第28話 カウントダウン

「……っ」


 目にしている景色が後方へ吹っ飛んでいく。 車でも体感したことのない速度で突進していくニア・ヴァルムガルドのコックピットで、ケビンはアクセルを踏み込むというより、そうすることによって踏ん張ることしか出来ないでいた。

 補助をするという|機械音声の言うことは虚言ではなく、ケビンはは今、成すがままに狭い操縦席の中で振り回されながらも、意識だけは保つように歯を食いしばっている。


「左に、旋回して、突撃槍を……回収しますっ」


 それはリュネットへの報告というより、これからケビン自身がどうしたいかを伝えるための指示でもある。


「ふっ……ぐっ!」


 操縦桿を左に倒す。 本当ならば減速操作や機体の加重を考慮した姿勢制御、変速機の複雑な切り替えが必要なはずだが、それを全て補助し、熟練の機士に勝るとも劣らない機動を可能にしてくれているのはよく理解していないまま作用している存在・・のおかげなのだ。


「……っぎ、がっ」


 霞みゆく視界の中、ケビンが左の窓ガラス・・・・へと顔ごと視線を向けると、 フィールドの反対側で既に最後の旋回動作を終えたディノニクスが突撃槍を構え、一直線に、突き出すためのエネルギーを蓄える最終加速に入っているのが確認できた。 それを注意深く見ようとした時、ディノニクスが更に拡大して表示された。


「……速度が、上がってる?」


 リュネットは、ディノニクスの速度が大きく低下したと言っていた。 しかし目の前の三本脚トライポッドは、その尻尾三本目を補助輪などではなく、立派な主脚として見事に使いこなし、俄然ヤル気満々の肉食性を前面に押し出した脚力で、その速力に陰りなど見せずに疾走している。

 それは、まさにヘムロック自身が成長しているというのが正しい表現だった。 この短期間で、急速に自力を上昇させるその才は、こんな形でなければより注目を浴びる機士として名が知れ渡ることだっただろう。

 唯一つ、その挙動に違和感を見出すとすれば、ディノニクスはニア・ヴァルムガルドの突撃槍を左脚部に受けた時の影響のせいか、わずかに左側に、機体の姿勢と進路が流れているように見えることだ。 

 そして、ディノニクスが遮るものの一切ないその直線状で、最高速度に達した瞬間――。


「左に旋回。 ……最終加速!!」


 ニア・ヴァルムガルドは旋回を完了し、最後の突撃に向けて、ケビンは速度を上げさせる。


 ――【脚部エネルギー、開放デプロイメント


 機械音声で宣告、もとい警告を受けた瞬間、体がシートに強引に押し付けられる程の急加速を経て、機体の速度は瞬く間にトップギア――それ以上へと達し、速度計は余裕で振り切れていた。


「なんだ、あれは……?」


 相対するヘムロックには初め、それが何なのか理解できなかった。

 大声でインカム越しにデュエルエンジニアから何か言われている気がしたが、それどころではなかった。 何か、おかしなものが突然コロシアムに現れ、どういうわけか自分の方に向かってきている。

 その速度と迫力は、自分に死を錯覚させた。

 ヘムロックは迫り来る理解の範疇を超えた異質な巨体に対して、しかし冷静に頭を働かせ、対応策を搾り出す。

 迫り来るのは、ナニカではない。 そのナニカは決闘を行っていた相手であり、自分は現在優位に立っているはずの立場にいる。 実力もポイントもこちらが上で、これが最後の突撃なのだ。 これが終われば、全て終わる。 終わらせることが出来る。 ならば、わざわざこちらが脅える必要など、一分たりとてありえないと。


「……来い」


 猛然と突撃してくる巨大な怪物に対して、もはやタイミングを図るどうこうではない。 すでにそれがばかばかしいくらい不可能だということは、すぐに理解できた。 そういう速度で、質量で、破壊力だった。

 ならばこの場合、突撃槍を突き出すのではなく、番えておくことが最良だと、どのような機士でも結論付けるだろう。

 ヘムロックはディサイドレバーを引かずに前方へとスライドさせ、腕と槍を伸ばしきった体制のままディノニクスを疾走させる。

 補助脚の扱いも、左脚部が損傷したことで返って操作に注力する配分が明確になり、速度を安定させることに苦慮することは無くなった。


「終わらせるぞ、ケビン・オーティア!!」


「ヘムロック……っ」


 ケビン自身、既に体に掛かる負荷は限界寸前であり、完全に麻痺していた。 もう左腕の感覚は殆どなく、寒気や吐き気より、ただ息が苦しいというのが一番の懸念される状況だった。


 ――【相対速度から、所持している武装の使用タイミングを算出。 モニターに表示します】


 だがそれも終わる。 目の前の窓ガラスにサークルが表示され、それが徐々に小さくなっていく。 それが中央に集約された瞬間に突撃槍を突き出せということなのだと、働かない頭でも理解できた。 素人にも分かりやすい、まさしく補助だ。


「ディサイドレバー、セット……っ」


 力の入らなくなってきた右腕でレバーを握り、右半身を全て使って後方に引き込む。


「……何!?」


 突如、ディノニクスの体勢が崩れ、進路上から大きく右側に流される。 見れば、ダメージのある左脚部ではなく、右脚部から黒煙が立ち上っている。 だが、ディノニクスはそこから体勢を持ち直し、速力の低下を最小限に抑えて突進してくる。

 その巧みな技量に、ケビンは憎むべき相手でいながら素直に驚き、感嘆する。

 だがこれで、本来互いを左側に据えて突きあうという原則が、右側からの攻防へとシフトした。

 本来なら減点対象の行為ではあるが、今の状況で小なりの減点などヘムロックには何の影響も問題もない。


 ――【攻撃タイミングを再計算中】


 問題があるのはケビンの方。


「……っ」


 事ここに至って、視界が利かなくなり始めているのだ。

 このままでは相手をとらえることも、射突タイミングを図ることも出来ない。


「もう時間がないっ、時間が――」


 そこで、一瞬にして閃く。


「射突タイミングを時間表記に変更できるか――?」


 即座に指示を出す。


 ――【UIをタイマーに変更 00:07:31】


 サークル表記からカウントダウン表記への移行を確認した瞬間、視界が完全に暗転した。 だがその直前に見えたタイマーを自身の脳内で動かし続ける。

 毎日、絶え間なく時計を作り続けてきたケビンにとってそれは造作もないこと。 例え目視できなくとも、決意する為の時間がまぶたの裏に見えている。 それに――。


《射突位置、水平から俯角十五度!!》と、耳に何重にもフィルターがかかったような状況でも、背中を押してくれるリュネットの声が、確かに届いた。


「射突位置……俯角、十五度……」


 ――【了解】


 本来であれば戦闘技術が皆無のケビンが、そのような細やかな指示を実行できるはずが無いことは、リュネットでなくとも分かっているはずだった。 だから、その指示の意味するところをケビンが考えることはなかった。

 きっと、リュネットなりに何かを考えたか、現状を鑑みて察したのだろうと判断したのだ。

 ならば、ケビンに迷う必要も、問い返す必要も無い。 少なくとも、勝つ為に出された最良の指示のはずなのだ。

 だから、本当はもっと勝利へのアドバイスを聞きたかった。 しかし、ここに来てとうとうケビンの耳も、オシャカになった。

 それでケビンは、本当に外界から放り出された。


「……」


 一秒後に、迫り来る恐怖に怯えた。

 二秒後に、敗北が頭をよぎった。

 三秒後に、全身が凍りついた。

 四秒後に、自分が記憶を失ってから今までの記憶が土石流のように溢れ出し、頭をかき回した。


 ――だがそれでも、五秒後には依然変わらず動き続けてくれていた自分の中の時計が一部の隙も、些かの問題もなく動き続けてくれていることに、安堵した。


「――――っ!!」


 ケビンは、視えない目を見開き、声にならない声をあげ、ディサイドレバーを前方に叩き付けた。

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