第140話 アーカイブ
『聞こえませんでしたか? ではもう一度改めて。私と一つになりませんか?』
告げられた言葉の破壊力が強すぎて、サイは思わず顔を赤らめる。
「あのー、それって、つまり、肉体的な話——」
『いえ、全然違います』
だが、声はサイの誤解を打ち砕くように無感情に切り捨てた。
『私は、あなた方のような有機物の長持ちしない肉体にはみじんも興味がありません。私が価値を感じ、真に欲している物は、あなたの独特の思考、つまり、あなたの人格そのものです』
「よくわかんないな。身体はいらない人格だけ欲しいって、つまりどういうこと?」
『その腐りやすく不自由な身体を捨て、純粋な思念体として私との永続的な融合をしませんか、と
「その場合、僕はどうなる?」
『肉体的には活動を停止しますね。端的に言うと死にます』
「え!」
サイは目を丸くした。思わず開いた口がふさがらない。
『私に必要なのはあなたの思考だけですから。その代わり、あなたは私と融合し、ある意味私自身の一部かつ全部となって永続的な存在へと——』
「却下だ」
『へ?』
「だからイヤだって言ってる。すぐに僕を元の場所に返して欲しい」
声はあっけにとられたようにしばらく途絶え、やがて意外そうな口調で再開した。
『……まったく、一ミリも考慮の余地はなし、ですか?』
「うん」
『これまでにない斬新な反応で正直驚きました。私がこれまで
「おおかた、死にかけの老人にばかり声をかけたんじゃないのか?」
『ええー。確かに、高位能力者にこだわりましたから、運用歴の長い
「そもそも君の言うその、
『文字通り、私、アーカイブとコンタクトが可能で、かつ私を
サイはかつて、理彩の世界で漠然と感じていたことを改めて思い起こす。
シンシアという多用途支援衛星と、彼女の機能をハックして自分が魔法を発現できたという事実から、魔法とは魔力による〝奇跡〟ではなく、魔法を生み出す巨大な装置と、それを運用する人間の組み合わせによる純粋な〝技術〟だと思ったのだ。
「それより、ええと……シンシア、じゃなくて」
『む、違いますよ、アーカイブ、です』
少しむくれたような声が返る。
「アーカイブ、僕を元の世界に戻して欲しい」
『ええー、もう、ですか? もう少しお話ししませんか? それともこの眺め、気に入りませんか? バーチャルではありますが、私がいつも見ている風景と寸分違わぬ風景ですよ。素晴らしくないですか? もしこれがイヤなら、この星のどこか別の場所の風景でも構いませんよ』
「めんどくさ……」
『何か言いましたか?』
「いや、気のせいだろ? それより、やっぱり君の正体も人工衛星なのか」
『いえ、私の本体はちゃんと地上にあります。この風景は、この惑星を廻る、私の目であり手足でもある端末からリアルタイムで送られた映像の再構成です』
「なるほどね……まあ、君と話していたいのはやまやまだけど、僕にはまだこの世界でやらなくてはいけないことがある」
『それは、私の提案する永遠の命よりも魅力的なことなのですか?』
「魅力って言うか……うん、まあ、そうだね」
サイは迷うことなく頷いた。
「僕はかつて、大切な人を信じ切れずに逃げた。本当ならどこまでも信じて、あらゆることから彼女を守ってあげるべきだったのに、僕はそれをせず、ただ自分の身を守るために逃げ出したんだ」
『……ふむ』
「その結末は悲惨だったよ。結局、僕は自分の手で彼女を地獄に送り込み、あげくに目の前で彼女が絶命する瞬間を目撃した。ほとんど見殺しにしたようなものだ」
『しかし、それは……』
「その間、僕は別の世界にも送られた。でも、そこでも僕は中途半端だった。命を守ると約束して、僕を信頼してくれた女の子を、僕は結果的に戦火の中に置き去りにしてしまった」
あの自称女神の強制介入があったにせよ、もう少しちゃんと結末まで責任を持ちたかった。そのことを思い出すと、後悔の念で今も胸が刺されるように痛む。もう少し彼女と一緒にいられたなら、もっと違う未来が開けたはずだ、と、サイは頭のどこかでずっと考えて続けている。
「だから、もう、二度と後悔したくない。僕を心から信じてくれた女の子を、これ以上悲しませたくない。彼女の涙を見たくない」
長い沈黙が場を支配した。
『……あなたが言っているのは、ここしばらくあなたと行動を共にしていた小型個体のことですか?』
「小型って……まあそうだ」
『なるほど』
そう答えるアーカイブの声は何だか憮然としているようにも聞こえた。
『その個体なら、あなたが意識を失ってほどなくして、猛スピードで西に向かい始めました。もう間もなく国境を越えますが?』
「バカな! そんなはずはない。あの状況で彼女が国を離れるはずない」
『であれば、恐らく自発的な行動ではないのでしょうね』
アーカイブはそう言い放つと、口調を変えて懇願するように続ける。
『私は、自身を維持し、その演算能力をさらに強化するため、高性能な人格との融合を常に求めています。それは私の本能。もはや渇望していると言ってもいいでしょう』
「……うん。それは理解した。思ったより高く評価してくれてありがとう」
『それでも、私の
「今は無理だ。少なくとも、スリアンのことがちゃんと落ち着くまで。僕はもう二度と逃げ出すことはしたくない」
『……そうですか……』
サイの決意を込めた返事に、アーカイブはしゅんとしたようにポツリとつぶやくと、まるで生身の人間が鼻をすするような短いノイズを発する。
「そうしょげるなって、アーカイブ。僕は〝今は〟って言ったよ。僕がこの世界での使命を終えて、よぼよぼの爺になったらその時には迎えに来てくれていいから。どうせ君には寿命なんて概念もないんだろう?」
『あのですね、私は気鋭の
「あはは」
拗ねたようなアーカイブの物言いに、サイは思わず笑い声を上げる。
『仕方ないですね。でも、これからも何度だって誘いに来ます。私との融合の有用性を理解していただけるまで、ベッタベタに粘着しまくりますよ』
「お手柔らかに頼む。それより、そろそろ僕を帰してくれないか?」
『……わかりました。現地時間は深夜です。あなたが求める個体はすでに隣国との国境を越えました。方角的にはまっすぐ隣国の首都に向かっているようですね』
「そうか」
サイは小さく頷くと、窓辺に寄ってじっと眼下の球体を睨みつける。
「アーカイブ。良かったら僕に少し
『
「ああ、しばらくの間、僕にこの視界を貸して欲しい」
『何をするんです?』
「ああ」
サイは球体のある一点、左を向いた寸づまりの魚のような形の大陸を強く睨みながら右腕を伸ばし、大陸の西側一角を隠すように大きく指を広げると、そのままぐいと握りしめた。
「この際だから僕も、君に見限られないように、多少は価値があるところを見せておこうと思う。全力だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます