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(……心臓が煩い)


プリシラがダイニングの扉の前に立つと、心臓が飛び出るのではないかと思うほど激しく鳴る鼓動に思わず眉を潜めた。

それに、ドアノブを回そうとしていた手も汗でじっとりと湿っていて、プリシラは手を腰の位置に戻すと、「ふー」と何度か深呼吸をした。


(……行こう)


プリシラはダイニングの扉を何回か叩き、「プリシラです」と自分の名前を述べた。

扉の向こうから聞こえた「入りなさい」という父親の低い声に震えながらも、プリシラはダイニングに足を踏み入れた。

そして、ダイニングに入った途端


「お父様、お母様、お兄様……お食事中の所、大変申し訳ありません」


プリシラは家族(かれら)と目を合わせることなく、最上級の礼をした。


「ですが、昨晩私が倒れてしまった非礼を謝罪したく、お伺いさせていただきました。まず初めに、皆様にご心労をお掛けしてしまったことを深く謝罪させていただきます。それから、私のような者を、あのような絢爛な部屋に運んでいただき有り難うございます。お心遣い、痛み入ります。もちろん体調が回復したので、元の部屋に戻らせて──」


(いつもは駄目出しするのに、やけに今日は大人しいわね……)


と、すらすらと家族に謝罪をしていると、「ま、待ちなさい」と謝罪を止める声がして、プリシラはピタリと発言を止めた。


「きゅ、急にどうしたんだ……プリシラ」


「──へ?」


自分の謝罪を諫められて、プリシラの口から間の抜けた声が洩れた。


(……どういうこと?)


プリシラが思わず顔を上げると、そこには自分と同じ、自分が18の時に見た姿より少し若い家族の姿があった。

しかも、全員ぽかーんとした顔で自分を見つめている。

そんな家族の姿を見たことで、プリシラは少しだけ落ち着きを取り戻した。


「プリシラ……もしかして、昨晩倒れたことを気にしているのか? だとしたら、そんな心配いらないよ。むしろこうして、元気になった姿を見せてくれてありがとう」


父親に似た顔と声をした男が困惑した表情で言う。


「そうよ。貴女が元気になってくれて良かったわ」

「プリシラ。たかが倒れたくらいで、そんなに思い詰めなくてもいいんだよ」


母親と兄に似た人に慰められるような声をかけられて、私は思わず押し黙った。


「……」


(この家族の皮を被った人は誰?)


プリシラは冷めた目で家族似た人達を眺めた。


(それに──たかが倒れたくらい……ですって?)


プリシラの紫の瞳が怒りで燃え盛る。

プリシラは虐げられていた時、公爵令嬢であるというのに、まるでメイドのような扱いをしていたのは家族だ。

真冬は荒れた手に冷たい水が染みるのを我慢して雑巾を絞り、真夏は水を飲ませてもらえず、軽い熱中症になりながらもメイドたちと共に働いた。

そんな公爵令嬢に相応しくないことをしていたから、メイドたちから苛められるようになって──いや、この話は今は関係ないから別の時に話すとして……。

ともかく、プリシラはメイドのような扱い、いや、それ以下の奴隷のような扱いを受け、風邪や体調不良で倒れようものなら、家族から容赦のない罵声と、激しい折檻が待っていた。


「……プリシラ?」


兄が心配そうに彼女の名を呼び、思わずプリシラは兄を睨みつけそうになった。

だが、彼女は怒りを押し殺し、なんでもない風を装ってぱあっと輝かせた。


「そうですよね……たかが倒れたくらいで。……寝込んでしまって、気が小さくなってたみたいです」


と、にっこり笑って家族を安心させた。

プリシラは家族から虐げられる前までは、王太子の婚約者として厳しい淑女教育を受けていた。

だから、自分の心の内を晒さないことなど、プリシラにとっては造作もないことだったのだ。

プリシラが破顔すると、家族は安心したように微笑んだ。


「だがプリシラが、ちょうど目覚めてくれて良かったよ。……自分の席に座りなさい。」


家族がなぜか自分に優しい、という疑問もそのままに、プリシラは父親の言葉に一瞬眉を潜めた。

だが、プリシラは瞬時に元の笑顔に切り換えると、父親の指示に従って虐げられる前に座っていた自分の席に腰を下ろした。


「プリシラ……お腹は空いてない?」


着席したプリシラに、母親が声をかける。


「大丈夫です。目覚めたばかりであまりお腹が空いてないんです」


プリシラはいけしゃあしゃあと嘘を吐いた。

もちろん、余計なことを言うなとメイドに視線を送っておく。


(自分を見殺しにした家族ひとたちとご飯なんて食べられる訳ないじゃない)


プリシラは母親に嘘を並べると、父親の言葉を一字一句聞き逃さないように耳を攲(そばだ)てた。

父親の言葉が、プリシラの現状を理解する手がかりになると予想していたからだ。


……そして、このプリシラの予想は見事的中したのだが


「──っ」


父親の言葉は、彼女を一気に地獄へ突き落とすことになる。

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