その3

 そして、いよいよチラシ作戦を実行した週の日曜日になった。


「こんにちは」


 午後二時の休憩時間を少し過ぎたあたりで、俺が「白桃」に顔をだしたら、カウンターに座っている皐月さんと弥生さんがこっちをむいた。ちなみに弥生さんもエプロンをつけて野球帽をかぶっている。ポニーテールなので後ろ前ではなかったが。


 なんか、疲れた顔をしているように見えた。


「あ、すみません、この時間は、もう休憩時間に入ってて」


 声まで疲れた調子で弥生さんが言ってくる。で、俺だって気づいたらしい。というか、俺の顔を見てるのに途中まで気づかなかったのか。


「あ、伸一くんだったの。いらっしゃいませ、こんにちは」


「あ、どうも伸一さん」


 皐月さんも俺を見ながら声をかけてきた。やっぱり、なんだか顔色がよくない。


「あの」


 どこかで失敗したかな、と俺は不安に思いながら話しかけた。


「なんか問題でもあったんですか」


 弥生さんがグデーっとした顔で俺を眺めた。


「それがその、問題はあったんだけど、いいこともあって。でも、いいこと過ぎて面倒になったって言うか」


「お客さんがきすぎたんですよ」


 これは皐月さんの返事だった。


「伸一さんの言っていたチラシ作戦なんですけど、あれ、大当たりでした。最初の日から女性のお客さんが何人も食べにきてくれて。で、みんなチラシを持ってるんです。もちろん、それで中盛りや大盛りを注文してくるから、それを普通にだして。あとはスタンプカード作戦で」


 皐月さんが説明をはじめた。住宅街に住んでいる主婦が、旦那を送りだしたあとにきたらしい。


「じゃ、よかったじゃないですか」


 俺が返事をしたら、皐月さんがぼーっとした顔でうなずいた。よく見ると目にクマが浮いている。


「もちろん、それはよかったんですけど、午前中でスープがなくなっちゃったんです。いつも二十人前くらいスープをつくってたんですけど、それでも余るくらいだったのに、まさか昼の部でなくなるなんて思いませんでした。だから大慌てで休憩中に追加のスープをつくって。でも、どうしても煮こみ時間が足りないから――ダブルコンソメって言うんですか? とにかく豚骨と鶏ガラの量を倍に増やして、あと、濁るのを覚悟の上で少し火力をあげて、急ごしらえで、なんとかお客さんにだせるレベルまで出汁をとったんです。あと、申し訳ないんですけど、ちょっと化学調味料と鰹節の量も増やしました。あのときの夜の部のお客さん、喜んでくれたのか、よくわからないんですけど、スープがないからお店を閉めるってわけにもいかないから」


「あー、なるほど」


 スープがなくなるところまでは俺も考えてなかったな。「とんこつラーメン ひずめの足跡」は業務用スープだったから、追加のスープなんて簡単に都合できたんだが、ここはそうじゃなかったのだ。これは俺のミスである。


「で、二日目からは、そんなことがないように、なんとかしてスープは三十人前くらいつくって。それで昼の部も夜の部もなんとかしてたんです」


「あ、そうだったの」


 と、返事をしたのは弥生さんだった。いまはじめて知ったらしい。


「じゃ、昨日と今日は? あっという間にスープがなくなっちゃけど?」


「それもなくなるくらい大繁盛したのよ、これが」


 弥生さんの質問に皐月さんが返事をして、それから俺のほうをむいた。


「三十人前のスープが、開店して一時間でなくなっちゃったんです。連続して次々とお客さんがきて。家族連れも、ひとりの人も、男性も女性も、いろいろだったんですけど、あれは驚きました。中華麺は取り引きしてる製麺所が近所だったから、電話したらすぐに追加を持ってきてくれて、それでなんとかなったんですけど」


「ははあ。そうだったんですか」


 アパートや団地に住んでる人たちがきたんだろうな、と思いながら、俺は軽く店内を見まわした。四人で使えるテーブル席が三つ。カウンター席が六ってのは前と変わらなかった。家族連れが四人で和気あいあいとテーブルを一時間占拠、カウンターは一時間で三人入れ替え、くらいの回転ペースが普通だろう。なるほど、一時間で三十人前のスープがなくなる。


 というか、すると三時間の営業で九十人客がきたわけか。


「しかも、その時点で、お店の前に軽く列ができてて。それで弥生があわてちゃって。お姉ちゃん、スープなくなったのにどうするのって言いだして。しかも私が、お店のなかじゃ、店長じゃなくてお客さんでしょって返事をしちゃったんです」


「店長じゃなくてお客さん?」


「だから私も、あんまりお客さんがくるんで訳がわからなくなってたんです。それで本当のお客さんに笑われました」


「私は恥ずかしかったわよ」


 隣に座っていた弥生さんが口を尖らせながら言ってきた。皐月さんがあきれた顔で横をむく。


「そりゃ、あんたが店のなかで私をお姉ちゃんって呼んだからでしょうが。――それで、お客さんたちに、あ、姉妹でやってるんだ。仲がいいんだね、がんばってって言われて。わたし、ありがとうございます、ありがとうございますって、もう頭を下げっぱなしでした」


「あ、それは、まあ、いいんじゃないんですか。ほほえましくて」


 ルックスの悪くない女性がふたりでラーメン屋を営業。しかも姉妹。そして、繁盛したらあわてて、少しドジっ子なところもアピール。これは、変に場慣れしてるラーメン職人より、返って好感が持てるかも知れない。それがおもしろくてリピーター化するお客さんも少なくはないだろう。

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