メレニア・メイジ編
1
──全員地獄に落ちろ。
そう吐き捨てた自分の言葉に、プリシラはばっと目を覚ました。
「はーっ、はーっ」と自分の口から漏れ出る荒い息に驚き、激しく上下する胸に手を当てるとドクドクという心臓の鼓動が感じられて──
「あれ……私、生きて、る……?」
自分が生きているという事実に驚愕した。
しかも、自分が今まで横たわっていたのは薄い布団ではなく、柔らかいベッド。
ここ数年間ベッドで寝た記憶のないプリシラは、自分がベッドで寝ていたという事実に驚き、それから周囲を見回すと、かつての自分の部屋と全く同じ家具配置がされていて、軽い目眩を覚えた。
「……どういうこと?」
この奇妙な状況に、プリシラは混乱した。
だが、プリシラの真正面にあるドレッサーの鏡に写りこんだ自分の姿を見て、彼女は言葉を失った。
光沢のある艶やかな灰髪に、血色の通った雪のように白い肌。そして頬はふっくらと丸みを帯び、プリシラが最後に見た老婆のような自分の姿とはかけ離れた美しい少女が写っていた。
「これは……私?」
プリシラが戸惑うのも無理もない。
鏡に写る彼女の姿は、牢屋で見た老婆のような姿でも、18歳の自分の姿でもない、まだあどけなさの残る過去の自分の姿なのだから。
プリシラは、しばらくの間鏡に写る自分の姿を眺めていたが、自分の黒焦げになった足を思いだし、勢いよく毛布を捲った。
「……焦げてない」
プリシラの18の頃より少し小さなその足は、きちんと血の通った白い自分の足だ。黒く焦げてなんかいない。
「はぁ……」
足が元に戻っているのは嬉しいことだが、プリシラはそれを手放しに喜べなかった。
処刑されたはずの自分が幼い姿になって、かつての自分の部屋と思われるベッドで横たわっていた。その意味不明な現状が、彼女の不安を駆り立てていたからだ。
プリシラがベッドから離れ、部屋にある家具を物色していると、コンコンと、扉をノックする音が部屋に響いた。
「……」
プリシラはその音に沈黙した。
今まで彼女の周りにいた人々は、自分を虐げる敵だった。だから、部屋をノックするその人物にプリシラは非常に警戒したのだ。
だが、再び扉を叩く音が部屋に響いた。
「……どうぞ」
プリシラは不安を押し殺し、扉を叩く人物に入室の許可をした。
それは、少しでも今の状況を把握するために、情報が欲しかったからだ。
「失礼します」と部屋に足を踏み入れたメイドは、幸運なことにプリシラの記憶にはなかった。
けれど、「あなた誰?」なんて声をかける訳にもいかず「どうしたの?」と当たり障りの無い問いをした。
だが、この質問にメイドは困惑した表情を浮かべた。
「お嬢様、昨晩高熱を出して倒れたのを覚えていませんか?」
どうやら、自分は昨日熱を出して寝込んでしまったらしい。
「……ごめんなさい、倒れてしまったときの記憶がないの」
プリシラは流れるように嘘を吐いた。
だが、"倒れてしまって記憶がない"という言葉にメイドが酷く取り乱したので「今は元気になったから、もう大丈夫よ」と付け加えておく。
面倒事になったら大変だし、今はそれより自分の置かれている状況を早く理解したかった。
プリシラの言葉にメイドはあからさまにほっと息をつくと「お嬢様が元気になられたようで良かったです!」と嬉しそうに微笑んだ。
(……このメイド、感情が顔に出やすいのね)
メディチ家のメイドは公爵家に相応しい人材が雇用される──例えば、没落した貴族の娘など。
だから、このメイドのように表情がコロコロ変わる人間がいれば、嫌でも記憶に残っているはずだが──
(私、こんな子知らないのよね……)
再びメイドの顔を確認しようと眺めたが、やはり記憶にない。
プリシラは小さく息を吐いたが、その様子にメイドは気付くことなく、爆弾を投下した。
「お嬢様の体調をご家族も心配されていました。ちょうど夕食の時間ですし、もしよろしければご家族に顔を見せに行きませんか?」
メイドは良かれと思って言ったのだろう。
しかし、家族というワードは、家族に捨てられたプリシラにとっては地雷だった。
一瞬で顔を強張らせたプリシラの顔を見て、
「た、大変申し訳ありません、お嬢様! 出過ぎた真似を──「ごめんなさい。まだ少し具合が悪いの」」
メイドの謝罪に、被せるように言い訳をした。
「……そうでしたか」
メイドはプリシラが家族に会いたくないことを察したのか、それ以上何も言わなかった。
(私を見殺しにした人達となんて、顔も会わせたくないわ)
家族のことを考えると、急速に心が冷えていくのを感じる。
「……」
プリシラが表情を歪めたまま沈黙していると、メイドが遠慮がちに声をかけた。
「お嬢様、夕飯はどうなさいますか?」
夕飯と言われて、プリシラはこの体は昨晩から何も食べていないことを思い出した。
それに、目が覚める前──自分が処刑される前も長い間食べ物を口にしていなかったことも相まって、プリシラの体から「クゥ」というお腹の音が鳴った。
(は、恥ずかしい!)
プリシラは赤面した。
あまりの恥ずかしさに「スープとサンドイッチのような軽食を持ってきてもらえる?」と早口で捲し立てて、早々にメイドを部屋から追い出すほどだった。
だが、いざ一人になると、プリシラは冷静になった。
(私、何してるんだろう……)
プリシラは長い長いため息をついた。
自分を見殺しにした家族に会いたい気持ちなんてこれっぽちも無いが、自分の陥っている状況を確かめるためにも、夕食の場に顔を出した方が良かっただろう。
(それに、今日会わなくとも、いつかは顔を会わせなきゃいけない日が来るだろうし)
自分はただ嫌なことを先伸ばしにしただけだ、と再びプリシラはため息をついた。
プリシラが二度目のため息をついた時、部屋をノックする音が部屋に響き「入って」と彼女は少しなおざりに言い放つ。
すると、メイドがトレイにスープとサラダ、それからサイドイッチを何切れか載せたトレイを持って部屋に入ってきた。
「ありがとう」
そう言って、プリシラはサンドイッチをもそもそと齧り始める。
(……美味しい)
カビても湿気てもいないパンを食べるのはいつぶりだろうか。
プリシラは久しぶりに口にするちゃんとした料理を、夢中になって頬張った。
「……美味しかったわ」
あっという間に平らげてしまったことに、少し羞恥を覚えながらプリシラはメイドに告げる。
そして、プリシラのいい食べっぷりを見て、メイドも嬉しそうに嬉しそうに微笑んだ。
「ねぇ……お父様たち、まだダイニングにいらっしゃるかしら?」
プリシラの躊躇いがちな質問に、メイドは目を輝かせた。
「はい! まだ夕食を食べていらっしゃると思いますよ!」
「……」
プリシラは少しだけ考え、覚悟を決めた。
「……さっきは具合が悪いと言ったけど、ご飯を食べたら少しマシになったの。だから、お父様たちに顔を見せに行きたいのだけれど……」
手伝ってくれないかしら?
プリシラの言葉に、メイドは「私に任せてください!」と勢いよく返事をし、プリシラは一瞬で寝間着からドレスに着替えさせられた。
(な、何が起こっているの!?)
彼女がメイドの着せ替えの早さにくらくらしていると、メイドはプリシラの寝癖の酷い髪を結い、まるで社交界にでも出るような見事な纏め髪を結い上げてくれた。
「あ、ありがとう」
プリシラは唖然としながらも、どうしてこんなに腕の立つメイドを自分は知らなかったのかと放心した。
メイドに感謝を告げ、家族がいるダイニングに向かおうとして
「あの……貴女もついて来てくださらないかしら? 嫌だったらいいのだけれど」
プリシラはメイドを振り返って声をかけた。
家族に会う覚悟を決めたといっても、やはり一人だと心細い。誰でもいいから、自分の側にいて欲しかったのだ。
「え、あ、はい!」
メイドは一瞬戸惑ったが、条件反射のように頷き、しまったという顔をした。
それはそうだろう。自分でも、家族団欒 (のように見える)の中を邪魔したくないというのに、それが雇われているメイドなら? どう考えるかなんて想像に難くない。
だが、プリシラはメイドを開放しようとは思わなかった。
だって、ダイニングという閉鎖的な空間で自分と
プリシラは無慈悲に「ついてきて」とだけメイドに言い放ち、家族のいるダイニングへと向かって行った。
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