第9話 初鹿野雪菜

「……で、どうして俺んに?」


 玄関を開けた先に立っていた黒髪ポニーテール女子、雪菜に何用かと俺は訊ねた。


「時間……確認してみ?」


 雪菜は左手首の内側を指差し、現時刻を確認するよう促してきた。


「げ、もうこんな時間かよッ⁉」


「そうだよ? いつもの場所に全然こないからさ、心配になってきちゃったってわけ」


「そうか、わざわざすまん。てか、俺が先に行ったとは考えなかったのか?」


「う~ん、それも考えたけどすぐに捨てたかな。一成は時間にきっちりなタイプだし、なにか不足な事態が発生して遅れているって方がしっくりきたんだ」


 雪菜の言を聞いて俺はなるほどなと納得する。


「にしても酷いよね、一成は」


「え、なにが?」


 俺が聞き返すと雪菜は食料を運搬するリスのように右の頬を盛大に膨らませる。


「心配になって来た幼馴染に対して居留守って、さすがにあんまりじゃない?」


 俺の口からごまかしの言葉が出そうになったが、寸でのところで飲み込んだ。


 恐らくデマじゃないだろう。どんな方法で知り得たかはさて置くとし、俺が居留守を使ったことをどういうわけか雪菜は把握してる、と見ておくべきが堅実そうだ。そう考えればチャイム連打をしてきた理由にも繋がる。もちろん、単純な嫌がらせじゃなければの話だが。


「どうして居留守をしたと断言できるんだ?」


「だって現に今、あたしの目の前に一成がいるじゃん。それって事情はどうあれ居留守だよね?」


「それは結果論だろ。俺が訊いてるのは過程、なにを根拠に居留守と判断したかだ」


「簡単簡単、玄関の鍵が閉まってなかったからだよ。居留守を疑うには十分じゅうぶんすぎるくらいの理由でしょ? もちろん、単なる鍵の閉め忘れって可能性もあったけど」


「居留守の方を信じたと」


「でなきゃあんなにピンポンピンポンしないよ普通」


 まるでチャイム連打をとするかのような雪菜の言い草に、俺は思わず笑ってしまう。


「どうして笑うの?」


「いや、深い意味はない。それよか雪菜は先に行ってていいぞ」


「え~なにそれひど~い! 一緒に行こうよ~」


「すまん、俺は〝千夏〟と二人で行きたいからさ」


「……………………はぇ?」


 ぽかんとした表情で間の抜けた声を漏らした雪菜。俺の発言が予想外だったのであろうことは一目いちもく瞭然りょうぜんだ。


 僅かな沈黙を挟んだ後、雪菜は少しばかり動揺した様子で口を開く。


「ち、千夏ちゃんと一緒に? え、あれ? 二人ってそんなに仲良かったっけ?」


「はっ、仲が良いなんてレベルじゃないぜ? ……親友、いや恋人と言っても過言じゃないくらいの信頼関係を千夏との間に築いてる」


「へ、へぇ……そうなんだ。え、でもあたしの記憶が正しければ先月廊下で千夏ちゃんとすれ違った時、舌打ちされてなかったっけ? 一成」


「ばっか、あれはちょっと暴力的な投げキッスだよ。千夏は愛情表現が苦手で誤解されがちだけど確かに愛はあった。受け取った俺が言うんだ、間違いない」


「そ、そっかそっか」


 困ったように笑った雪菜だったが、やがてその表情に諦めの色が浮かんでくる。


「千夏ちゃんと行くなら、しょうがないね……また教室で」


「ああ、また教室で」


 ひらひらと胸の前で小さく手を振った雪菜に俺は軽く手を挙げ返した。彼女はニコッと笑い、そのまま身をひるがえして足を進める。


 いつの日からか、千夏と雪菜の関係に亀裂が生じた。その亀裂は未だ修復されておらずギクシャクしたままだ。


 原因はわからないが、傍から見てる感じでは千夏が一方的に嫌ってるように思える。


 それについては雪菜も気付いているのだろう。だからこそ千夏に対して一歩引くような態度を取る。


 まぁこればかりは当人同士の問題だし? 言い方悪いかもしれんが俺には関係ない……そ、れ、よ、り、も、千夏とさっきの続きを――。


「――千夏ッ⁉」


 振り返るとそこには千夏がいた。待ちくたびれて俺の元まできた、というわけではなさそうだ。彼女の視線は俺に向いていない。


「待ってくださいよ、初鹿野さん」


「え、あ、あたし?」


 後ろから雪菜の困惑した声が届いてきた。


 その反応が面白かったのか千夏は口元を緩める。


「はいそうです。せっかくなんですから――三人で行きましょ?」


 しかし千夏の目は……笑っていなかった。

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