第135話 炎と水、相争う

 都市城壁周辺の敵魔道士部隊を排除して一息ついたサイは、そのまま転がるように魔女の塔を駆け下りた。


「あ、サイ、どこへ行くつもりだ!!」

「もちろん、スリアンを追います!」


 塔の一階のうまやに設けられた臨時の軍司令部は、各部署から報告に訪れた物見や伝令兵の姿であふれ、まるで早朝の市場通りのようにごった返していた。人混みをこれ幸いとくぐり抜け、塔の門に向かおうとしたサイだったが、副長が目ざとく見つけて大声で呼び止める。だが、サイは当然といった口調で言い返した。


「待て! こっちはどうするつもりなんだ!?」

「大丈夫です。僕が塔を離れても何もできない訳じゃない。それよりスリアンの方が何倍も心配です!」

「しかし……」

「今、タースベレデうちがスリアンを失う危険を冒すわけにはいかないでしょう?」

「うむう」


 副長は少し悩み、そばに控える小柄な女性伝令兵を呼び寄せると、二、三言小声で命令する。女兵士が大きく頷いたところで、副長はサイに向かってあごをしゃくった。


「サイ、伝令こいつを連れていけ! どこかに置き去りにするなよ!」

「は? そんな酷いことするわけないじゃないですか!」


 サイは自分のあまりの信用のなさに目を丸くしたが、それ以上は文句を言わず、伝令兵の操る馬の後ろに乗せられて塔を飛び出した。


「君はスリアン殿下がどこに向かったか知ってる?」

「はい、閣下!」

「あ〜」


 サイはくすぐったそうに首をすくめ、苦笑いする。


「閣下はやめよう」

「では、ゴールドクエスト様?」

「様もやめて。名字呼びもね。ただのサイでいい」


 さらりと言うサイに伝令兵は一瞬言葉に詰まる。


「サ……いえ、いくらなんでも貴族の方にそんなわけには——」

「僕の方が年下だし……そもそも取って付けたような爵位だよ。それよりスリアンの行き先を教えて」

「はい! 職人街の突き当たりに城壁が破壊された箇所がございます。敵方の攻撃がもっとも激しいと耳にされて、そちらの防衛に向かわれると……」

「ったく。どうしてわざわざ一番危険な所に飛び込んで行くかな」

「しかし、あそこを抜かれてしまうと王都が……」

「わかってる。スリアンはそういう人だしね。今のはただのグチ。それより急いで!」

「は、承知いたしました」





 職人街は大混乱だった。

 戦闘に巻き込まれるのを恐れ、大荷物を担いで王都の中心部へ避難しようとする住民が通りにあふれている。

 一方、サイの魔法で城壁各所の防衛が不要になり、増援で送り込まれてきた部隊が一気に押し寄せていた。通りから出ようとする住民と入ろうとする兵士達がぶつかり合い、もともと狭い街路の入り口は大渋滞になっている。


「うーん、これ以上は進めそうにありませんね」


 伝令兵は困り果てた表情でサイに告げる。


「馬を預けて歩こう! 早くスリアンの無事な顔が見たい」

「わかりました」


 職人街の入り口に急きょ設けられた仮設の指揮所に馬を預け、その先は徒歩で前線に向かう。

 苦労してなんとか人垣を越えると、前線はすでに崩れた都市城壁の外側に突出していた。敵の魔道士部隊が壊滅したことで、城壁を取り囲むサンデッガ軍は一般兵ばかり。味方の弓兵が塀の内側から敵を狙い撃ち、数を減らしたところで騎士団を中心とした部隊が一気に打って出たといった状況らしい。

 そして、突出した部隊の最前列で剣を振るっているのは思った通りスリアンだった。


「スリ——!」


 名前を呼ぼうとした瞬間、突然突っ込んできたしてきた敵の騎兵がスリアンに騎槍ランスを突き出し、彼女はかろうじてそれをかわした。


「危ない!!」


 サイは叫ぶと同時に走りすぎた重装騎兵の身体を鎧ごと電磁的に拘束する。ブンという耳鳴りのような音が大きく響き、馬から引き落とされた騎兵が鎧ごとぐしゃりと潰れる。だが、サイは構わず騎槍と長剣を引きちぎるように取り上げる。


「サイ!」


 サイの姿に気づいたスリアンが剣を振り上げて無事をアピールする。

 サイは内心胸をなで下ろし、騎兵からむしり取った騎槍を空中に浮かせて反転させると、続いて飛び込もうと身構えた敵騎兵の足元に猛スピードで突き刺した。地面が揺れ、驚いた馬が竿立ちになって乗り手の騎兵を振り落とた。後続の騎兵達はその二の舞を恐れてサイ達からわずかに距離を取る。

 その隙にサイはスリアンのそばに走り寄った。


「スリアン! 何で最前線にいるんですか!?」

「何でって……だって、ここを突破されたら」

「だからって、スリアンがここまでの危険を冒す必要はないでしょう! 今貴女が倒れたらタースベレデはそこで終わりなんですよ!!」

「そんなことは……」


 言いながらスリアンはぷくっとふくれる。


「今さら言われなくたってわかってる。でも」

「だから、せめて僕のそばにいて下さいよ。ひとりで勝手にどこかに行かないで」

「あー」


 飛んできた矢を剣で払いながら、スリアンはわずかに顔を赤らめた。


「今のセリフいいね。こんなシチュエーションじゃなかったら思わず別の意味に取っちゃいそうだよ」

「だっ!」


 慌てるサイを見てニヤリと笑ったスリアンは、ようやく両翼から突出してきた味方の兵士に守られる形で後方に下がり始める。だがその時、まるでそれを待ち構えていたように敵方から放たれた火炎放射が兵士達を襲った。


「あっ!!」

 

 あたりにはたちまち地獄絵図のような光景が広がった。全身に着火して苦しさのあまり絶叫しながら地面をのたうち回る兵士達。

 消火しようにも、あまりにも炎の範囲が広く、手の付けようがない。


「みんな! 手近の炎を叩き消せ! このままじゃ全員焼け死んでしまう!!」


 スリアンが叫ぶ。だが、引火性の強い油が炎と共にまき散らされているらしく、必死に叩いても炎の勢いはまったく衰えない。

 

「サイ!!」


 スリアンの悲鳴のような叫びに、サイはようやく我に返った。

 塔とのリンクを強化して魔力を吸い上げると、スリアンの守りを信じて両目を閉じ、持てる最大の魔力で多重魔方陣を展開する。

 サイの周囲の空間に何十もの淡く光る同心円が出現し、古代文字が現れては消えて魔方陣を埋め尽くしていく。


「もう少し!! もう少しだけ時間を稼いで下さい!!」


 激しく燃えさかる炎は上昇気流を産み、雲一つなかった空に見る間に雲を巻き起こした。

 一度膨れ上がった雲はたちまち厚みを増し、太陽の光を遮り、空一面にどす黒く広がって行く。どこかでゴロゴロと雷鳴が響く。


「雨だ!」


 誰かが叫んだ。

 サイの鼻先にも冷たい雨の粒がポツリと落ちてくる。


「助かった! これで」


 スリアンが空を見上げて祈るようにつぶやく。

 雨はすぐに本降りになり、激しく地面を叩きはじめた。

 みぞれ混じりの冷たい大粒の雨は、地上のすべてを急速に冷やし始める。

 しつこく燃えさかる炎も、さすがにこれだけの土砂降りには抗えなかった。次第に勢いを失い、数分を待たずして完全に鎮火した。

 焼け残った油が虹色に光を反射しながらゆっくりと地面に吸い込まれていく。

 それと共に土砂降りの雨は次第に弱まり、いつの間にかもやのような霧雨に変わって低くたゆたい、黒焦げの大地をベールのように覆い隠した。


「天候改変術式……?」


 紫色の唇をガチガチと震わせながらスリアンがつぶやいた。

 サイは無言で頷くと、身にまとっていたローブを脱いでびしょ濡れの彼女の身体をすっぽりと包み込んだ。





「サイプレス……貴様ぁ!!」


 その時、ようやく薄まり始めた雨霞あまがすみの向こうから、どこか歪な、上ずった怒号が響いた。

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