Tale33:踊らされた先で、地獄は待つ

 膝をつくシキミさんをめがけて、私は跳躍した。


 シキミさんは、瞬間的にナイフを構えようとして、その動作を途中で止める。

 正解だ、切られたぐらいでは強化した私の突進は止まらない。


 でも、シキミさんの判断は遅かった。


「ぅぐはっ……!」


 すぐに回避を選択していたら、私の攻撃を受けなかったかもしれない。

 スキルの効果で威力を増した膝蹴りが、シキミさんの鳩尾みぞおちに入った。


 観客席の下、石材のフェンスに向かって、シキミさんは弾丸のように飛んでいく。


「っ!」


 衝突の直前、くるっと空中で体勢を整える。

 そして、蛙のように足を広げたままフェンスにびたっと着地。

 上手く衝撃を逃がした。


 しかし。


 シキミさんを追って、すでに私は駆けつけている。

 フェンスごとぶち壊してやるつもりで、そこに身体を打ちつけた。

 くぐもった衝撃音が辺りに響く。

 頭上からは、観客たちの短い悲鳴も聞こえた。


『リリア様の猛攻ですっ! シキミ様、ぎりぎりのところで躱していきますっ! 観客席は安全ですので、安心してご覧くださーいっ!』


 天使ちゃんの実況のとおり、シキミさんは寸前でフェンスを蹴って逃れていた。


 粉砕したフェンスの破片が、私の身体に纏わりつく。

 それを払いながら、シキミさんが逃げた方向に視線をやった。


「なるほど……テイマーの強化スキル、自らに使用することもできるのか。それにしても、エグい速さだな」


 舞台の中央で、シキミさんは打たれた鳩尾を押さえながら立っていた。

 効いていないなんてことはない、それならば。


「すごいでしょ? 負けを認めて降参してもいいんだよ?」


「だが、制御し切れていないんじゃないか?」


 私の言葉を無視して、シキミさんは聞いてくる。


 いま問われたことは、残念ながら正しい。

 スライム強化を使用した状態でも、リリアと戦闘訓練は行っていた。

 しかし、最後まで私の意識は身体の動きに追いつくことはできなかったのだ。


「確かに、まだ動きに頭が慣れていないかな」


 私は、シキミさんに歩み寄りながら返答した。

 シキミさんは油断なく、私の挙動を観察しているようだ。


「でも、あなたも、追い切れていないでしょ?」


 地面を蹴って、一瞬でシキミさんの前まで肉薄する。

 その勢いのまま、右手のダガーを斜めに振り上げた。


「ぅっ……!」


 ダガーの切っ先がシキミさんの顔をかすめて、その風圧で頬を切り裂く。

 くそっ、惜しい。


 ダガーは当たらなかったが、腕を振った力を利用して、身体を一回転。

 さなかに、右足を投げ出すように前方に向ける。

 その後ろ回し蹴りが、シキミさんのお腹に上手く当たった。


 さっきとは反対側のフェンスに向かって、シキミさんの身体は吹っ飛んでいく。

 でも、蹴ったときの感触で、勢いを殺されたことがわかっていた。


 追撃を――そう思った瞬間、がくんと身体から力が抜ける。


「っ!」


 なにこれっ、強化スキルが切れた?

 いや、まだ二分も経っていない。

 スラリアとの同調も、まだ続いている感覚がある。

 スキルの効果は切れていないはずだった。


『あぁっ、リリア様がっ、シキミ様の罠にかかってしまいましたっ! 運営側の私がいうのもなんですが、このルールで状態異常はズルいですよぉ!』


 天使ちゃんの叫び声が、耳に届く。


 罠、状態異常……?

 かろうじて、地面に目線だけ向ける。

 すると、幾何学的な模様が、黄色く発光してから消えるのが見えた。


 舞台の中央で、私は縫い付けられたように動けない。

 こちらに、ゆっくりと歩み寄りながら、シキミさんが言う。


「パラライズ・マイン、綺麗にかかってくれて良かったよ」


 パラライズ……そうか、麻痺か。

 私の身体は、倒れ込まずに立っているのがやっとという状態で。

 脊髄にムカデが蠢いているかのように、背中がビリビリ痺れていた。


「君は、俺のジョブをシーフだと言っていたな」


 この試合の開始前、天使ちゃんに意気込みを聞かれたときの自分の台詞を思い出す。


「ぁえれ、ろおしれ……」


 くそっ、舌まで麻痺していて、まぬけな声しか出てこない。

 シキミさんは愉しそうに笑い、ナイフの腹で私の頬をぺちぺちと叩く。

 乙女の顔をぞんざいに扱いやがって、地獄に落ちるぞ。


「あははっ、なにを言っているのかわからないな。残念、いまの俺のジョブはアサシン」

 

 私の耳もとで、シキミさんは囁くように告げた。

 近づくな、この変態が。


「つい先日、シーフのジョブがグレードアップしたんだが、もしかして知らなかったか?」


 ゆっくりと嘲笑うように私から離れて、ナイフを掲げるシキミさん。


「特に、状態異常生成のスキルが強力だ――ヴェノム・ナイフ」


 その言葉で、シキミさんが握っているナイフに、暗い紫色の模様がびっしりと浮かぶ。

 見るからに、毒々しい見た目だ。


「確かに、シーフのままだったら負けていたのは俺かもしれないな。だが――」


 毒に染まるナイフを、私の胸に突き刺して言う。

 痛みは、ない。

 ただ、それがなくとも、なにかが身体の中を犯しているような、嫌な感覚が胸からじわりと広がっていく。


「毒を受けても、表情ひとつ変えないとは……せっかくのアサシンのスキルが、宝の持ち腐れになってしまうな」


 シキミさんの顔から、私への興味が失われていくのが目に見えてわかった。

 うん、そのこと自体は嬉しいんだけどね。


 でも。


「もう、君に用はない」


 私の胸から、ゆっくりとナイフを引き抜き。

 とどめのつもりか、シキミさんは、私の喉に。

 深々と、紫に鈍く光るナイフを、深々と突き立てた。

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