第49話 功山寺決起 5

 赤禰は養子になることで、陪臣ばいしんという武士奉公人の地位を手に入れたが、その地位も元の家柄も、高杉のように高くない。


 高杉の言った通り、戦国時代から毛利家に仕えている高杉家とは格が違う。


 俊輔は元々、百姓の子であり、赤禰と同じような身分だ。


 しかし、俊輔は高杉の発言を強い差別とはとらえていなかった。


(あの時、ああいうことを言ったのは失敗だったと思うけど……)


 奇兵隊を始め、諸藩には身分の低い武家奉公人や農家や商人など武士以外の家の出身の者も多い。


 そういう点では失敗だと思うが、高杉は俊輔を連れて決起し、新しい部隊も俊輔に任せた。


 もし、本当に差別意識の強い人間ならば、そうはしなかったはずだ。


 俊輔はいっときの失言より、高杉の行動のほうを信じた。


 それよりも俊輔は赤禰のやり方のほうが気に入らなかった。


(こいつは不届ふとどきな奴だ)


 ひそか俊輔を呼びつけて高杉党を切り崩そうとするやり方も気に入らなかったし、自分が高杉を裏切ると思われていることも俊輔は心外だった。


 赤禰はあるいは藩の中でもうめないよう、仲間がこれ以上死ぬことがないよう、幕府恭順派と反幕府派の仲を取り持ちたかったのかもしれないが、方法が失敗だった。


 俊輔は怒っていたが、ここで赤禰と言い合いをしても、何にもならないので、俊輔は赤禰の話を聞くだけ聞いて、仲間の元に戻り、この事を話した。


 すると、仲間たちは俊輔の話を聞いて怒り出した。


「なんだと! 赤禰の奴め!」


 これは放っておけないと赤禰を捕られようとみんなが動き出したが、赤禰は素早く察知して、その夜のうちにいなくなってしまった。


才子さいしにいっぱい食わされた』


 赤禰はそう書きおきを残していた。


 才子とは頭の回転のいい抜け目のないやつという意味で、この場合、俊輔のことをさした。


 いっぱい食わされたとは、まんまとだまされたという意味で、赤禰は俊輔をうまく説得できたと思っていたが、俊輔が話を聞くふりをして仲間に赤禰の行動を連絡したと知り、そう書き残したのだろう。


 三代目奇兵隊総督の赤禰が、高杉たちに裏切り者と追われることになり、自動的に奇兵隊のナンバー2だった山縣が奇兵隊を実際に動かす権利を握った。


 赤禰が失敗したことで転がり込んできた実権じっけんであり、山縣もそういう意味では幸運な人と言えた。

 

 この功山寺決起の時に、いちはやく、高杉と共に行くと決めて行動したことが俊輔の評価に繋がる。


 自分の地位や安全ばかりを優先して、友情や目標をないがしろにする人間ではない。


 俊輔は自らの行動でそう示したのである。


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