第137話 デットロック

「アルトカル!! サイに一体何をした!?」


 突然意識を失ってその場にガクリと崩れ落ちたサイの身体を支えながら、スリアンは鋭く問う。だが、アルトカルもまたほとんどの魔力を使い果たした様子で、その場にうずくまるように腰を落とし、ただサイを睨む目だけがらんらんと光っていた。

 ならば剣を抜こうと柄に手を添えたスリアンだが、アルトカルに付いた女魔道士が杖を構えたのを見て動きを止めた。

 手負いの仲間を抱えたまま争うのはリスクが大きすぎる。相手もそれはわかっているのか、お互い牽制するように構えたままそれ以上動けずにいた。


「そいつを世界のことわり、共通意識の海に落としてやったわ。そこは魔道士にとっての牢獄、これまで、囚われて戻った者はいない」

「どういうことだ!?」

「フッ」


 アルトカルはニヤリと歪んだ笑いを浮かべる。


「貴様は、魔道士がどうやって魔法を使うか知っているか?」

「え?」

「いい機会だ、物を知らぬ愚かな若造に少し教えてやろう」


 女魔道士に加え屈強な兵士に支えられながら、アルトカルは再び立ち上がるとスリアンを見下ろしながら言った。

 どうやらスリアンがタースベレデの王族であることには気づいていない様子で、その態度はあくまでも尊大だった。


「魔法は、魔道士の持つ魔力でこの世界のことわりに干渉し、それを改変することで現出する。その仲立ちをするのがこの魔法結晶だ」


 解説しながら、アルトカルは胸につけた大ぶりな魔法結晶を誇示するように叩いてみせた。


「ボクだってそのくらいのことは知ってる!」

「ほう、しょせん蛮族の若造かと思っていたが、多少は学があるのだな」


 スリアンの反論に、アルトカルはニヤリと歯ぐきを見せてなおもあざ笑う。


「魔道士は、生まれつきここに、世界の理に繋がる経路を持つ」


 言葉を切り、アルトカルは自分のこめかみを人差し指でコンと突く。


「……いや、逆だな。世界の理に繋がれる者だけが魔道士になる。だが、時として、ことわりとの親和性が高すぎる魔道士が出る。その者は総じて並外れた魔道士でもあるが、己の個としての意識が揺らいだ瞬間に、外からちょっと背中を押してやれば、世界のことわりがその者の精神に絡みつくように結びつく。そうして理と同化した精神は二度と解き放たれることはなく、そのまま現世に戻れなくなるのだ」

「お前、まさかわざとサイを怒らせて……」


 アルトカルはスリアンの問いには答えず、兵士達に担がれてスリアンに背を向けた。


「今回の戦はお前達の勝ちだろう。虎の子の魔道士をこうも蹴散らされては我々に勝ち目はないからな。だが、俺は目の上のコブを始末できて非常にいい気分だ」

「待て!!」

「さらばだ、若造! もう会うこともないだろう。……ああ、ところでその木偶デク人形だが」


 言葉を切り、意識のないサイに向かってぞんざいに顎をしゃくる。


「早めに処分することだな。もう使い物にはならん」


 補給を終えたタースベレデの弓兵が戻り、サンデッガの部隊に猛然と矢を射かけ始める。だが、女魔道士が起こした旋風に翻弄されてアルトカルには届かない。その間にも敵兵はアルトカルの後退と歩調を合わせて潮が引くように撤退し、都市城壁の周囲はさきほどまでの激戦が嘘のようにしんと静まりかえった。

 後には、ドロドロに踏み荒らされた地面に、敵味方の物言わぬ死体が累々と転がるばかりだった。


「殿下!」


 その時、小柄な女性伝令兵が大柄な兵士達をかき分けるようにしてスリアンの前に転がり出てきた。


「ゴールドクエスト閣下は!?」

「君は?」

「はい、騎士団副団長より閣下のおそばにつくよう命令を受けました。ですが、あのっ!」

「だったら手伝ってくれるかい、彼を魔女の塔に戻したい」


 スリアンの声音は驚くほどに平静だった。だが、意識のないサイを抱くその表情は深い後悔に満ちていた。





 それから二日目の夜が訪れた。

 サイの活躍に加えて兵士達の奮戦もあり、決戦の日以降、王都への侵攻はまったくなかった。

 それどころか、敵兵は王都の周囲から一人残らず退却し、今は陣地のある森の中に引きこもるように野営しているばかりだった。監視の目を引くような動きは鳴りを潜め、まるで、何かの知らせを待っているかのように静まりかえっている。

 一方、臨時の軍司令部が置かれ、ここ数日兵の出入りが激しかった魔女の塔も、戦況が安定して司令部が王宮近くの騎士団本部に移ったせいで人の出入りが絶え、今はまるで葬式のような重い空気の中に沈んでいた。

 空になった一階の厩には代わりに足の速い数頭の馬と伝令兵が駐在することになった。副長に命じられてサイ付になった伝令兵は、目を離した瞬間にサイが意識不明に陥った責任を感じたのか、みずから志願してサイとスリアンのそばに残った。


「それは事実かい?」


 騎士団副長の報告に、スリアンは執務机から身を乗り出して訊ねた。


「は! 物見の報告では、一部の部隊が夜陰に紛れて撤退を始めたそうです。街道沿いの住民が国境に向かう松明の群れを目撃したとのことで……」

「どうして? 確かに狂魔道士の部隊はサイが一掃したけど、それでもまだうちの何倍もの兵力で王都を包囲してるんだぞ」

「ええ、ですが、どうやら糧秣りょうまつがかなり乏しくなっているようです。タースベレデ各都市からの略奪が失敗して、早くも一部の部隊が飢え始めていたようです」

「……ああ、なるほどね」


 スリアンは納得したように椅子に座り直した。


「監視の目は緩めないように。何か変化があったら夜中でもいいから知らせてね」

「は。かしこまりました」


 副長は握っていた数枚の皮紙を懐にしまい込んで軽く頭を下げると、わずかにくだけた口調になって続ける。


「ところで、エンジュの容態はいかがでしょう?」

「ああ、まだ彼女に会ってない? 今朝意識が戻って、もうスープくらいなら口にできるようになったよ。まったくすさまじい回復力だね」


 副長はそれを聞いて安堵したように、わずかに表情を和らげた。


「でも、いいことばかりじゃない。第一王女ねえさまはいまだに意識が戻らないし、サイだってそうだ。ボクは一体……」


 だが、スリアンはそこで続く言葉を無理やりに飲み込んだ。


「報告は確かに受け取りました。退出していいよ」

「は。では、私はエンジュを見舞ってから本部に戻ります」


 副長は兜をかぶり直すと、騎士の一礼をしてらせん階段を降りていった。

 一人になったスリアンは、どっかりと背もたれに身体をあずけて天井を見上げる。部屋の隅にあるはしご階段の先、五階の安楽椅子には今も目を覚まさないままのサイが横たわっている。

 本当は自分がずっとそばについて見守ってあげたい。だが、今のタースベレデにはスリアン一人しかまともに働ける王族がいない。様々な決裁書類や判断がスリアン一人に集中し、今も机の上は決裁待ちの書類が山盛りになっている。


「スリアン殿下、そろそろ王宮に戻ることをご検討下さい」


 夕方遅くに山のような決裁書類を持ち込んできた文官は帰りしなにそう言ってスリアンを促した。


「騎士団の手で安全が確保された部分からですが、順次王宮の封印は解除されています。明日の午後遅くには事務官達も戻って参ります。その時に王宮に殿下がいらっしゃらないとなれば、皆の士気に大きく関わります」

「……せめて、サイが目覚めるまで時間をくれないかな?」


 そう懇願するスリアンに、文官は困ったような表情で首を横に振った。

 彼の言い分は良くわかる。

 国を統べる一族の責務として、国を安定させ民を安心させることは何にもまさる。そのことは今さら言われなくてもわかる。

 女王が王宮に居たときであれば通じたわがままも、今となってはもはや通りそうにはない。


「わかった。明日の午後、戻るよ」


 スリアンはきつく唇を噛み、そう言って頷くしかなかった。

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