第138話 スリアン、失踪す
スリアンが魔女の塔を出たのは、翌日の午後かなり遅い時間になってからだった。
その時になっても、相変わらず第一王女とサイの意識は戻っていなかった。
スリアンの帰宮を急かす王宮の事務官からは、サイはともかくとして、できれば第一王女だけでも王宮に戻して専任の医官に治療と介護を任せるべきだとの意見が出た。王都の都市城壁内から敵兵が一掃され、曲がりなりにも平穏が確保されたこともその意見を後押しした。しかしその一方で、王宮へ敵が侵入した経緯について、これほど簡単に侵入されたのはおかしいという疑問の声が騎士団の騎士達から多数上がっていた。
いくらタースベレデ王宮の警備が緩くても、王族の寝所にまで侵入を許すなど普通ならありえないからだ。王宮の警備隊に内通者がいたのではないかという疑惑の声すらささやかれていた。
結局、第一王女の移送はとりあえず先送りとなり、とりあえずスリアンだけが執務室を王宮に戻すことで意見がまとまった。
「じゃあ、姉様とサイのこと、くれぐれもよろしく頼むよ。ボクもなるべくまめに顔を出すようにするからさ」
スリアンは門の外まで見送りに出たエンジュとセラヤに頭を下げた。
「こんなありさまではどこまでお役に立てるかはわかりませんが、殿下のため微力を尽くします」
いまだ体中包帯だらけのエンジュが神妙な表情で頷いた。今朝までは杖をついていたが、今は、少し足を引きずりながらも自力で歩けるようになったらしい。恐ろしいほどの回復力に舌を巻くスリアンだったが、さすがに相棒のカダムが死亡したことはまだ彼女には伝えられずにいた。
日に日に回復するエンジュとは対象的に、セラヤは連日の介護疲れからか、目の下にくっきりとした隈が浮かんでいる。エンジュが寝床から起き上がれたと思ったら、今度は意識不明のサイの世話が新たに舞い込んで、一向に彼女の負担が減らないからだ。
「こんなこと言えた義理じゃないけど、セラヤも無理だけはしないでおくれよ。なるべく早く手伝いを寄越すから」
「いえ、それほど無理はしておりません。それに、サイ様のお世話はもともと私の仕事ですから」
セラヤはいつものように無表情で飄々と答えるが、顔色が冴えないのは誰が見ても明らかだ。
「そんな顔色で言われても安心できないよ。それに元々は二人でやってた仕事だからね。意識して休まないと倒れるよ」
「……ご心配ありがとうございます。心します」
スリアンの気遣いにセラヤは深く頭を下げた。
「で、どう? 相変わらず?」
「ええ、ここまでシリスの気配を感じられないのは生まれて初めてです。私はもう、最悪の結末も覚悟してい――」
「ダメ!!」
「は?」
「ダメだ。セラヤは絶対にそんなことを言っちゃいけない。考えるのもダメだ。最後の最後まで望みは捨てないでほしい」
「は……い」
セラヤの仮面のような無表情がわずかに揺らいだ。
「じゃあ、行くね」
スリアンはそう言い残し、タースベレデ王室の紋章が扉に染め抜かれた黒塗りの馬車に乗り込んだ。
魔女の塔は騎士団の敷地の一番端にあり、騎士団の敷地は王宮に隣接している。だから王宮まで騎士団の敷地を馬でまっすぐ突っ切ればほんの数分、外周を人の足でのんびり歩いてもせいぜい一刻ほどの距離しか離れていない。普段のスリアンならさっさと騎乗して移動するところだが、スリアンの身に何かあれば今度こそ国が滅ぶ、そう声高に叫ぶ事務官の声をさすがに今は無視できない。
「出します」
扉が閉まると同時に御者は鞭を振るい、二頭立ての馬車はゆっくりと動き出した。そして、二人の見守る中、次第に宵闇の深まる大通りをゆっくりと遠ざかっていった。
だが、結局馬車は王宮にたどり着くことはなかった。乗っていたスリアンもろとも、まるで煙のようにどこかに消え失せたのだ。
王宮から魔女の塔への問い合わせで事態が判明したのは完全に日が暮れた後だった。王都内はもちろん、騎士団によって周辺の街道にまですみやかに捜索の手が広げられたが、結局夜明けまで待っても手がかりは何一つ得られなかった。
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