第27話 ガスタービンエンジン

「リュネット、ケビンは無事か!?」


 ヘッドセットに意識が向いていたリュネットは、声のほうへチラリと目線を向けた後、お手本のような二度見をした。


「ベルキスカ嬢? 何故ここに!?」


 コロシアム北側、まさにケビン達がぶつかりあった真上の来賓席にいるはずであるドレス姿のベルキスカが、遠く離れた東門の真上に設営された指揮所に突然現れたことに。その場にいた全員が目を見開いていた。


「そんな事はいい、現状を聞かせろ」


 だが、彼女の有無を言わさない剣幕と迫力がクルー達全員を我に帰らせた。


「……ケビンのフィジカルコンディションは現在低下しています。 ですが、次のラウンドを闘うには問題ありません。 現在、機体の再起動中です」


「そうか。 リュネット、今のケビンに勝ち筋は?」


「……ケビンはディノニクスの右脚部に損傷を与え、相手の機動力は御覧の様に大きく低下しました。 それを踏まえたうえで、現在の勝算は、三割程度。 これは、試合が開始してから最も高い数字です」


「三割……」


 本来、もっともリーゼギアの中で頑強に作られている脚部に損傷を与えていたことは、幸運と言っていい。 外壁に沿って滑走するディノニクスの速度は、全盛の動きからは見る影もなく、土木重機ほどの速さしか出ていない。

 そうさせるだけの衝撃が、あの瞬間に起こったのだ。


「正規の訓練を積み、ギルバートとの一戦を経て、ヘムロックは機士として並みの新人以上に技術とメンタルを成長させています。 それを相手取って、搭乗経験が皆無の人間が勝とうというのは、そもそもが無茶な決闘なんです。 ですが、それを承知の上でケビンは槍を手に取った。 他の誰でもない。 バーンウッドとあなたの為に。 加えて言うなら、私の犯した責任すら肩代わりしてくれているのです」


 ベルキスカの視線から逃れるように、リュネットは壁にめり込んだ状態から少しずつ動き出したニア・ヴァルムガルドに視線を向けた。


「リュネットの責任? どういう意味だ?」


「……私はパルヴェニーでの戦いで敵の計略を見破ることが出来ず、このような事態を招いてしまった。 本職ではないとはいえ、デュエルエンジニアとしては失格です。 その責任を、今ケビンが取ってくれているといっても、決して過言ではないのです」


 自分がヘムロックの企みを全て見抜くことは出来なかったとしても――あの時、ケビンと同じように違和感を察知し、ヴァルムガルドに仕掛けられた小細工を一つでも取り除いておくことが出来たら、ギルバートは傷を負わず、ケビンもこのような闘いの場へ引き合いに出されることもなかったという自責の念が、リュネットにはあった。

 その失態の責任を、バーンウッドやグレイドハイド家の問題に混同させてケビンに負わせてしまっている。

 だからこそ、彼の為ならばどのような労力も惜しむことはない。 どのような手段を講じてでも、ここから勝利するプランを起こさなければならない。


「……まったく、リュネットもケビンも気負いすぎだ。 どうしてもう少し自分本位に生きられないんだ」


 それを聞いて、私は軽く噴出してしまった。


「あなたがそれを言うのですか?」


 まったく、グレイドハイドの人間は客観的に自分達のことを見ることが出来ないのだろうか。 誰よりも他が為、家族の為を優先し、慮り、行動する彼等が、自分本位と言う言葉を口にすることが、リュネットにはおかしかった。

 決して馬鹿にしたわけではない。 彼女達がそのことに対して当たり前の常識のように対していることを、誇らしく思ったのだ。


「ん? どういう意味だ」


「私はともかく、ケビンはもう、バーンウッドの人間だということです」


 ――その時、ニア・ヴァルムガルドに異変が起きた。

 機体の搭載されているディーゼルエンジンの駆動音とは明らかに違う怪音を響かせながら再起動をはかっていたのだ。 


「この音は、まさか……」


 遠目にニア・ヴァルムガルドの様子を見ていたクルーは、今までと様子が違う事態に困惑の声を上げていた。

 しかし、その中でもリュネットだけはヘッドセットを首元に下げ、ニア・ヴァルムガルドから鳴り響くその音を聞くため耳に注力していた。


「リュネット、お前にはあれに何が起こっているか解るのか?」


「……ベルキスカ嬢、私も王都で一度しかこの音を聞いたことがないので、確実とはいえません。 それに覚えがあるのは、何かに積まれる前の起動試験での話です」


「ならこれは、エンジンの音なのか?」

 

 ベルカの問いにリュネットは逡巡した後に、頷く。


「……おそらく、これはガスタービンエンジン。 他のエンジンとは一線を画す高い出力性能、瞬発力に優れた加速性能、そして利用燃料の許容範囲の広さと、ディーゼルエンジンと比べ、遥かに優れた性能を有した幻のエンジンです」


「ガス、タービン……」


「十数年前、見たこともない珍しい発動機がシップから搬出され、王都が研究チームを立ち上げて、色々調べていたんです。 私が知る限りでは、ガスタービンエンジンは冷却機を必要とせず、サイズも出力に比べ小型という夢のようなエンジンでした。 ただ……」


「ただ、何だ?」 


「そのエンジンにも欠点がありました。 運用するには、あまりにも燃費が悪いという点です。 如何に燃料の種類を選ばないとはいっても、ディーゼルエンジンとは違いアイドリング状態でさえ常に大量の燃料を消費し続けてしまう。 故に、常時使用する場合は補給手段を別途に用意するか、燃料タンク自体を増設する必要があるんです。 初めは夢のようなエンジンと思われたガスタービンエンジンでしたが、思わぬトレードオフを強いられると分かり、みな落胆しました。 ですが、それでも改良点さえ見つけられればとさらに研究を進めようとした矢先、事故によってその貴重なエンジンは、研究施設ごと大破してしまいました」


「……それが、どういうわけかあの機体に積まれていて、動き出したっていうのか」


「はい。 しかし……」


 リュネットはグレイドハイド家のガレージで機体を整備しているときに聞いたコンポジットの意味を、この時初めて理解した。 ディーゼルとガスタービンを組み合わせた、研究機関が目指していた両立型のエンジンが、今目の前で動いているということを。

 だが、本来であれば喜ばしいその誤算も、現状ではむしろ足かせでしかない。


「経験の浅いケビンに、その性能を使いこなせるはずがありません。 機体の挙動すら別物になった場合、熟練の機士ですらいきなりの戦闘機動は困難です。 いえ、それ以前にニア・ヴァルムガルドに積んであるエンジンが、本当にガスタービンだった場合、あっという間に動けなくなる……」


 既に最終ラウンドまで戦いは進み、当然ながらその間も燃料は消費され続けている。 計算では、もうほとんど残っていないはずだ。

 加えて、問題は機体だけにとどまらない。 むしろ搭乗者の方が深刻だ。

 もし本当に、自分が思ったとおりの性能を有したエンジンだとすれば……。


「ベルキスカ嬢、私も実際にガスタービンエンジンの搭載された機体は見たことがありませんが、恐らくケビンの体はその生み出されたパワーからなる戦闘機動に耐えられるような状況ではありません。 いや、もしかしたら、その出力に堪えられず、機体そのものが分解する可能性だってある」


「……」


 ベルカはそれを黙って聞いていた。

 彼女にしてみても、ケビンがこれ以上危険な行為に身を置くことは良しとしないはず。 ――その、はずなのだが。

 ベルカの目からは、不安や動揺、恐れといった感情は感じ取れなかった。

 むしろ、何かを決心したかのような力強さを、その瞳の奥に宿した目だった。


《――もし、僕の目の前にどんな相手でも倒せる軍神の槍があったとしたら、たとえ柄が刃で出来ていても、僕は迷わず握ります》


 聞いていたのか、というのは無理がある。 ヘッドセットは電源を切ったのではなく、ただ首に下げただけなのだから。


「ケビン、そのエンジンは駄目です! すぐディーゼルに戻してください!」


《……それは、出来ません。 情けない話、僕に残された時間があまり残されていません》


「だったらなおさらです!! いいですか、そのエンジンは私にだって把握できていない未知のパワーを持ってるんです。 そんな暴れ馬……槍を突き出すまで、あなたも機体も無事だという保証はないんですよ!!」


《会長、優先順位を間違えないでください。 今大切なのは、僕の体の事じゃない。 一緒に闘ってくれる会長なら、分かりますよね?》


「それは、ですが……あ、ベルキスカ嬢?」


 作業台の上に置いてあった予備のヘッドセットに手を伸ばした彼女は、特別声を荒げることなく、むしろ冷静に、淡々とマイクに向けて声を発した。


「……いけるんだな、ケビン?」


《え、ベルカ? どうして……》


 専用の観覧席にいるはずのベルカの声が届いたのだから、若干戸惑っているケビンの声は、当然の反応といえる。


「そんなことはどうだっていい。 もう一度聞くぞ。 いけるんだな?」


《ああ》


 即答。 ケビンにとってそれ以外の返答は無かったのだろう。

 もはや彼の腹は決まっているのだ。 ただ、この中で覚悟が決まっていなかったのは、自分だけだったと、リュネットは気付かされた。


「……分かりました」


 だったら、これ以上こちらが口うるさく諌めるのは野暮というものだ。


「異常があったら直ぐに知らせてください。 いいですね?」


《了解》


「ではケビン、土壇場の最終ラップ、気合入れて行きましょう」


《はい》


 ケビンからの返答と同時に、ニア・ヴァルムガルドはコロシアム壁面から自身を引き剥がすようにして重い腰を上げた。


《ペイバックタイムです!!》


 そして、疾走体勢の為に腰を落とし、前傾となったニア・ヴァルムガルドは、従来の機体とは違う、高回転域から生み出される甲高い嘶きと共に走り出した。


「な……!?」


 それはリュネットの口から出た声だったのか、ベルカの口から出たのか、もしくは会場中の人間か。

 全ての目を振り切るかのごとく、ニア・ヴァルムガルド駆けた。 攻城弩から解き放たれた矢の如き瞬発力で、足元から大量の土煙を巻き上げながらいきなり高機動体勢に突入した。

 本来、初速とトルクを稼ぐ為に重量級の機体などは特に踏み出しが肝心と言われている。 そうしなければ、変速機をスムーズに噛み合わせることができず、蹄鉄にパワーを上手に伝えることができない。 それに、たとえその全てが上手くいったとしても、汎用型のリーゼ・ギアに比べたら、重量級のリーゼ・ギアは運動性、機動性は格段に落ちる。 本来であればそれが当たり前。

 そう、本来であれば――。

 どれだけ速度重視にチューンアップした軽量級であっても、最高速度はせいぜい180kmから200km。 しかし、ニア・ヴァルムガルドは確実に300キロは出ている。 槍も盾も持たず、燃料を極限まで減らした軽量級の機体であったとしても、そんな速度には達しない。 だから、重量級であんなデタラメな速度を発揮している分、迫力という点では他の追随を許さない威圧感がある。 対峙するものにとっては、もはや恐怖と言っていいだろう。


「これほどのものか……」


 凄いのはエンジンだけではない。 そのパワーを正確に伝達させる素体となった機体の変速機と減速機の精密さ、頑強さにも驚かされる。

 それ以上に信じられないのは、そんな暴れ馬を転倒させることもなく乗りこなしているケビンの手綱捌きだった。

 普通なら、真っ直ぐ走らせることすら困難なはず。 それを――。


「一体、どうなっているんだ?」


 自然とそんな言葉がリュネットの口をついて出る間にも、ニア・ヴァルムガルドは瞬く間にフィールドを切り裂くように駆け抜け、一瞬の内にコロシアムの反対側に到達し、機体を横滑りさせながらターンポイントに突入していく。


《左に、旋回して、突撃槍を……回収しますっ》と、無線にケビンの声が入る。


 リュネットはサポートの指示を出すタイミングが掴めずにいた。 というより、圧倒されていると言った方が正しいのかもしれない。


「本当に、ケビンが操縦しているのか?」


 その隣でベルカが、この場にいる全てのクルーと同様の疑問を驚きと共に抱いている。

 誰もが、今見ているものが信じられないという共通認識。

 そして、そんな者達の理解が追いつく前に、ニア・ヴァルムガルドは速度を落とさずに壁面に並んだ突撃槍を殴りつけるようにして回収した。

 その全てが一流の機士を思わせる操縦センスではある。 まさに、全盛のギルバートが顕現したといっても過言ではないその姿は、しかし、間違いなく搭乗者の体に多大な負担がかかっているはずだった。 


「その、はずですが……」


 もはや、リュネットにはそれを確信と自信を持って返答することは、出来なかった。

 既に満身創痍を伺える体で、あれほどの操縦が出来ることの意味が、本当に理解出来なかったのだ。

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