第115話 この手は離さない

「落ちてきた?」

「ああ、たとえじゃなくて文字通り〝落下〟だね。向こうとこっちの世界では地面の高さがけっこう違うみたいで、彼女は自分の鉄馬と共に地面に叩きつけられ、気を失った」

「はへ?」


 意味がわからず、思わず変な声が出た。

 サイ自身にはそんな事故はなかった。目覚めたら寝台に寝かされていたし、そのときに身につけていた物は前の世界の物とは違っていた。多分、自分の肉体以外、何ひとつ持ち込めていなかったはずだ。


「で、彼女はそこをヤマリ兵に見つかって監禁された。仲間と一緒の予定だったんだが、不幸にも彼女だけ先にこちらに送られた結果だ」

「女神が……」

「女神? なんだそれ?」

「いえ、僕の場合は自称〝女神〟が僕の身体をやりとりしてましたよ」

「ふーん。君の送られた世界と魔女の世界は別なのか。ここと向こう、二つの世界をつなぐからくりがあるという話なんだが……」

「うーん」

「うーん」


 少し考え、スリアンはそれ以上の思考を放棄した。


「ま、それは今どうでもいい。重要なのは、彼女がヤマリ王にクスリで洗脳されて、後から来た自分の恋人を危うく殺しかけたということだ」

「ええっ!!」


 それが事実なら、彼女が負った心の傷トラウマは一体どれほどのものだったろうか。


「それ、魔女は自分でもわかっていて?」

「ああ、必殺の魔法を恋人に向けて放った直後に我に返ったそうだ。あるいは、それすらもヤマリ王の狙いだったのかも知れないが」

「うわぁ……」


 瞬間、折れた曲刀で壁に縫い付けられ、首から血を吹き出して血まみれで死んだメープルの姿が脳裏に鮮明によみがえった。

 もし自分が女護衛の攻撃を防がなかったら、彼女はあんな無惨な死に方はしなかったはずだ。その深い後悔は、あの日以来、今もずっとサイの心をさいなんでいる。

 だからこそ、サイには魔女の気持ちが痛いほどよくわかった。


「そのせいで、魔女の心は一度壊れかけた」

「ものすごくよくわかります。僕だって、スリアンに無理やり眠らせられなかったら多分壊れてた」

「え? でも、君はもう大丈夫だろ?」

「うーん、それはどう――」

「大丈夫だよ! サイは」


 サイは自分の心に自信が持てなかった。だが、スリアンは食い気味にサイの言葉を遮ると、すっと手を伸ばして向かいに座るサイの両手を取る。


「……大丈夫だ。でも、それでも不安な時にはボクがいる。頼ってくれ。ボクは何があっても君の手を離すつもりはないよ」

「あ」


 二人の視線が不意にぶつかり合う。

 そのままなんとなく見つめ合い、お互い気恥ずかしくなって同時に目をそらした。


「……あ、ありがとうございます?」

「……い、いや、どういたしまして」


 スリアンはいつの間にか赤くなった自分の顔を右手でパタパタとあおいだ。


「えーっと、暑いな、じゃなくてだね、そう、ま、魔女の話だよ!」


 アワアワと取り繕うスリアンの様子に、サイは深刻な話題の最中にもかかわらず少しだけなごんだ。


「で、だ。この時ヤマリからヘクトゥースを買う見返りに武器を供給してたのがドラク帝国だ」

「あれ? ドラクって」

「ああ、結局ここもクーデターで滅びたけどね。滅亡のドサクサで行方不明になった大量のヘクトゥースがサンデッガに流れ込んで、彼らに戦争なんていう気の迷いを起こさせた」


 スリアンは打つ手なし、とでも言いたげに両手を広げて首を振った。

 サイはスリアンの表情と壁の肖像画を等分に眺めつつ、話を聞きながら少し気になったことを指摘する。


「でも、そんな大量のヘクトゥースってそもそもどこから出てきたんです?」


 それは、スリアンと共にこの一件を追い始めた時からずっと不思議に思っていた。

 サンデッガに流れ込んだヘクトゥースの出処はドラクで、それはヤマリから買った物。では、ヤマリはそれをどこで手に入れたのだろう?


「砂漠地帯でそんな大量のヘクトゥースの栽培なんてできませんよね? だったらヤマリはそれをどこで?」

「……それが、わからないんだ」


 スリアンは首を振った。


「どういうことです? 元はどこか――」

「ヤマリについては今でも不明点が多い。わかっているのは、いつの間にか無人の荒野に城まで築いていて、ある日突然周りのオアシスを侵略し始めたということだけだ」





 食事はそれでお開きとなり、スリアンは帰りに支配人をサイに紹介した。

 サイの想像と違っていたのは、支配人がスリアンと同年代の若い女性だったことだ。

 彼女はドレス姿のスリアンを見て二人の関係を散々からかった後、サイの手を握って涙ながらに感謝してきた。


「この子を真人間に戻してくれて本当にありがとう」


 彼女はそう言い、隣で「お前はボクのお母さんか?」と不貞腐れるスリアンを見て二人で笑った。


「今日はボクに付き合ってくれてありがとう」


 店を出て、王宮に向かう長い坂道を歩きながら、スリアンは唐突にそう言った。


「ええ? 感謝するのはむしろ僕の方です。王女様みずからエスコートしてもらえるなんて栄誉なことですよね……」

「アハハ、でもまあ、こんな格好で出歩いたのはもう何年ぶりかな。やっぱり、偽りのない姿って開放感が違うよ」


 しみじみと独り言のようにつぶやくスリアンを見て、サイは一つ聞いてみたかったことを思い出した。


「そう言えば、スリアンはどうして身分を偽ることを選んだんですか? スリアンなら、国の分裂を防いだ上で、お姉さんではなく、自分が穏便にに後継者として立つ策だってとれたでしょう?」


 だが、スリアンはその問いに驚いたように立ち止まった。


「考えたこともなかったな。でも、そうだな……」


 しばらく考える素振りを見せたスリアンは、道の手すりに身体を預けて眼下の街の灯りを眺めながら続けた。


「為政者として、姉よりも自分の方が向いているという自覚は当時から確かにあったよ。でも、それでも姉を押し退けて自分が即位する将来像は描けなかった。最大多数の最大幸福、それを真剣に考えた結果、自分がこうするのが一番いいって素直に思えたんだ」


 そこまで一気に吐き出すと、くるりと振り返ってニコリと笑う。


「ちょっと格好つけ過ぎかな。でも、自分が犠牲になったとも思ってないし、もちろん後悔はしてない……多分、ボクは一番後悔する人の数が少ない未来を選びたかったのかも知れないね」


 スリアンはそのままサイの手を取ると、大きくぶんと手を振って再び歩き出した。


「そういえば、君、最近急に背が伸びたよね?」

「セラヤいわく、雑草並だそうです」

「アハハ、何だそれ?」

「一年もすればスリアンの背丈を追い抜くかも知れないって言ってました」

「そうか……できれば、その時もボクが君の隣に立っていられるといいけどな」





 二日後、タースベレデ王国女王、セイリナ・パドゥク・タースベレデはサンデッガの最後通牒を拒否、同国への徹底抗戦を宣言、スリアン・パドゥク・タースベレデの軍司令官人事を発令した。

 またあわせて、司令部付従軍魔道士としてサイプレス・ゴールドクエスト伯の氏名を国内外に公布した。

 






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