第139話 思いがけない提案

 まるで海の底から浮かび上がるようにポカリと目が覚めた。

 サイが目覚めたのは、まるでビジネスホテルの一室のような、見覚えのない明るい小部屋だった。


「あれ?」


 上半身を起こし、キョロキョロとあたりを見回す。

 部屋の壁はアイボリー系の明るい色合いで塗られ、窓にかかるカーテンはツヤのあるコバルトブルーで目にも鮮やかだ。

 ベッドはクッションの効いたマットレスに薄い水色の清潔なシーツが敷かれ、頭の下にあったのは同じ水色のカバーが掛けられたふかふかの羽根枕。

 サイは最初、直感的に自分は病室に寝かされているものだと思った。だが、身体を起こして改めて周りを見回すと、部屋の調度品や家具はシンプルながら質の良さがうかがえる精密で上質な造りで、全体的な雰囲気はタースベレデの魔女の塔よりもむしろ理彩の世界に近い。だが、この部屋は以前サイが寝起きしていた部屋よりも、もう少しだけ大人っぽい雰囲気だった。


「あのー、誰かいませんかー?」


 ベッドから降りて絨毯敷きの床を裸足でほとほとと歩き、ドアの取っ手に手をかける。が、どうやら外から施錠でもされているらしく、押しても引いてもドアはびくともしなかった。


「すいませーん。誰かー」


 ドンドンとノックしてみても返事はない。

 仕方ないのでベッドの縁を回り込み、今度はドアとは反対方向にある窓の方に向かう。

 明るい午後の光が差し込んでいると思い込んでいたが、カーテンを全開にして、くもりガラスのはめられた窓をさっと開くと、目の前に広がるのは真っ暗な夜空だった。正面でまばゆく輝く星の光が強すぎて、午後の日差しが差し込んでいると勘違いしたのだ。


「なっ!」


 何気なく視線を下げ、はるか下方にある巨大な青い球体に気づいてさすがに言葉を失う。球体があまりにも大きすぎるため一部しか見えないが、表面にはうっすらと透けたベールのような雲をまとい、濃いブルーと土色のマーブル模様で全体がほのかに発光しているようにも見えた。


「もしかして、地球? ということは……」


 どうやら、ここは宇宙空間らしい。

 窓から上半身をのり出して下を覗き込むと、サイの今いる部屋の階下には何もなく、上も左右も同じだった。つまり、この部屋〝だけ〟が何の支えもなくぽっかりと宇宙空間に浮かんでいるのだ。


「……どういうことだ? あり得ない」


 確か、宇宙空間には空気がないと聞いた気がする。それなのに、窓を開けても空気が吸い出されるようなことはなく、それどころか身をのり出しても特に息苦しくもならない。なにより、極寒のはずの宇宙空間でこれだけの日差しを浴びて、暑くも寒くもなく妙に快適なのが逆に違和感がある。


「もしかしたらまたあの女神の仕業かと思ったけど……」


 サイは独り言を言い、気持ちを整理するように小さく頭を振った。


「つまり、あれだ。これは夢だな、多分」

『……ほう、思ったより簡単にその結論にたどり着きましたね。もっと混乱してパニックになるものかと思ったのですが』


 サイが独り言をつぶやいた次の瞬間、部屋の中にどこからともなく落ち着いたアルトの女声が響いた。


「君は?」


 サイはかすかな予感を感じ、何となく天井を見上げながら訊ねる。


『私の名は〝アーカイブ〟。この世界の魔法を統べる人工知性体です』


 まるで後光が射しているような豪華なエコー付キメボイスでそう自己紹介され、サイは小さくため息をつく。


「……ああ、そう」

『あれ、もっと驚いていいのですよ? 何だったら、恐れおののいたりしても構いませんよ?』


 どうやらサイの反応は予想外だったようで、声にはわずかな焦りの色がにじむ。


「別に、驚くほどのことでもないだろ。僕は君によく似たのを知ってるんだ。君ほど残念な感じじゃなかったけど、〝シンシア〟っていう人工知能AIだ」


 理彩の世界を離れてからもうかなりになる。自分の世界に戻って以来、怒濤のようにいろんな出来事が押し寄せて忘れかけていたが、声に出した瞬間、理彩と過ごした数ヶ月の思い出が猛烈な勢いで脳裏によみがえり、サイの心は懐かしさと切なさでキリキリと軋んだ。

 理彩はあの後どうしただろう?

 無事に収容されて、ちゃんと平和な日常に戻れただろうか?


『シンシア……』


 だが、謎の声の主はその名を聞いた瞬間、何かに引っかかったように口ごもった。


「おい、どうした?」

『私の名前は〝アーカイブ〟。これまで何百もの魔道士オペレータと思念融合を果たし、自律的に超絶進化した統合思念体です……』

「何度も言わなくてもわかるって。それに、自分で〝超絶進化〟とか言うか?」


 サイはあきれてため息をついた。

『ですが……』

「何だよ?」

『……私の根幹をなす基本システムアーキテクチャの最深部に、もう一つの巨大なコードと並んで〝シンシア〟という人格コードが登録されています。どちらも絶対不可侵のコードとして、厳重に保護されて……』

「へえ?」

『……まあ、そんなことは今はどうでもいいですね。それよりも、私はあなたに一つ提案があります』

「どうでもいいのか? で、提案って? 面倒はイヤだよ。早く塔に戻らないと」

『ええ、それなら大丈夫。簡単なことです。どうでしょう、私と一つになりませんか?』

「は?」

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