その7
「うん、確かに、鰹節の香りは同じに感じますね。ただ、それ以外にも、なんだか少し違う香りがあるような」
「これは本当にいい匂いだと思うけど。あと、少し濁ってるだけで、ほとんど透明だから、オイスターソースは使ってないんでしょ?」
「もちろん使ってない」
塩スープにオイスターソースを少量だけ使うって方法もあることはあるんだが、多めに使ったら色が黒ずんでビジュアルが醤油スープとまぎらわしくなってしまう。味も同じになるし。このへんは、さすがに弥生さんもわかってきたらしい。
「じゃ、オイスターソースの代わりに何が入ってるのかな」
言いながら、弥生さんが塩スープを飲んでみた。――ちょっと驚いた顔で、皐月さんを見る。皐月さんも弥生さんを見返していた。
「ね、本当に何が入ってるの?」
弥生さんが訊いてきた。
「やっぱり、ちょっと甘じょっぱくて。それで、何かいい出汁の味がするんだけど、なんだかわからない。どこかで食べてる気はするんだけど」
「あと、なんだろう。発酵調味料っぽい感じがしますね」
これは皐月さんだった。あらためて匂いを嗅いで、首をひねりながらコップの塩スープを飲んでいる。
「これ、白醤油ですか? あれなら色はありませんし」
「あー、似てるけど、ちょっと違いますね」
俺は塩スープ用の調味料をカウンターにだした。例によってオリジナルの調味料をカラのビンに入れただけだからラベルはない。
「塩ダレを減らして、これを入れたんです」
コップのスープを飲みながら、皐月さんと弥生さんがビンを凝視した。
「サーモンピンクって言ったらいいのかな。薄いけど、なんだか変わった色してる」
「これ、なんなんですか?」
「透明な液状の塩麹とスルメをフードプロセッサーに入れて、ペースト状になるまで撹拌してから一日置いたものです」
俺の説明に、ふたりが、あっという顔をした。
「そうか。これ、スルメの味か。スルメって、いつも、もぐもぐ噛んで食べていて、液体で味わうって経験がなかったから気がつかなかった」
「それから、なんだか発酵調味料の味がすると思ったら、白醤油じゃなくて塩麹だったんですね」
ふたりして言いながら、交互にコップのスープを口に運びだす。
「本当は、塩スープの味を上品にだしたくて、干し貝柱を使いたかったんですよ」
感心したように味わっているふたりに俺は説明した。
「ただ、調べると、業務用の安い奴でも、干し貝柱は一キロ九二〇〇円もしました。これじゃ、ちょっときつい。それで考えて、スルメにしたんです」
「なるほどね」
弥生さんが返事をした。ただ、顔は納得していない。
「あの、それはわかったんだけど、スルメって出汁がとれるの? というか、そんなラーメンあるの?」
「もちろん出汁はとれる。スルメの旨み成分はタウリンって呼ばれてるアミノ酸の一種で、十分においしいし。それに、正月のお雑煮だって、地方によってはスルメで出汁をとってるから。あと、ラーメン業界だったら、一条流が出汁にスルメを使っているって公言してるし」
「あ、そうなんだ」
「ただ、スルメで出汁をとる方法ってのが、人によって意見が違ってね。水にスルメを入れて、ひと晩置いておくっていう人もいれば、一時間くらいでだすって人もいる。長く入れすぎると生臭くなっちゃうって言って。だから俺は塩麹を使ったんだ」
「――あー、そういうことか」
俺の言葉に、弥生さんが納得したような顔で笑いかけた。
「つまり、あれだ。醤油ラーメンの醤油ダレをつくるときに昆布を使うと、醤油の力で昆布の風味が消えてしまう。今度は、それを逆に利用したわけね? スルメを漬けこんでおいて、変な生臭さがでても、発酵調味料の塩麹と一緒にしておけば、その生臭さは消えて、スルメの旨みだけが塩スープで味わえる。――どう? 正解でしょ?」
「確かに正解だけど」
「まだ理由があるわ」
俺の言葉をさえぎったのは皐月さんの言葉だった。――さっきと違い、感心したような顔はしてなかった。なんだか複雑そうな表情で俺を見上げている。
本当に大したもんだな。俺の言いたいことに気づいたらしい。
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