第◆◆話 後始末

 ヘムロックが目覚めたとき、そいつ・・・はもうベッドの傍らにいた。 未だ覚醒しきらない頭ではあったが、その男はグルーバー家に王都よりの密書を届けに来た男では無かったかと霞む記憶を手繰り寄せる。


「お前は……」


「ふん。 これ程お膳立てしても、自らの勝ち筋に繋げることが出来ないとは。 どうやら、けいの力量を見誤っていたようだ」


「そういう貴様は、解り易いな。 口封じとは、えらい念の入りようだ。 当然といえば当然か……」


 “事を成せなかった”手駒を、敵の手中となる前に盤上から取り除く為、わざわざこうして現れた。

 しかも、大会直後にこうして現れるというのだから、動きが実に迅速だ。 仕事が速いというのは、それだけで賞賛されるべきスキルではあるが、この時ばかりはヘムロックも溜息と共にその迅速さに辟易した。


「うむ。 だが卿にとって、此度の決闘でその名は大陸全土に伝わり、また高名なるバーンウッド卿と歴史に残る決闘を披露した機士として、末永く後世まで語り継がれること疑いは無い。 一生涯を終えるに相応しい、実に華々しい栄誉であるな」


「その華々が献花になるのは、あまり喜ばしくはないがね」


「それは違う。 幕が下りた後で主演が花束を贈られることは、別段珍しいことではない。 確かに結末は台本どおりに行かなかったが、試験的なケースにしては、卿は良く動いてくれた。 故に、その賞賛に対しては誇るべきであるし、我々も花束を贈りたいほどには、名演をこなした卿に感謝している」


「……なんてつまらない奴らだ」


 西方に拠点を置く一貴族にとって、王都で策謀をめぐらせるような者達は、誰もが目を見張る綿密な計算を用いて、非の打ち所のない程芸術的で、美しさすら感じさせる策謀をめぐらせる悪魔のような知識人達だと思っていたのだが、ヘムロックには残念としか思えなかった。 むしろ変に期待してしまった自分が悪いのかと嘆息する。

 もとより、自身はこいつらの事を誰かに耳打ちするような凡夫ではない。


「貴様らの思う通りに動かなかった私を始末しに来るというのは理解できなくは無い。 ただ、これから殺す男に対しての美辞麗句にしては文学的修辞に欠けるのは、実に礼を失していると思うのは、私のエゴなのだろうか……」


「これ以上賛美を重ねたら、それはただの世辞になってしまうではないか」


「……まぁ、百歩譲ってそこは許容しよう。 不本意ではあるが、不満だからと言って先天的にしろ後天的にしろ、センスを持ち合わせていない者にそれらを求めるのは、それこそエゴというものだ」


「ふっ、この状況でそれだけの口が叩けるなら卿は大物だ」


「そうかい。 ついでに言わせてもらうなら、いや、この際だから言わせてもらおう」


 ヘムロックにとって他の事は大概を許容することが出来たとしても、こいつらが勘違いし、思い違いをしていることにだけには、口を挟まずにはいられなかった。


「私は、自分の意思で今回の絵を描いたのだ。 このキルベガン子爵、ヘムロック・グルーバーは誰かの智謀に踊らされバーンウッド領を……ベルキスカ嬢を欲したのではない。  ましてや、私は決して誰かの脚本でバーンウッド卿と戦ったのではない。 全て自分の意思で行ったこと。 自分の信念を掛けて闘ったまでの事。 よって、ここで死ぬことになったとしても、全てにおいて納得している。 まぁ、雪辱を果たさぬまま死ぬことは些か不本意ではあるがね」


 雪辱とは、いったい誰に対してのものか……。

 それは、もはや言うまでも無い。


「……ケビン・オーティア、か」


 まさか、歴戦の英雄、ギルバート・グレイドハイドではなく、機士の経験すらない、ただの時計職人に敗れることになるとはヘムロック自身、思いもしなかった。

 侮ったといえばその通りではある。 奢りも確かにあった。 しかし、だからと言って、一体誰がこの結果を見通すことが出来ただろうか。


「あの男の実力……違うな。 これがグレイドハイド――もとい、バーンウッドの力か」


 “家族を侮辱したものを灰燼に帰せ”。

 ケビン・オーティアがヘムロックに投げ放ったそれを、ただの言葉としか捉えていなかった自分は、まさに言葉の通り、文句など出ないほど完膚なきまでに叩きのめされた。


「そう思えば、なるほど。 私はあの男にだけ負けたのではなく、グレイドハイドに負けたのであり、バーンウッドに負けたのだな」


 ヘムロックは心の底から納得できる理由が浮かび上がり、ついつい口から笑いが漏れてしまった。 だが、死の直前に思い残すことの一つが消えるというのは、中々にして幸運なことなのかもしれない。


「……時間をかける気は無いのだろう? やるなら、さっさとやってくれ」


 それだけ言ってヘムロックは目を閉じ、割と穏やかな気持ちで、その瞬間を待つことにした。



 ――「最近の医療関係者は、白衣じゃなく黒衣を着るのか? 斬新だな」



 だが、その瞬間を迎える前に、聞き覚えのある声に再び目を見開いた。


「……ベルキスカ嬢?」


 見間違うはずも無ければ、自分が欲した女性の声を間違えるわけが無い。 

 ただ、病室に入ってきたベルキスカの纏う雰囲気が、病人を見舞うそれ・・ではないことは直ぐに分かった。

 それはつまり、ヘムロックが迎える結末・・に、そう大きな差異が無いことでもあった。


「見張りの人間は、何をしている……」


「わざわざ話さなければいけないのか? 貴様がこのような状況に置かれていることを考えれば、自ずと解るだろう?」


 見張りに遮られることも無く、病室に侵入した現時点においても、誰一人駆けつけるものがいない。

 それはつまり、他の人間は全員、ここに来ることが出来ない状況にあるということだ。


「馬鹿な……女、一人に?」


「病院関係者を人払いをしたことが、返って仇になったな。 私も人目を憚らずに貴様の仲間を相手に出来たぞ。 その点は面倒ごとが減ってむしろ助かったよ」


「ちぃっ!!」


 ベルガは投げつけたられた注射器をすれ違うようにかわし、瞬きよりも速く男に肉薄し、その体を黒い外套ごと刺突剣で壁に縫い付けた。


「がっ……!?」


「我々グレイドハイドやバーンウッド領に奇異な目を向けてきたのは、お前らのような輩が初めてだと思うか? 権謀術数に巻き込まれるのは貴族の常だ。 だが、それだけなら我が父の政治手腕だけでどうとでもなる。 だから本来であれば私は動くことは無い」


「な、に……?」


「だが、貴様らは自身の手を用いず、戦場より最も遠い場所から卑劣極まる手段を講じ、私の家族に実害を与えた。 となれば、相応の報いを受けてもらうのは当然のこと」


 男の目に宿る命の火が潰えるのを確認した後、ベルカは柄の引き金を引き、刃を根元から取り外した。 男を地べたに倒れさせることも無く、背後の壁に縫い付けさせたままで。


「……あなたの異名は噂程度にしか聞いたことが無かった。 所詮は詮無い噂と聞き流していたのは、間違いだったようです」


 ――“串刺しのベルキスカ” 


 グレイドハイド家の人間は、家族に対しての敵意は決して見逃さない。 問題が起これば、必ず動く。 問題が解決するまで、決して止まらないのが、グレイドハイド家だと。

 そして、目的を達した時には後腐れが無いよう、事後処理も完璧にこなす。 処理を任されるのは、決して表舞台にあがる事がない、秘匿された組織だという。

 その程度の噂は、ヘムロックだって知っている。 それを知っていて、彼は自分の意思で動いたのだ。


 ――だが、それとは別にもう一つ、グレイドハイド家に纏わる飛語が存在する。


 グレイドハイドの人間は、外敵に手を下す際、他人の手を借りることは絶対に無い。 それでは、自身の身を纏う憤怒の炎は消えることが無い。 復讐を他人の手に委ねる事など、自身が許さない。

 ならば、どうするのか――。

 それは、今まさにヘムロックの目の前で実演された事が、その答えだ。

 これが再び噂のまま……噂にすらならないまま事態が収束していくのは、処理する人や事柄が、“存在しないことになっている”からだ。

 ヘムロックを消す為に現れたこの黒衣の者達は、どの国にも町にも属さない、名も無き亡霊。 意図して誰にも繋がらない、誰にも知られてない、何故ここにいるのかも分からないような者達なのだ。

 そして、誰一人生きて残らないのなら、誰も流布するものがいない。


「なぜ、私を助ける? それとも、直接手を下さねば、己の矜持が許せないのかい?」


 ベルカはベッドに横たわるヘムロックの傍らに立ち、氷のごとく冷たい視線で見下ろした。


「お前は我が父を正当な決闘の舞台で侮辱し、我が友、ケビン・オーティアに害をなした。 本来ならばこいつ等のように貴様も串刺しにしてやるところだ。 いや、貴様に至っては予備の刃全てを全身に突き立てても、私の気が収まるか分からん。 だが、今は殺さん」


「……何故?」


「ここで貴様を殺したら、此度の問題が中途半端なままだ。 その様な収束は私の望むものではないし、承服できるものではない。 だから、生き証人である貴様は生かしておく。 理解しろ、私はお前を助けたのではない。 そう簡単にくたばることを、私が許さないだけだ。 それにその体を見るに、私がやろうと思っていたことは、既に私の槍が済ませたようだからな」


「……っ」


 目だけではない。 その声には温度が感じられなかった。 ヘムロックへの殺意を強靭な自制心で封じ込めた上で、淡々とした事実と、必ず行うという宣告を機械的に口にしている。


「いいかヘムロック・グルーバー。 これで終わりにはならない。 こいつらも貴様も、所詮使い走りの子ウサギだ。 流された大狼の血の量が、ウサギのそれと同等であろうわけが無い。 私はお前をこの舞台に駆り立てた者を、どのような手を使っても絶対に暴き出してやる。 それまで、せいぜい身の回りには気をつけることだ」


 そう言って、ベルカは踵を返す。


「衛兵を呼んでやる。 事態の説明は貴様がしろ。 薬でボケているわけでもないだろ」


 ドレスの裾を靡かせ、幽鬼のようにベルカがフラリと病室を出たのを見送ったヘムロックは、張り詰めていた空気から開放されたのを感じ、緊張で固まった体を弛緩させた。

 病室には再び静寂が訪れ、鼻につく血の匂いだけが、不快感と生の実感を味わわせてくれた。


「死ぬことも、殺されることも許されない……か。 取り急ぎ、この事態を何と説明するかで、ベルキスカ嬢の機嫌も変わってくるだろうな」


 予期せぬ恩赦によって生かされたヘムロックは、衛兵が来るまでに考えを整理させる為、死体の隣で眠るかのように瞳を閉じた。

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