第五章-5

「早とちりするのではない。もっとよく見なさい」

 老爺は言った。ヒナリがリエを背中から支え、そっと前に押す。リエはいやいや、火に目を向けた。

 石化した人間の周りに、小さい光が飛んでいる。蛍には見えない。

「あれは何?」

「精霊だね」

 答えたのはヒナリだ。

「森にいた精霊達だよ。石化した人達を守ってるみたい」

「その通りだ」

 老爺が首肯する。

「精霊が彼らを守っている。おかげで、魂はまだ生きているようだ。肉体の石化さえ解くことができれば、彼らは助かるだろう」

「……本当に?」

「本当だ」

「どうやったら、元通りにできますか?」

「そなたが、常闇の化物を倒すのだ。呪いをかけた者を倒せば、自然と呪いも解ける」

 リエはオボロの巨体を思いだす。何本矢を放ったら、化け物は倒れるだろうか。そもそも矢が刺さるのだろうか。

「どうやって倒せばいいですか?」

「そなたは何か武器を持っているか?」

 リエはズダ袋から弓を取りだした。

「コウ」

 長老は、入り口でずっと立っている案内人に呼びかけた。コウと呼ばれた案内人は、「はい」と返事する。

「この弓に合う矢と、浄化ノ火を、持ってきなさい」

「かしこまりまし」

 リエはコウに弓を渡した。彼は弓を持って、屋敷から出ていった。

「我々が生まれる、ずっとずっと前……今から何千年も昔の話だ」

 老爺は低い声で語る。

「この山は燃えておった。地が裂け、そこから炎と岩が吹きだし、大地を全て焼き尽くした。だがやがて、火は消え、世ノ河が流れだし、命が生まれたのだ。そしてその時の炎のかけらが、まだここに残っている。それが浄化ノ火だ。破壊の力と、生命の力、両方を兼ね備える火だ」

 コウが何か、箱のようなものを手にして、帰ってくる。

「浄化ノ火です」

 リエと長老の間に、シグレはそれを置いた。

 黒い箱だ。側面に丸い穴が四つ開けられていて、中で真っ赤な火種が燃えている。火の見た目は至って普通。特別なものには見えない。

「こちらが矢です」

 背中に背負っていた筒を、箱の横に置く。筒の中には真っ白な矢が入っている。

「これを使いなさい。試しうちや練習もして良い。屋敷の外に練習場がある。準備が整ったら、故郷に戻りなさい。オボロがお前を待っているだろう」

 リエは恐る恐る、矢を手にとる。すべすべとしていて、肌触りが良い。次に箱の取手を握り、顔の高さまで持ちあげる。火の温もりがリエの頬を温める。

(これで、オボロを倒すんだ。絶対に)

 リエは矢と箱を、胸の前で抱える。

「ありがとうございます」

 長老達に見送られ、一行は屋敷を出た。

「こっちだ」

 屋敷から出ると、コウは元のぶっきらぼうな言い方に戻り、スタスタと歩いていく。向かった先には、藁の的がいくつもならぶ、練習場だった。

「気がすむまで矢を射てばいい。休みたかったら、そこの井戸で水を飲めばいい。眠たくなったら、下に宿がある」

「宿? 泊まってもいいんですか?」

「構わん。宿代はタダだ」

 リエはもらったばかりの矢を弓につがえ、的を狙う。矢は勢いよく飛んでいき、的に刺さった。

「基本はできているな」

 コウが言った。褒められると思っていなかったリエは驚き、笑みを浮かべる。

「えっと、でも、動物には全部逃げられるんです」

「狩りは気配を消すことが肝心だ。常闇の化け物は自ら姿を現すから、気配など関係ないが。次は矢に火をつける時は、箱の蓋を外し、矢の先を中に入れるんだ。そうすれば火がつく。ただしここでやるなよ。的が燃えるし、下手をすれば火事になるからな」

「はい」

 日暮れまで、リエは弓矢の練習をした。暗くなると、地下へ続く階段を下りた。コウに案内された先に、小さな宿屋があった。宿の主人はとても無口で、聞かれたことには首を振って答えていた。しかし、夕餉の焼き魚と味噌汁はとても美味しく、布団はふかふかだ。ソラが寝るための、藁をたっぷり敷いた部屋もある。

「あっちにお風呂もあるよ」

「オフロ?」

 女主人に案内された部屋は、巨大な桶になみなみと湯が注がれた、温かい部屋だった。この湯で身体の汚れを洗い流したり、湯につかったりするらしい。川で沐浴して汚れを落としていたリエにとっては、未知の体験だ。ヒナリもびっくりしている。

 早速リエは布を湯にひたして身体を拭き、湯につかる。肩までつかると、はぁー、とため息が出る。

「ヒナリ、あったかいよ。入ったら?」

 ヒナリは指先でちょんちょんと温度を確かめ、ゆっくり入る。こわばっていた顔が、次第に柔らかくなる。

「あー、陸に来て本当に良かった」

 風呂から出ると、布団に横になった。明かりが消える。ここは崖の中だから、窓は無い。本当に真っ暗だ。

 リエはひどく疲れていたが、眠れなかった。やがて、むくっと起きあがると、ヒナリを起こさないよう、静かに部屋を出る。回廊を歩き、階段を登って、崖の上にやってきた。

 夜空は明るい。月と星の光が、大地を仄かな銀色に染める。風は冷たく、リエはブルリと身震いをした。

「何をしている」

「うわあ!」

 リエは飛びあがった。振り返ると、コウが立っていた。

「大きい声を出すな。みんな寝ているんだぞ」

「あ、はい、すみません」

 リエはぺこりと頭を下げる。

「巡回の兵が、私を叩きおこしに来た。客人が一人、フラフラと崖の上に出てきた、と。何をしている? 眠れないのか?」

「……はい。色々考えてしまって」

 リエはうつむく。

「私は、悪い人です。私に会ったら、バア様はきっと、がっかりします」

「なぜだ? お前は、里の人間を助けるために来たのだろう?」

「そうです。けど、幻を見せられた時、はっきりと気づいてしまいました。本当に里の人を救いたいのでしたら、流し神子の役割をそのまま果たせば良かったんです。私は、私が可愛いから、呪いを解きたいんですよ」

 コウは、静かに話を聞いている。

「里の人は、助けたいです。呪いを解きたいです。本当にそう思ってます。でも、それよりも……自分のことが大事なんだなって。だから、もしオボロを倒せて、里の呪いが解けても、バア様は、私が帰ってきたことを喜ばないでしょう。私は自分勝手な、悪い子ですから」

「貴女が自分勝手だというなら、里の人間もそうだろう」

「え?」

「里の人間は、自分の命のために、お前のような子どもの命を犠牲にすることを選んだ。遠い遠い昔から。化け物に騙されていたとはいえ、これも自分勝手だろう。そうじゃないか?」

 リエは長いこと考えていた。やがて、口を開いた。

「そうかもしれません」



 練習はひと月続いた。

 リエはコウに教えを乞い、弓術を猛練習した。動く的に当てる練習をする。素早く矢を放つ方法を学ぶ。

 リエが弓矢と格闘している間、ソラとヒナリは静かにその様子を見たり、練習に付きあった。ソラはリエを乗せて練習場を走り、ヒナリは水を操って化け物の偽物を作った。

 全ての練習を終えると、リエ達は荷物をまとめた。

「ありがとうございました」

 リエはコウに礼を言った。背中に矢筒と弓を背負い、腰の帯に火の入った箱を下げている。今まで背負ってきたズダ袋は無い。勝ち負けはどうあれ、この戦いで旅は終わるからだ。

「霊道に入ったら、すぐに化け物がやってくる。気をつけろ」

「はい」

 リエとヒナリはソラの背中に乗った。コウ、そして三人の老爺に見送れられ、ソラは火守の里にある霊道に飛びこんだ。

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