その5

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「まあ、経営がうまく行ったなら、それでいいと思います。とりあえず、俺は弥生さんのリクエストにきちんと応えられたから満足してるし」


「だからって、あんなにお客さんがくるとは思ってなくて。たかが一〇〇円安くなるってチラシ一枚で。しかも値あげしてるから実質プラマイゼロなのに」


 言ってから、弥生さんが皐月さんのほうをむいた。


「あのさ、お姉ちゃん、これ、思ってたんだけど、アルバイト雇ったほうがいいんじゃない?」


「それは無理だと思うけど」


「ですよねー」


 皐月さんが返事をして、俺も同意した。


「ほら、さっき伸一さんも言ってたでしょ? 忙しいのは、毎月、最初の一週間だけだって。特に土曜、日曜。そのときだけ仕事をしてもらって、あとは休みなんてアルバイト、誰もきてくれないし」


「あ、そうか」


「だから、とりあえず、毎月最初の一週間だけは気合いを入れて、なんとかするしかないわね」


 と言ってから、皐月さんが俺のほうをむいた。


「あと、いままで定休日は水曜日にしてたんですけど、これ、月曜日に変えちゃってもいいですか? 土曜、日曜がこれだけ忙しいと、月曜日に休まないと、私が死ぬと思うんです」


「ああ、そのへんは任せますよ。もちろん、店の入口に定休日変更っていう告知の紙を張っておかないと、知らないで食べにくるお客さんがでてきちゃうから、そこは要注意ですけど」


 俺も返事をしてから、ちらっと弥生さんを見た。弥生さんも俺の視線に気づく。


「ん? 何?」


「弥生さん、昨日と今日は手伝いでこの店にきてると思うけど、来月からは、この店でアルバイトすればいいんじゃないか?」


「は?」


「だから、毎月、最初の一週間の、土曜日、日曜日だけ、手伝いじゃなくて仕事でくるんだよ。普通のアルバイトは雇えないけど、弥生さんと皐月さんなら家族だし、やればなんとかなると思うんだけど」


「――あ、そうか」


 少ししてから弥生さんもうなずいた。


「そうだった。いままで考えつかなかった。私がアルバイトすればよかったんだ」


 ひとり言でつぶやいてから、弥生さんが皐月さんのほうをむいた。


「お姉ちゃん、そういうわけだから。いい?」


「あ、いいわよ」


 皐月さんもうなずいた。


「それだったら、私もありがたいしね。じゃ、来月から、正式にアルバイトとして働いてもらうから」


「うん。で、今日の夜の部の営業の報酬は?」


「それはただのお手伝いでしょ」


「ふうん」


 弥生さんがおもしろくないって顔で立ちあがった。


「じゃ、今日はもう帰ろうかな。ただのお手伝いで、お金ももらえないし」


「あーあー、わかったわよ。じゃ、一時間八〇〇円でいいわね? それから、夕飯に無料でラーメン食べて行っていいから」


「はい、ありがと」


「で、俺もラーメン食べたいんですけど」


 とりあえず、俺は控えめに言ってみた。


「やっぱり、お客さんとしてくる以上、営業時間外じゃ、無理ですか?」


「あ! いえいえ、伸一さんは特別ですから」


 慌てたように皐月さんが立ちあがった。厨房に入る。


「それで、ご注文は?」


「じゃ、今日は塩ラーメンをお願いします。あと、半カレーチャーハンも」


「マヨネーズを使ってもよろしいですか?」


「もちろんです」


 塩ラーメンはうまかった。鰹節の香りがいいし、スルメと塩麹の旨みも効いている。半カレーチャーハンは想像通りの味で、あまり特徴がある味ではなかったが、それがこの店では人気だって言うんだから、それはそれでいいんだろう。


「ごちそうさまでした。じゃ、夜の部もがんばってくださいね」


「ありがとうございました」


 金を払って、俺は「白桃」をでた。あとは、大量にお客さんがきたとき、オタオタしないできちんと対応できるかどうかだが、これは経験して身につけてもらうしかない。あとは本当にがんばってもらうしかなかった。


 で、翌日の月曜日。


「あのさ、伸一くん」


 学校の授業が終わったあとの放課後、今日はどのラーメン屋で食事をしようかと思いながら帰ろうとしていた俺に、弥生さんが声をかけてきた。


「あれ? 何か問題だった?」


 昨日の今日で、何かあったんだろうか。不安に思いながら聞き返した俺に、弥生さんが笑顔で手を左右に振った。


「お店のほうは大丈夫みたい。お姉ちゃんも、普通にお客さんがきて儲かってるってメールで言ってたから」


「あ、そうなんだ、そりゃよかった」


「それから、伸一くんのこともすごく褒めてた」


 下駄箱まで歩く俺の横を並びながら、弥生さんが妙なことを言ってきた。褒められるようなことなんて、何もやってないんだが。


「なんて言ってたんだ?」


「あのラーメンの知識は普通じゃない。ドラクエで言ったらレベル20なんて謙遜だ。ひょっとしたら、将来はラーメン屋になるのが目的で修行してるんじゃないかって」


「そんなんじゃないよ」


 俺はあちこち出歩いて、いろんなラーメン食うのが好きなだけだ。ラーメン屋になったら、毎日、同じ味お客さんに提供しなければならない。そんなのは飽きるし、そもそも俺には、皐月さんみたいに、こんな味のラーメンをつくりたいっていう明確なビジョンがあるわけでもなかった。


「そうだな。どこかの食品メーカーに就職して、名店の味を再現した袋麺を開発するスタッフにでもなれたらおもしろそうだけど。――でも、そんなメーカーに就職できるかどうかもわからないし、そういう部署に配属されるかどうかもわからないし。というか、進路どうするかなー」


 やっぱり、「とんこつラーメン ひづめの足跡」にバイト店員で正規採用されて、それでしばらくやるしかないのかな、なんて思いながら歩く俺を、横から弥生さんが見あげてきた。


「それで、私も、もう少し、ラーメンについて勉強しようかなって思って」


「あ、それはいいんじゃないかな」


 弥生さんがラーメン屋の食べ歩きをして、その情報を皐月さんに話せば、俺がいろいろ意見する必要もなくなる。下駄箱で靴を履き変える俺の横で、同じく靴を履き変えながら、弥生さんが話をつづけた。


「それで、できたら、これからも、伸一くんと一緒にラーメンの食べ歩きをしてみたいんだけど」


「あ、それはべつにかまわないけど」


「それと、よかったら私と付き合って」


「ああ、それもべつに――は!?」


 ぎょっとなって横をむいたら、弥生さんが恥ずかしそうに笑って俺を見ていた。

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