分岐点

 生憎の曇天であった。重々しい雲たちは今にも地上へ垂れ込まんとし、白い閃光のように世界は霞みがかっている。

 私はそんな空を見上げながら、電車に揺られていた。行く先等知らない。宛のない旅のようだった。


 漠然とした不安を胸にし舞い込み、私は見慣れた駅で下車した。人がまばらにいるホームであったが、何の音もしない。

 近くの道路で走る車や信号機の音、人の足音、電車の発進音、アナウンス。いつも聞こえてくるはずの音は全て聞こえなかった。

 聞こえないからと言って、なにかあるわけでもないのだが。私は暫く、ホーム内をウロウロしていた。

 

 参ったな。次はどれに乗ればいいのだろう。私が迷っている内に、電車はホームに入ってきては、発車して行く。

 取り合えず、私の家に帰るための路線に向かおうか。一番端のホームに入るために階段を上がったとき、丁度、私が乗ろうかと思っていた電車が発車してしまった。


 ああ、逃してしまったな。とても残念に思えた。あれを逃しては、もう帰れない気がした。それはとても怖かった。酷く後悔した。

 もう帰れない。私はもう帰れないのだ。向かわねばならない。

 けれど、どこに向かえばいいのか分からない。


 気付けば雨が降り始めていた。どうやら垂れ込んでいた雲は、ついに落ち始めたらしい。

 雨の音だけはやけに耳についた。その音を聞いていると心の中にし舞い込んだ不安に重みが増していくようで、その音から逃げるように私は階段を下りた。


 上のホームでは人がまばらだったわりに、下の改札内エリアには沢山の人がいた。

 まるで通勤ラッシュの時間帯のよう。だが今は、放課後で寧ろ帰宅ラッシュなのかもしれない。

 それにしたって、皆はこの改札内エリアに蔓延しているだけで、一向に改札口を通ろうとしなければ、ホームへ上がってさえ行かないのだが。


 そうだ、改札から出ればいいのではないだろうか。そしたら新しい道が切り開けるかもしれない。


 少し希望が見えた気がした。だがそれはすぐに断念されてしまう。

 私は改札を出るための定期を持っていなければ、切符さえ持っていないのだ。これではここから出ることなんて不可能だろう。

 それに、私は改札の場所に辿り着けない。こんなに人が多くては、出たくても出れない。


 私はここから出られないようだ。


 そう言えば、と私は先の電車で席を一緒にしていた一人の女性を思い出した。

 きっと新社会人だろうその女性は、この天気を見越してか傘を手に持っていた。

 女性と私は面識がなかった。初対面であったのだが、私は何故かその女性に話し掛けていた。


 話していた内容はつまらないもので、女性の勤務時間や私の授業時間の話をしていた。

 やけに時間にこだわっていた気がする。

 女性は何万時間と働いていた。かくいう私は何千時間程度しか勉強をしていなかった。

 女性は快活に、笑顔で私と会話をしていたがそれが空元気であることは直ぐに分かった。

 まだ若いのに、老けて見えた。疲れていたのかもしれない。

 笑顔が悲壮感に拍車をかけていて、居たたまれなくなった。

 同時に、その女性の顔がやけに私と似ていて、嫌悪感があった。それでも、可哀想に、と同情していた。


 あの女性は私が降りた電車に乗ったまま何処かへ行ってしまった。

 一体どこに行くと言うのだろう。あの人が目指すのは何だったのだろう。

 時間なんて聞いていないで、そちらの方を聞いておけば良かった。


 雨は止まない。

 どの電車に乗れば良いのか分からない。

 私がどこに向かっているのかも分からない。


 漠然とした不安は、私のなかで蟠っている。


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