一体日記に何の意味があるのだろうか。自宅療養中の患者の行動を知るためのものではないのか?


 扉を捻りながら考えるが、答えは出なかった。

 小日向の様子からすれば、何か大切な役割があるようだが……


「兄ちゃんー! おかえりいいいいいぃぃぃぃ!」


 玄関を開けた瞬間。鳩尾に飛び込んでくる小さい人影。考え事のせいで咄嗟に回避することができず、小さい何かの頭が鳩尾にクリティカルヒット。卒倒級の激痛が夏樹を襲った。


「ふぐっ……!」


 激痛の後に感じたのは既視感。頭のどこかでエレベーターのアナウンスが言ったような気がした。

『ドアが閉まります』と。

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