花惑ふ

@hoshidori

花惑ふ

眠気覚ましにつけた朝のニュースでは桜前線の北上が取り上げられている。

この町でも近くの公園で2,3日前から桜木が淡く染まりはじめたところだった。


今日、学校の帰り路にその公園に行ってみると少なかった花が全体に伝染していったかのように満開となっている。


まだ、散ってはいない。


冬には誰もいなかった公園では、呑気に午後のラジオ体操が催されていた。久しく見なかった小鳥たちも広場に鳴き声を響かせている。その長閑さが伝染ったのか僕も花見をすることにした。

春というものはどんどんと伝染っていくものらしい。

花を被写体にしてスマホを向けていると、目の端にこの淡い浮遊感のなかで独り物憂げに沈む、袖丈が長い制服を纏い、ベンチで俯いている人がいた。

あぁ、そういえば。

春は自殺者が多くなる季節だ。

なんとなく頭をよぎった。

新しい環境や人間関係に疲弊する、そんな季節。

声を掛けるのはお節介だろうからと花を撮っていると、シャッター音でこちらを向いた彼女と目があった。軽く会釈を交わしたあと、ラジオ体操終わりの人々がベンチに座りはじめたので彼女はそこを譲り、去っていった。

今日は暖かいねー、でも明日は雨らしいわよ、いい運動になったわ、と雑談がはじまったので僕も花見はこれで終いにした。


次の日、花曇りの空には青雲が一つ浮かんでいた。目が霞み、滲んだ青も悪くはないが黒板が見えないのは大変なので眼鏡もそろそろ変えようかと迷ってみる。

リュックには折り畳み傘をしまっておいた。その判断は功を奏し、帰りには春特有の温い雨が強く地面で弾けていた。

雨の日には靴が汚れるのであの公園には入らないのだが、今日は桜に引き寄せられた。

花が少し地面に溶けはじめていたがそこまで散っていなかった。心の奥で安堵していると雨音に混ざって誰もいない広場にはすすり泣く声が聞こえた。

それは長い袖丈を余計に濡らした昨日の彼女だった。流石に目の前を見て見ぬフリで通ることができず、不器用に大丈夫ですかと声をかけた。

彼女は顔をあげると、はっと気づいた素振りをした。

「すみません、大丈夫です。」

と弱々しく応えた彼女に対して、僕は一度声を掛けたからには引き下がれずに「話聞きますよ。」と言って彼女の横に座り、ズボンが少し濡れたことを後悔した。彼女は俯きがちに少し黙った後、

「じゃあ、少しだけ。」

と、ぽつぽつと聞こえた彼女の話は、なにも特別じゃない、この時期特有の人間関係のストレスだった。しかし、彼女は人一倍にそのことを感じているようだった。そして、死にたいと語った。

このとき、僕はふとちょっと前に見たYouTubeの動画を思い出した。学生が自殺するところを寸前で引き止める動画だった。僕が衝撃を受けたのはその動画に低評価が高評価に対して歴然と多く、絶対的に見ても多いことは明らかだった。

だから、僕は躊躇った。

彼女のその言葉に対して死んではいけないと言うべきか。

目の前で雨に打たれ散っていく花に散るなと言ったところで意味などない。

多分、同じことだろう。


僕は彼女に眼鏡をあげた。

これをかけた時だけは世界が美しく見えると言った。

雨に打たれる花、温い風、靴の裏を彩る桃色、枝先から滴る水滴、

目の前にあるものがすべて美しい。

そう見えるのだと。


彼女は案外簡単に受け取ってくれた。

そして、面白半分でつけてくれた。

彼女は大きく息を吐き出して、笑いながら、

あぁー綺麗だぁー

と叫ぶ。


広場には残された湿度と光る水溜り。ぽつぽつと現れた青雲はこの前より滲んでいるが鮮やかに見える。

さっきの彼女の快哉が僕に伝染ったように、目の前の何かが一気に開けた、そんな感じがした。

彼女はとりあえず明日だけは頑張ってみますと言って、お礼を言って去っていった。

僕は濡れたお尻が気持ち悪くなって、早足で家へと向かった。


眠気覚ましにつけたニュースでは、今日は高気圧の影響で日差しが熱いと言っている。

制服を着て、家を出るとほのかに夏の匂いがしている。

あの公園で大きく息を吸って、新調した眼鏡で空を仰ぐ。


もう花は散っていた。

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