第16話 犬小屋の戦いと敗れた代償
フレデリックは馬小屋から屋敷に中に入っていった。
やる事があると言っていたから、それをやるのだろう。
さっきと同じように屋敷の床下に潜り込んで追跡していく。
誰もいない自室の大部屋に戻ったフレデリックは、着ている服を綺麗な服に着替え始めた。
灰色と白色のチェック柄の長袖シャツ、肩当てベルトが付いた厚手の黒いズボンを履いていく。
そして、ベッドの上の枕から何かを取り出そうとしている。
(あれって……?)
枕の中からは、いくつもの宝石がベッドに落ちていく。
自分の物ならあんな場所に隠すだろうか? まるで盗んだみたいだ。
「フッ。退職金ならもう貰っている。馬鹿な奴だ。その退職金で自分が死ぬとも知らずにな」
フレデリックはベッドに座って、縦三センチ、横二センチ程の緑色の四角い宝石を見てニヤけている。
屋敷の主人から盗んだ宝石で怪しい奴らから薬を買ったみたいだ。
(そうだった。コイツを捕まえて、アイツらの居場所と連絡先を聞き出さないと)
薬を奪い取るのも重要だけど、一番重要なのは、人間に戻る方法を見つける事だ。
フレデリックはただ薬を買っただけで、薬の作り方さえも知らない。
人間に戻るには作った奴を捕まえないといけない。
薬を奪い取った後は、フレデリックを訊問する必要がある。
俺の訊問は世界一厳しいから、きっとすぐに喋るはずだ。
まずは口の中におしっこしてやる。
苦かったスライムの味を思い知らせてやる。
「出来れば屋敷を出る前に、ネストールのムカつく妻と娘を連れ去って、犬小屋の檻の中で痛めつけたいな。フッフフ。パーティーの混乱中に助ける振りをして連れ去ってみるか?」
屋敷を出る準備が終わって、フレデリックはやる事がないようだ。
ベッドに座って、パーティーの時間まで、一番愉快な復讐劇を想像しては、一人で笑っている。
残念ながら、その計画は失敗する、というよりも失敗させる。
あの主人の下で苦労したのは可哀想だとは思うけど、人殺しは駄目だよ。
♢
夕暮れ時になると、屋敷の周囲が途端に騒がしくなってきた。
森の中に作られた道から馬車で来る人やランプを点けた船で湖から来る人もいた。
「今日のパーティーは何のパーティーでしたっけ?」
「どこかの子供の誕生日パーティーか何かだろう?」
「工場が完成したお祝いパーティーらしいですよ」
「何だ、寄付集めか。まあ、何でもいい」
高そうなスーツや綺麗なドレスに着飾った紳士淑女が、屋敷の広い玄関から中に入っていく。
五、六歳の子供から、七十歳近くのお爺さん、お婆さんまでいる。
ザッと数えて八十人は軽く超えていると思う。まだまだ増えそうだ。
「チッ。金持ちの豚共が」
フレデリックは森の木の陰から憎々しそうに睨んでいる。
お金持ち全員に恨みがあるのだろうか?
それとも屋敷の主人と、その家族だけに恨みがあるのだろうか?
もしかすると、ここに集まっている人達は殺されても仕方ない人達なのかもしれない。
少なくとも、今日見ただけでも、この屋敷の主人はムカつく奴だった。
やり方は乱暴だけど、悪い人を懲らしめる方法がこれしかなかったのかもしれない。
事情を全部聞かないと、どちらが正しいのか分からない。
でも、止めなければ、人がたくさん死んでしまう。
そして、殺害計画を知っていて、いま止められるのは俺しかいないんだ。
(やっぱり、やめるつもりはないみたいだ……)
パーティーが始まると、フレデリックは動き始めた。
気づかれないように、後を付いて行く。
分かっていたけど、フレデリックは犬小屋の中に入っていった。
すぐに犬小屋のランプが点いた。
「ワルター、エデル、グラウ、ソフィー、リンデ、散歩の時間だぞ」
フレデリックは堅そうな棍棒で鉄檻を叩きながら、檻の鍵を外して、犬達を起こしている。
薬はまだ使ってない。このまま使わないかもしれない。でも、これ以上は危険だ。
薬をどこに隠しているのか分からないけど仕方ない。
フレデリックにはパーティーが終わるまで、檻の中で寝ていてもらおう。
「ワンワン!」
「何だ⁉︎ うわぁっ! この、や、やめろっ!」
犬小屋の中に飛び込んで、フレデリックの頭目掛けて飛び掛かった。
冷たい土の地面に押し倒して、顔面に向かって、右前足パンチ、左前足パンチを喰らわせる。
このまま気絶するまでパンチする。
「ウーッ! ヴァン!」
「あうっ……‼︎ 痛い! えっ、ちょっと痛いって‼︎」
「ヴァンヴァン!」
「ガァル! グゥルルル!」
でも、それは難しくなった。突然、お尻に激痛が走った。
唸り声を上げている大型犬に噛まれている。
しかも、檻の中から飛び出した大型犬が次々に足や背中に噛み付いてくる。
大人気みたいだけど、嫌われ者として大人気みたいだ。
「ウーッ! ウーッ!」
「ガァル! ガァグゥ!」
「痛い痛い痛い痛い‼︎ やめてよ! 味方だぞ‼︎」
誰も聞いてないし、言葉も通じていない。
五匹の大型犬に全身を噛まれて穴だらけだ。
こっちは化け犬になるのを助けようとしているのに、これがそのお礼みたいだ。
「ぐっ……やめろ! お前達、やめろ!」
フレデリックは立ち上がると、棍棒を振り回して、俺から犬達を退かしていく。
助けようとした相手に襲われて、襲った相手に助けられている。
「いてて、今日、森の中で会った犬じゃないか? 何で、こんな所にいるんだ?」
「うぅぅ、痛い……痛いよぉ……」
「ウーッ! ウーッ!」
周囲を唸り声を上げる大型犬に取り囲まれて、全身穴だらけにされて動けない。
フレデリックは不思議そうに地面に倒れている俺を見下ろしている。
多分、手当てをするつもりはまったくない。
「悪ガキめ、家から逃げ出したのか? まったく、首輪もせずに放し飼いするから逃げ出すんだ。こうなったのは、飼い主とお前の責任だ。俺を恨むんじゃないぞ」
フレデリックに右後ろ足を片手で掴まれて、ぶら下げられて運ばれていく。
「はぐっ!」
そして、檻の中に放り込まれた。
死にかけの子犬にはもっと優しくしないと駄目だ。
「まったく、俺の人生には邪魔者がつきものだな」
(うぐっ、何をしているんだ?)
身体の向きを変えて、檻の外を見た。
このまま犬を引き連れて、屋敷に向かうかと思ったけど、フレデリックは犬小屋の木壁を調べている。
何をするのかと見ていたら、木の板を外して、そこから折り畳んだ布を取り出した。
「フッ、フッフフ。悪ガキにはキツイお仕置をしないとな」
フレデリックは不気味な笑みを浮かべて近づいてくる。
地面に汚れた布が落とされた。フレデリックの左手には銀色のケースが握られている。
「これは治療薬だ。飲めば元気になるぞ」
そう言って、目の前でしゃがみ込んで、ケースの蓋をスライドさせた。
すると、ケースから二センチ程の楕円形のカプセルが飛び出した。
カプセルは左右の色が赤と白で分かれている。
飲めば元気になると言うけど、飲めば化け物に変わる薬なのは知っている。
それに俺は犬じゃなくて人間だ。動物用の薬を人間に使うのは危険だと思う。
「お前は小さいから一錠で十分だな」
「クゥ、クゥーン、クゥーン?」
頭を掴まれて無理矢理に薬を飲ませようとしている。
最後の抵抗に、つぶらな黒い瞳で見つめて、やめてとお願いしてみた。
「うぐっ……うがぁ、あああっ! いやぁ……嫌だ」
「ほら、早く薬を飲まないと元気にならないぞ」
でも、駄目だった。
無理矢理に口の中に薬を放り込まれて、檻の中に置いてあった桶の水を流し込まれた。
吐き出そうとしたけど、口を両手で押さえてられて、閉じられて、薬を飲み込まされた。
「良かったな、助かるぞ。九十パーセント以上で魔物に変わる事が出来る薬だ。フッハハハ! 飼い主にまた会えるぞ。じゃあな」
笑い声を上げながら、フレデリックは檻の扉を閉めて、鍵を閉めて去っていった。
「ウッ! ウガァ、ア、アア、ガアアアアッ!」
喉が焼ける。身体が焼ける。皮が裂けて、骨が折れる。
噛まれた痛みが吹き飛んで、それを上回る痛みに変わっていく。
(駄目だ、もう駄目だ。死ぬ、死んでしまう。終わりだ、もう終わりだ)
意識が薄れていくと痛みも薄れていく。
このまま死ぬのか、魔物になるのか。いや、もう魔物にはなっていた。
それに魔物になって助かっても、意思を持たない怪物になるだけだ。
(ああ……もう、駄目だ……凄く眠い……よ)
熱くも寒くもない。ただ暗闇に押し潰されていくようだ。
絶対に寝たら駄目なのに、寝たら二度と起きれないのに、それでも、眠くて仕方なかった。
抵抗するのをやめると、暗闇は一瞬でちっぽけな存在を消し去ってくれた。
♢
(……んっ? ……あれ? ……生きてるの?)
身体に冷んやりとした土の感触を感じる。
周囲には犬小屋と同じ獣臭がする。天国でも地獄でもない。
目覚めると暗闇は暗闇でも、ランプの明かりが消された犬小屋の檻の中にいた。
「あれ? もしかして、一度薬を使ったから抵抗力が付いたのかな?」
生きている理由も助かった理由も分からないけど、身体の痛みが消えている。
化け犬にならずに、身体の怪我だけが治ったのかと思ったけど違っていた。
「えっ? 何だ、これは? どういう事なんだ⁉︎」
起き上がろうとした瞬間、身体に凄い違和感を感じた。
慌てて身体を見回すと、短かった前足が異常に長くなっていた。
それだけじゃない。後ろ足も長くなっているし、そもそも前は足を見る事も出来なかった。
♢
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