第208話 サイ、魔道船へ

「なんだこれ!? 今まで見たこともないんだけど」


 スリアンが唖然としたように目を丸くした。

 日が暮れて、薄雲の広がりと共に急に冷え込んだゼーゲル湾。上空には何百本もの光の柱が、まるで天から降り注いでいるかのようにあやしく揺らめいていた。

 だが、サイにはこれが何であるか一目でわかった。理彩の世界で読み込んだ大量の本の中に、よく似た気象現象についての説明があったからだ。


光柱ライトピラーだ」


 サイのこぼしたつぶやきに全員が驚いたように振り向く。


「沖に……水平線よりもっと向こうに、とても明るい灯りを備えた船がたくさんいるんですよ。それが空に反射して——」

「光? 船? 一体どういうことだい?」


 スリアンのいぶかしげなつぶやきは同時にサイの疑問でもあった。

 この世界では、船は陸地が見えないほど離れた沖合を航行することはほとんどない。観測技術が未発達で、自分の乗る船の位置を見失ってしまうからだ。

 それに、これほどまでに明るい光源をサイは知らない。タースベレデでは瀝青を何段にも蒸留した油で灯すランプがもっとも明るいが、大量の瀝青からごくわずかしか抽出できず、 かなり高価なため王都の重要施設でしか使われない。

 その上、水平線の向こうから雲の中に浮かぶ氷の粒に反射して届くほどの明るさには遠く及ばない。


「スリアン、ジョンコン、すぐに街の人の避難を。すごくイヤな予感がします」

「そ、そうだね。丘の方に……サイは」

「僕は、あの船で偵察に出ます」


 それを聞いてスリアンの顔が見る間に歪んだ。

 あの魔導船は魔道士以外を拒絶する。隣に立つと言ったばかりなのに、それをさせてもらえないのがやるせなく、悔しいのだ。


「でも……サイ」


 だが、サイはスリアンのすがるような視線をあえて無視した。


「あまり時間がないかも知れません。このままでは街は蹂躙されます。それだけは防がなくちゃ」


 サイは、光の出処をヘクトゥースを持ち込んだのと同じ勢力の船だとほとんど確信していた。


「大量の兵が乗り込んでいるのか、何らかの兵器を運ぶ船なのかは判りません。でも、確実に何かがいます。それが近づいてきています」

「ちくしょう! 一体なんだって言うんだ……」


 ジョンコンが悪態をついてペッと唾を吐くと、真剣なまなざしでサイの顔をのぞき込んだ。


「で、サイはどうするんだ?」

「はい、僕もすぐに動きます。ジョンコン、くれぐれも殿下をお守りして下さい」

「ああ、もちろんだ」

「待って! サイ!!」


 思わず駆け寄ろうとしてジョンコンに肩を押さえられ、悲痛な声音で名を呼ぶスリアンをその場に置き去りにすると、サイは一切振り向かずに階段を駆け下りた。




 港では、ディレニアが出港準備を始めていた。いっさんに桟橋を駆けてくるサイを見つけた船員が大声で叫ぶ。


「おい、チビ! 乗るのなら急げ!!」

「はい!」


 今まさに引き上げられようとしていたタラップを駆け上り、そのまま立ち止まらずに甲板を横切る。魔導船が横付けされている船倉に降りる階段の手前には、まるでそれを予期したようにフォルナリーナ女王が待ちかまえていた。

 吹き抜ける風が次第に強くなり、女王の髪を激しくなぶる。


「サイ君、来ると思ったわ!」


 女王は風に負けない大声でそう叫んだ。


「陛下! 魔道士ユウキは?」

「ユウキは夕方ここを出てマヤピスに向かったの。沖の光を見つけてすぐに伝令を出したけど、引き返してくるのはどんなに早くても明日の夜明け過ぎになるでしょうね」

「陛下はどうされるんですか?」

「残念ながら今のディレニアには何の武装もありませんから役立たずです。一旦国境のハブストルまで退いて、武器と食料、水を調達して戻ってきます。ごめんね、心細いかもしれないけど少しだけ踏ん張って!」

「もちろんです。あの船を使っていいですか?」

「ええ、すぐにもやいを解かせましょう。くれぐれも無茶はしないで!」


 彼女は念を押しながらサイに布袋を差し出した。


「わずかですが、水と食べ物です。こんなものしか用意できずすいません」

「いえ、ありがとうございます!」

「いい? サイ君、命を大切にね。あなたのことを案じてる人は一人じゃない。死ぬ程の無茶はしないで!」 


 サイは無言で女王に頭を下げ。船倉に降りる階段を駆け下りる。


「お、ボウズ、来たか」


 魔導船のそばには、船長と呼ばれていた若い男性が立っていた。


「あれ、船長室うえにいなくていいんですか?」

「ああ、出港準備が整うまで俺はヒマだからな」


 船長はニヤリと不敵に笑い、大きな目をぎょろりとひらめかせた。


「それよりボウズ、お前はアレをどう見る?」


 〝アレ〟とはもちろん沖合に浮かぶ光の柱のことだろう。


「僕らとは別の大陸、別の勢力に属する軍事組織。その先遣隊の船が放つ光かと」


 サイはかしこまって答える。


「規模は?」

「少なくとも数十隻」

「当然魔道船だろうなあ。武装は?」

「間違いなく。僕が最も恐れているのは、遠方から飛来し、着弾と同時に激しく弾ける武器を備えている可能性です」

「大砲か?」

「いえ、もっと大きな、丸太ほどの太さの細長い砲弾が、みずから炎を吐いて飛来する……ミサイルといいます」

「みさいる? 聞いたことねえなあ。雷の魔女が使った空飛ぶ鉄杭とは違うのか?」

「鉄杭?」

「魔女がサンデッガの王様に文字通り〝釘を刺す〟時に使ったヤツさ」

「ああ!」


 子供の胴回りほどもある太い鉄の柱が、赤熱しながら遙か天空から飛来し、ちょうど王と密談中だった大魔道士アルトカルの屋敷の庭に突き刺さったというものだ。

 ちょうどサイがサンデッガを離れていた時期に起きた事件で、後になってサイもこっそり屋敷を見に行ったことがある。


「元々鉄杭は、軍船の航行を妨げるためにドラクがタースベレデとの国境にある湖の底に植えたんだ。だが、魔女はそれを全部引っこ抜いてタースベレデに引きずって行っちまった。今もオラテ湖の湖畔に何百本と野積みされてるらしいぜ」

「へえ……」


 鉄杭のその後については知らなかったが、オラスピアではそれなりに有名な話らしい。


「他に気になることはねえか?」

「そうですね、兵士にそれぞれ超小型の大砲……小銃といいますが、それを持たせているのではないかと……」


 サイの脳裏にあったのは、理彩の世界で敵対した正体不明の軍事組織だった。

 一国の軍隊と張り合うほどの充実した装備を持ち、日本国内で何度もゲリラ活動を行ったあげく、南方の孤島にまで兵力を動かせる謎の組織。

 あの時対峙したエセ関西弁の兵士の顔がサイの脳裏をよぎる。


「まあいい、ボウズも気をつけて行ってこい」


 船長はそう言ってパンとサイの背中をはたき、もやい綱に手を掛けた。


「ほれ、急げ」

「はい!」


 サイは急かされるままに魔導船に乗り移る。

 船長はニカッと笑いながら親指を立て、魔道船の舳先へさきを右足でぐいと押しやる。その勢いで、魔道船はゆっくりとディレニアから離れはじめた。

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