その6
「まず、基本中の基本として、業務用スープがまずいっていうのはないんだよ。本当にまずいんだったら食品センターが潰れてる。もしくは、昔はまずかったのかもしれないけど、いまはレベルが違うんだ。具体的に言うと、コンビニの冷凍つけ麺。あれはシャレにならないよ。店で食ってるのと変わらないものが家でもつくれるから。実際、つけ麺専門店の店主が、うちでも業務用にしようか、なんて言いだしたくらいだし」
「へえ」
「それに、ネットで検索すればわかるけど。『冷凍の豚骨や鶏ガラは使いません。食肉センターから直送された、新鮮な豚骨と鶏ガラで出汁をとります』――こんなことを公言してる食品センターもある。あと、こっちからレシピを持って行って、こういうふうにつくって欲しいって注文すれば、PB商品で、そのとおりにつくってくれるところもあるから。ということは、ラーメン屋の店主が店のなかで出汁をとるのか、それとも食品センターで職員が出汁をとるのか、という違いで、あとは何も変わらないってことになる。しかも、無駄なゴミはでないし、あまりコストもかからない。で、食品センターは儲かるし、ラーメン店の店主は時間がつくれるから、新メニューの開発に集中するなり、チャーシューの味付けに変化を加えるなり、好きに行動できるんだよ。いいことづくめで、問題らしい問題は何もないんだ」
「ふうん」
「と、ここまで言っておきながら、実を言うと、食品センターでつくった出汁と、ラーメン専門店が厨房でつくった出汁は、微妙に違うっていう意見もある」
「は?」
いきなり言うことを変えたので、弥生さんが眉をひそめながら妙な声をあげた。
「何それ? どっちが正しいの?」
「これが難しい問題でね。ラーメン専門店が厨房でつくってるラーメンスープは、同じレシピでつくっていても、少しずつブレがあるんだよ。食材にも個体差があるから、これは仕方のないことなんだけど。業務用は大量につくってるせいか、平均的で、ほとんどそれがない。その差だね。要するに、業務用は人間臭さがないって言ったらいいのかな。綺麗にまとまりすぎてるんだよ。これは天然昆布出汁と化学調味料の違いと同じって言ってもいい。ある人は音楽にたとえてたな。セントラルキッチンでつくられたラーメンスープはスタジオで収録したクリアな音源の曲、ラーメン専門店が厨房でつくったラーメンスープはライブハウスの生演奏だってさ。そういう違いなんだ。で、本当のラーメン専門店はそういうところにもこだわる」
言って、俺は弥生さんから皐月さんに視線をずらした。
「はい、その通りです」
俺が何も言ってないうちから皐月さんが返事をしてきた。
「だから私も、きちんと自分でラーメンスープをつくりたくって」
「ですよねー」
俺は笑顔でうなずいておいた。
「だったら、ひとつ提案をします。豚骨、鶏ガラ出汁なんですけど、鶏ガラはいいとして、豚骨のほう。あれ、抜け殻になった奴は、業者に全部ひきとってもらうんじゃなくて、少し残しておいて欲しいんです」
「はあ」
俺の意図が読めないらしく、皐月さんがちょっと不思議そうにした。これで何度目だろうか。
「それで、どうするんですか?」
「乾かして、何か適当な箱に入れて、店の前にだしておくんです。『当店のスープをとったあとの豚骨です。ワンちゃんのおやつに最適。ご自由にどうぞ』こんな張り紙をしておいてください」
俺の言葉に、皐月さんが笑顔になった。
「なるほど。そういうことですか」
「これをやれば、その分、捨てるゴミも減りますし、ご近所でペットを飼っているご家庭からは、あそこは気前のいい店だ、なんて判断もしてもらえます。それに、いまだに業務用スープは認めないなんていう、古いタイプのラーメンマニアがいますけど、そういう方々にも、うちのスープは自家製ですっていうアピールができますから」
「考えてるわねー」
感心したように弥生さんが言ってきた。でも、あんまり表情は友好的ではない。ずるいことやってる人間の本音を見たって顔である。
「そういうところも、経営戦略の一種なの?」
「こっちは捨てるゴミが減る。ご近所さんはペットのおやつが無料で手に入る。Win-Winの関係と言って欲しいね」
「あ、そうか」
「で、さっきの話ですけど。そういうわけで、この店では鶏の唐揚げ定食と、豚肉の生姜焼き定食をだして欲しいんです」
俺は皐月さんに目をむけた。皐月さんが思いだしたような顔でうなずく。
「あ、それは、わかりました」
「あと、豚肉の生姜焼きは、タモリさん流がいいと思います。俺も家でつくったことありますけど、あれは下準備が必要ないし、肉がふっくらしてボリュームもあってうまかったので」
「は?」
ここで、またもや弥生さんが妙な声をあげた。
「タモリさんって、TVにでてる芸能人のタモリさん? あの人の豚の生姜焼きって、どういうの?」
「豚肉を生姜焼きのタレに漬けこまないんだよ。で、豚肉を小麦粉に絡めて油で炒める。すると、油と小麦粉でとろみがでてくるから、そこで生姜焼きのタレを入れるんだ。すると、生姜焼きのタレと豚肉が小麦粉のとろみでいい具合に混ざる。最初から豚肉と生姜焼きのタレを漬けこむと、浸透圧の問題で水分が抜けて、豚肉が縮んで硬くなっちゃうから。これも詳しいレシピはネットで検索してください」
最後は皐月さんにむけて言い、俺はメニューに目をむけた。
「それからアルコール関係ですね。俺は未成年だから酒のことなんかわかりませんけど、俺の親父が、よくビールとか日本酒とかチューハイを飲んでます」
言いながら、俺はメニューを指さした。
「で、ここはビールしかありませんよね? これじゃ、大人のお客さんは寂しいと思うんです。アルコールの種類も多めにしてください。それで、この店はラーメン専門店ですって顔をしながら、実際は、ラーメン屋兼定食屋兼居酒屋って形で営業して欲しいんです。いまの時代、そういうことをやっても、どれだけ生き残れるかわからないような状態ですから」
「わかりました」
相変わらず、皐月さんが素直にうなずいた。
「そのへんも、なんとかしておきます」
とは言ったものの、皐月さんの顔はすぐれなかった。納得いかないって目つきが語っている。
「なんか、不満があるって感じですね」
仕方がないので俺がうながした。
「言いたいことがあるなら、いまのうちに言っちゃっておいたほうがいいですよ? 俺の助言に、何か問題がありましたか?」
「あ、それは――」
皐月さんが、少し時間を置いてから返事をした。
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