第36話 タンデムドライブ

 図書館からの帰り道、バス停で望月を見かけてから約1週間が経過していた。

 この1週間は俺にとって地獄と言っても過言ではないくらい忙しかったと言える。

 その理由は、経済史の5000字レポートと企業に提出するインターン用エントリーシートの作成の提出時期が運悪く被っていたからに他ならない。

 レポートが面倒なのは言うまでもないが、エントリーシートも企業によって内容が違っており、志望動機などの中身もそれぞれの企業ごとに考えなければならなかったため、想像を遥かに絶するレベルで大変だった。

 その上、レポートもエントリーシートも俺の人生を大きく左右する可能性があったため一切妥協する事も許されなかったのだ。

 その結果、この1週間は大学の授業とバイトに加えてレポートとエントリーシート作成に時間の多くを取られる事となり、自分のプライベートな時間がほとんど取る事が出来なかった。

 だがレポートとエントリーシートを苦労の末、今夜全て終わらせる事ができたので、ようやくこの地獄のような日々からもおさらばできる。


「マジで大変だった……昔の俺だったら絶対途中でギブアップしてた自信があるわ」


 望月に振られ、サークルを除名されたショックで勉強に目覚めて真人間に生まれ変わった俺だったが、その経験がなければ恐らく耐えられなかっただろう。

 まあ、以前のように適当に生きていた冴えない俺のままだったなら、そもそもインターンに申し込んでいなかった可能性も十分に考えられるが。


「紫帆には任せっぱなしになってたし、流石に何かお礼をしないとな」


 普段は交代でやっていた家事を、この1週間は紫帆に全て押し付けてしまっていたので、何かしらの形でお礼がしたい。

 俺はパジャマ姿でリビングのソファーに座って、アイスを食べながらテレビを見ていた紫帆に後ろから話しかける。


「この1週間は家事を全部やってくれたおかげで助かったよ、ありがとう。とりあえずやる事は全部片付いたし、明日からは今まで通り交代でやろう」


「そっか、無事にレポートとエントリーシート書き終わったんだ。お兄ちゃんお疲れ」


 テレビの画面から目を離した紫帆は、俺の方を向いてそう答えた。


「それでさ、何かお礼をしたいんだけど何か欲しい物とかやって欲しい事とかってある?」


「そうね、じゃあ私が大学を卒業するまで留年して欲しい」


 紫帆が笑顔でとんでも無いことを言ったのを聞いて、思わずツッコミを入れる。


「いや、お前まだそれ諦めてなかったのかよ」


 ゴールデンウィーク明けにも同じような事を言っていた紫帆だが、1週間家事をお願いした対価にしてはあまりにも大きすぎやしないだろうか。


「冗談だって、そんなに大きな声で叫ばないで」


「何も必要ないなら俺は無しにしても別にいいんだぞ」


 俺が呆れ顔でそう呟くと、紫帆は少し考えた後にゆっくりと口を開く。


「……なら、次の日曜日にバイクでどこか連れて行ってよ」


「それくらいなら全然大丈夫、どこか行きたいところはあるか?」


 また無茶な要求が飛んでくるのではないかと少し身構えていた俺だったが、バイクでドライブくらいなら十分叶えられそうだ。


「うーん、最近見てないから海に行きたいな」


「オッケー、それなら近くの海岸に行こう」


 6月中旬で時期的にまだ泳ぐにはほんの少し早いが、景色を見るだけでも楽しめそうなので、俺にとってもいい気分転換になりそうだ。


 


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 


 それからあっという間に数日が過ぎ去り、紫帆と約束した日曜日となった。

 予備のヘルメットを志帆に被らせて俺がバイクに跨った後、シートの後ろに座らせる。


「しっかりと腰に掴まってろよ」


「りょーかい、じゃあ行こう!」


 紫帆の元気な掛け声を合図にバイクを発進させ、そのまま海へと向かい始めた。

 今日は雲ひとつない快晴であり天候的には全く問題ないが、タンデムに慣れていない関係で事故の恐れがある事から、普段よりもスピードを落として安全運転でバイクを走らせる。

 そして走り続ける事30分、ついに今回の目的地である海岸に到着した。


「他には誰もきてないんだ」


 駐輪場から砂浜まで一緒に歩いてきた俺達だったが、紫帆の言う通り周りを見渡しても誰もいない。


「海開きが6月下旬くらいからって考えると、まだ時期が少しだけ早いからな。多分後1ヶ月くらいしてから来ればめちゃくちゃ人増えてると思う」


「でも私とお兄ちゃんだけの貸切っていうのもいいよね」


「確かに、海岸って混雑してるイメージが強いから、中々珍しい光景だよな」


 俺と紫帆はそんな会話をしながら、砂浜を2人並んで歩き続ける。


「あっ、そうだ。せっかくだし一緒に写真撮らない?」


「写真? 別にいいけど」


「オッケー、じゃあ撮ろう」


 俺が承諾すると、紫帆は海をバックにスマホのインカメラで写真を何枚か撮り始めた。


「こんな感じでどう?」


「おー、海と砂浜も綺麗に写ってるしめちゃくちゃいい感じに撮れてるな」


 スマホを渡されて、横にスワイプしながら見ていくと、どの写真も綺麗に撮れていたのだ。


「この写真私のSNSにアップしたいんだけど、別にいいよね」


 俺が感心しながら写真を見ていると、紫帆は突然そんな事を言い始めた。


「いやいや、それは駄目だろ。絶対誤解されるから」


「別にいいじゃん、私は誤解されても構わないよ」


 “紫帆が良くても俺が困る”そう言おうとする俺だったが、以前プリクラを撮った時に同じような事を言って機嫌を損ねてしまった事を思い出し、喉まで出かかった言葉を引っ込める。


「……分かった、じゃあ投稿してもいいけど、その代わりお兄ちゃんと撮ったって絶対書くんだぞ」


 俺の言葉を聞いた紫帆は、今度は引っ掛からなかったかと言いたげな表情になった。

 危ないところだったが、今回は紫帆の策略にはまらずに済んだようだ。

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