第70話 暴走する力と苦渋の決断

「頑張ってくださいよ! 本気で押さえないと死にますからね!」

「ぐっ、ぐぐぐ、わ、分かっている!」


 両手を震わせながら、肉塊から出て来ようとしているマイクを、お父さんは操ろうとしている。

 その苦しそうな顔は、大男と掴み合いをして、投げ飛ばされないように踏ん張っているようだ。

 死ぬ気で頑張ってもらわないと、敵が一人から二人になるから、そのつもりでやってほしい。


「どうやら本当に人間に戻る方法を知っていたようだ。瀕死状態、魔素量……あとは従魔契約か。契約によって、アンブロシアとタナトスに使われている材料同士の衝突と暴走を抑えているのか?」


 キールの興味は完全に、俺達よりも肉塊に向いているようだ。

 一人で何やら訳の分からない事を言っているけど、今のうちにお父さんを連れて避難する。


「お前達を殺すのはまだ早そうだな。三人まとめて実験室送りにした方が役に立ちそうだ」

「チッ……」


 お父さんを王子様抱っこして、肉塊から離れようとしたけど無理そうだ。

 キールが嫌な笑みを浮かべて、肉塊から目を離して、俺達を見てきた。

 そう簡単に逃してくれないようだけど、戦闘中によそ見は禁物だ。


「やれるものならやってみろ。それと俺達よりも肉の塊を見た方がいいぜ。死にたくなかったらな」


 お父さんを抱き抱えながら、キールに分かるように視線を肉塊に向けてやった。

 肉塊をスッーと音も無く切って、苔色の鎌のようなものが現れている。

 長さ七十センチ、横幅二十センチ、厚さ二センチぐらいはありそうだ。


「それは楽しみだ。さっきの竜の潜在能力は4級程度。それと同じか、それ以下だと失敗作になる。最低でも3級以上じゃないと期待外れだ」


 せっかく警告したのに無駄だったようだ。

 キールは現れて来る化け物を、黒鉄棒と全身から青白い雷を飛び散らして、準備万端で待っている。

 3級程度なら倒す自信があるようだけど、それだと、キールの実力が2級以上だという事になる。

 お父さんが5級だから、いまいち強いのか弱いのか分からない。


「ルディ、二十メートル以上離れるな。それ以上離れると契約の鎖の効果が届かない」

「めちゃくちゃ短いですね」


 少しずつ後退りする俺に、微妙な強さのお父さんが真剣な声で警告してきた。

 苔鎌が肉塊の中に引っ込むと、次は人間のような白い手が現れた。

 手、腕、顔、肩と肉塊の中から次々現れて、マイクの全体像が分かっていく。

 裸なのを気にしなければ、間違いなく人間だ。


(良かった。右腕の前腕から苔鎌が生えているけど、それ以外は人間だ)


 肉塊から現れたマイクは、身長百七十センチ以上、濃い緑色の髪は首の後ろまで伸びている。

 濃い紫色の瞳をギラつかせて、興奮した感じで周囲を警戒している。

 知的な印象は感じられないけど、犬でも教えれば、お手ぐらいは出来るようになる。


「フゥッ、フゥッ、フゥッ!」

「マイク! 俺だ、ルディだ! 俺の事が分かるか? 敵はその黒服の男だ!」

「グゥロ? ガゥルガァッ!」

「ん? えっーと……その通りだ!」


 マイクから十五メートル程離れてから、俺達の共通の敵を大声で教えてやった。

 マイクは言葉を話せないみたいだけど、あとでゆっくりと教えれば覚えるはずだ。

 あとの事は強い二人に任せて、俺はお父さんを安全な場所に連れて行こう。


「そうだ、俺が敵だ。お手並み拝見と行こうか?」


 俺達を庇ってくれている訳じゃないのは分かっている。でも、お陰で助かった。

 キールは雷を纏った黒鉄棒の丸い先端をマイクに向けて挑発している。

 その挑発的な態度に、マイクは俺達から目を離すと、標的をキールに切り替えた。

 牙を剥き出しにして、七メートル程離れたキールを睨みつけている。


「グゥルルルル!」


 念の為にプロテス、シェル、ヘイストをマイクにかけた方が良いかもしれない。

 キールが自分から進んで戦ってくれるなら、こっちは助ける。

 でも、マイクがやられるのは絶対に駄目だ。それは困る。

 逃げる前に出来るだけ、魔法でマイクを強化をしておいた方がいい。

 最低でも3級以上、上手くいけば、1級と呼ばれる強さになるかもしれない。


「お父さん、マイクに補助魔法をかけましょう。絶対に勝ってもらわないと困ります」

「いや、いま近づくのは危険だ。やめておいた方がいい」

「……そうですね。やめておきましょう」


 馬鹿な考えだった事は戦闘を始めた二人を見れば、すぐに分かった。

 近づくだけで死んでしまう可能性があるのに行きたくない。

 お父さんの意見に素直に従って、マイクから更に三メートル程離れた。


「グゥロロロロッッ~~~‼︎」


 マイクは両腕の前腕から生やした苔鎌を、離れた場所のキールにデタラメに振り回している。

 全力で振り回される苔鎌からは、苔鎌と同じ長さの薄緑色の透明な刃が次々に飛んでいく。


「ハァッ、フゥッ! なるほど。潜在能力だけなら2級はありそうだ。残る問題は制御できないという点だけだな!」


 キールはマイクから約二十メートル程離れた場所で動き回っている。

 次々に飛んで来る風の刃を、キールは黒鉄棒で軽々弾いたり、走り回って躱していく。


 だけど、薄緑色の刃が通過した樹木は、次々に切断されて地面に倒れていく。

 一撃一撃の威力が凄すぎるし、攻撃の射程も長すぎる。

 俺達も二十メートル程離れて観戦しているけど、このままだと流れ刃に真っ二つにされそうで怖い。


「ルディ、あの攻撃は絶対に避けた方がいい。プロテスとシェルをかけていても、肉の半分は切れそうだ」

「大丈夫です。当たるつもりはまったくありません。全力で全部避けます」


 言われなくても見れば分かる。

 絶対に危険な攻撃は頭ではなく、身体と本能が勝手に理解してくれる。


「ヴオオオオッ‼︎ グゥガァッー!」

「なっ⁉︎ 嘘だろう……」


 風の刃の乱れ撃ちに効果がないと見ると、マイクは接近戦に切り替えた。

 両足に力を入れると、地面を爆破させるように踏み砕いて、キールに突撃していく。


 一歩の歩幅が七メートル前後と驚異的だ。

 二十メートル程の距離を一秒もかからずに走り切ると、右腕の苔鎌をキールの首に振り回した。

 あの速さだと、お父さんを抱えているとか関係なく逃げ切れない。


「グゥラァッ! ガアッ、ガアッ、ルゥラァッ‼︎」

「なかなか速いじゃないか。風を纏って、地上を走り飛ぶ鳥のようだ」


 その脅威的な速さを持つマイクの両手両足の連続攻撃を、キールは軽々と受け続けている。

 振り回される苔鎌の刃は黒鉄棒で受け、高速の足蹴りは躱すか、手足で受け止めている。

 普通の人間なら、樹木を切り裂き、地面を踏み砕く、マイクの攻撃を受け止め切れない。

 そんな事が出来るのは、同じ程度の強さか、それ以上の強さを持たないと出来ない。

 そして、どちらが強いのか、もう分かってしまった。

 

「……今のうちに、ここから離れた方がいいな。それに騎士団が近づいて来ているなら、避難させないといけない。巻き込まれれば何人死ぬか分からないからな」

「でも、お父さんが居ないとマイクは制御出来ないですよね?」

 

 このまま化け物二人の戦いを見ているだけならと、お父さんが騎士団と合流しようと言ってきた。

 それには賛成だけど、マイクを操るにはお父さんの力が必要だ。

 寝たきり状態のお父さんを一人で置いて行くなんて、俺には出来ない。


「もう制御する必要はない。このままだと、マイクがやられるのは時間の問題だ。俺のヘイストは既にマイクに使っていた。それでも勝てそうにない。一人の犠牲で全員が助かる道を選ぶ方が賢い選択だ。今は逃げて、安全な場所に身を隠すしかない」


 お父さんの心配をしていたけど、それは見当違いの心配だった。

 お父さんは敗北を認めて、逃げると言い出してきた。


「えっ……それって、マイクを見捨てるって事ですか?」

「あぁ、そう言ったんだ。ルディが俺を運ばなければ、三人一緒に心中する事になる。お前は俺に死んでくれと頼むつもりか?」


 両腕で抱えているお父さんの顔は冗談を言っている感じじゃない。

 本気で逃げると言っている。俺に三人で死ぬか、二人で生き残るか聞いている。


「でも、まだマイクは戦って——」

「負けるのを見届けた後に逃げられるとでも思っているのか? そんな甘い相手に見えるのか?」

「うぐっ!」


 まだマイクが負けるとは決まってない、だから、もう少しだけ状況を見ようと言おうとした。

 でも、お父さんは話し合いをするつもりはないようだ。

 強い口調で俺に現実を見て、早く逃げろと決断を迫ってくる。


「ルディ、落ち着いて考えるんだ。マイクは貴重な実験材料だ。すぐには殺されない。それにあの男の実力は間違いなく一級クラスだ。状況から判断すれば撤退する以外の選択はない。捕まれば、助けるチャンスさえも失ってしまうんだぞ。冷静になれ」

「くぅぅぅ~~!」


 戦闘中のマイクとお父さんの顔を交互に見て、どちらを選ぶか決めようとする。

 だけど、考えようとするだけで、頭の中が気持ち悪くなり、全身の血が沸騰したように熱くなる。

 こんな酷い状態で、まともな判断が出来るとは思えない。


(駄目だ、勝てない。また助けられない! マイクを見捨てないと生き残れない!)


 でも、頭の中では、マイクを見捨てれば助かるという希望が見えてしまっている。

 本当はマイクを見捨てても、確実に助かるという保証はどこにもないのにだ。

 結局は逃げた方が助かる可能性が高いかもしれないという願望なんだ。


「ルディ、頼む。大切な家族がいるんだ」

「っ……!」


 お父さんが頭を下げて頼んできた。

 それは駄目だ。そんな事を言われたら断れない。

 俺の所為でエイミーから父親を奪うなんて出来ない。


「フェリシアとエイミーの為にも我慢して逃げてくれ。頼む」

「……分かりました。逃げましょう」


 お父さんがもう一度、頭を下げて頼んできた。

 マイクを助ける事が出来なかった、最高で最低の言い訳が出来た。

 戦闘中のマイクに背中を向けると、静かに走り出した。


「ありがとう。マイクもきっとお前に逃げてほしいと思って戦っているはずだ。マイクの為にも今は奴から逃げるしかない」

「そうですね……」

 

 お父さんの冷たい感謝の言葉が、冷えてしまった心を風のように通り過ぎていく。

 マイクの本当の気持ちはマイクにしか分からない。

 そして、今、マイクが『助けくれ』と大声で叫んでも、きっと引き返さないと思う。

 今の俺の頭の中には、自分達が助かりたいという気持ちしかないのだから……。


 ♢第一章・完♢

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