第114話 雷の魔女
夕暮れが迫る頃、二人は高台にある魚料理の専門店で見晴らしのいいオープンテラス付の個室に通され、魚料理のコースに舌鼓を打っていた。
「すごいですね。失礼かもしれませんが、こんな内陸の王都でこれほど新鮮な魚料理が食べられるなんて思っても見ませんでした。それに、
サイは目の前の白身魚のソテーを口に放り込みながら感嘆の声をあげる。
「うんうん、そう言ってくれるとわざわざ連れてきたかいがあるってもんだね」
スリアンも妙に嬉しそうだ。
「母さまの物流政策のおかげだよ。道路網が整備されて、海沿いの街からここまで、たった二日で荷物が届くようになったからね」
「それに、建物もおしゃれです。見るからに高級感があって、それなのにゴテゴテしてないっていうか……」
サイはフォークとナイフを置いて改めて周りを見回した。
「もし魔女がこの場にいたら、君の言葉を聞いて喜んだだろうな」
「え、ここって魔女の経営だったんですか?」
「いや、経営はまったく別人だよ。後で紹介してあげる」
スリアンはカルパッチョを肴にワインを飲みながら上機嫌だ。
「ただ、魔女は魚料理に詳しくてね、毎日のように通って支配人と仲良くなって、メニューとか色々アドバイスしてるうちに魔女御用達の噂が広がって大繁盛、しまいにはこーんな高級店になった、というわけ」
「へえ、それで、あれですか」
サイは個室の壁にかかる肖像画を指さした。
そこには、黒髪ショートカットの凛々しい顔つきの若い女性が、白い騎士服をまとってどこか遠くを眺めている様子が写実的なタッチで描かれていた。
「むぅ。目の前にボクというものがありながら、別の女に目を奪われるとは失敬なヤツだな、君も」
「ああっ、すいません。こんな美しい御婦人を一瞬でも忘れた僕が浅はかでした!」
「え……美しい? ホント?」
「……チョロい」
「え? 何か言った?」
「いえいえ。でも、だとすればスリアンも常連だったとか?」
サイがそう水を向けると、スリアンは手を止めてどこか遠くを見るような目つきになった。
「……まぁ。彼女と一緒によく来てたからね。君を連れてきたい店ナンバーワンになるくらいには……」
そうつぶやくようと、スリアンは水を飲んでほうとため息のような息を吐いた。
「そう言えば、前に魔女のことを話すって言ってたよね」
「え? いいんですか? それこそ、ボクというものが……って話ですよ」
サイのからかいに、スリアンは小さく首を振ってすっと背筋を伸ばした。
「いや、いい機会だから話しておこう。それに、彼女の境遇は今回の戦争にもまったく無関係と言うわけじゃない」
「……どういうことです?」
スリアンのまとう雰囲気が急に変わったことにサイは戸惑う。
「ああ、彼女は元々、ある狂信的な王によって、魔法兵器に仕立てられた存在だ」
「ええ?」
「その手段となったのが、まさにヘクトゥースによる精神支配と暗示。長く忘れられていた古代の悪しき技術なんだよ」
「え……」
サイは思わずガンと頭を殴られたような気持ちになった。
スリアンやエンジュ、塔のメイド達から断片的に話を聞いてサイの中になんとなく作り上げられた魔女像は、壁に掛けられた肖像画から感じる印象とかなり似通っている。
凜々しくて、孤高。
逆境を笑う強靱な精神力と、この世界では明らかに異端の機動力で、タースベレデのどんな場所にでも神出鬼没、恐るべき魔法の力で敵を難なくねじ伏せ、風のように去る。まるで吟遊詩人の語る英雄物語の主役のようなイメージを、サイ自身も勝手に抱いていた。
現に、タースベレデの魔道士部隊はサイの目から見ても貧弱で、今は各地の部隊にせいぜい二、三名程度しか配属されていない。裏を返せばそれは、何が起きても最初の一撃さえ耐えられれば、強大な力を持つ魔女が救援にやって来ることを前提に組み立てられた、ちょっといびつな部隊構成だ。
「君も、この大陸の南側がほとんど砂漠だっていうのは知ってるよね」
「ええ、ブラスタム山脈が大陸を半分に隔てていて、その向こうは不毛の砂漠地帯だと……」
「まあ、不毛っていうのは言い過ぎだね。あちこちにオアシスはあるし、有力な首長の支配地域は北側の一国に匹敵する。その中のひとりにユヅキっていう大首長の治めるオアシスがあるんだけど——」
「ああ、シリスとセラヤはそこの出身でしたよね」
サイは以前メイド達に聞いた身の上話を思い出しながら聞く。
「そう。ユヅキのオアシスは比較的穏健派と言っていいんだけど、近くにヤマリっていう独裁的な首長の治めるオアシスがかつてあって、魔女はそこに拾われ、魔道士としての素質を見込まれてクスリ漬けにされた」
「拾われた?」
「ああ、君が〝ヒエダ・サイ〟として暮らした世界と同じか、あるいはかなり似通った世界だと思うけど、彼女はそこからこの世界に〝落ちて〟来たんだよ」
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