・牡馬クラシック一走目 五木賞(G1) - たった2分の長く短い戦い -
ふたを開けてみればオニっ子は12番人気だった。
確かに前回のレースでは大差の勝利こそしたが、このレースは3歳牡馬のエースたちが一堂に集う大レースだ。元々の人気が違った。
「また万馬券を頼むぜー、バーニィ!」
「おう、任せときな!」
それでもオニっ子と一緒に本場入場をすると、穴党のバクチ打ちどもが応援の大歓声をくれた。
ちなみに一番人気はアルデバラン号とやらだ。8戦5勝のG1馬で、稼いだ賞金は既に2億を超えている。
タマキさんの話によると、産まれて間もなくして3億で買われた超良血だそうだ。
そんなスターホースの本場入場に、熱狂的な歓声が沸き起こるのは当然だった。
俺とオニっ子は3番ゲート。件のアルデバランは4番ゲート。ちょうどすぐ隣だった。
「バーニィさん、アンタ負け無しらしいな」
「おう、そりゃ2回しか走ってねぇからな?」
そのジョッキーに今さらになって声をかけられた。ソイツは30過ぎくらいの髭の濃い男で、剃ってはいたが立派な青髭が特徴的だった。
「俺は渡部。3戦3勝の金字塔は諦めた方がいいぞ」
「へぇ、なんでだ?」
「俺が勝つからだ」
「おう、言うじゃねぇか。だったら賭けようぜ、買った方がビールを奢るってのはどうだ?」
「いいぜ」
「よし決まりだ。正々堂々頼むぜ、ワタベ」
なんか面白れぇやつが出てきたもんだ。
俺はさあがんばろうぜと、オニっ子の背をポンポンと叩いた。だが……。
「あ、あんなエリートに、ボク、勝てるかな……」
「おい、あんだけ特訓したのに、この期に及んで何ヘタレてんだよ、お前……」
「だって……」
「だってじゃねーよ、血筋だけで実力が決まるわけがねーだろ。勝負はな、挫けずにがんばったやつが勝つんだよ」
「そうかな……?」
「そう決まってんだよ。いいか相棒、この俺と一緒に、ここに集ったエリートどもを負かせてやろうぜ」
手のかかるやつだわ。おっさんなりの闘志を少し分けてやると、その後ろ姿に気迫が戻ってきた。
「すげぇな、アンタ……本当に馬と喋れるのか?」
「まあな、俺は生まれつきこうだ」
「いいな、それ……。調子の悪い馬にまたがることなった時も、元気づけて絶好調ってわけか……。そんなの反則だろ?」
「わかったら油断しねぇ方がいいぜ」
「そうさせてもらうよ」
そうこうしているうちに、発走が間近にやってきたようだ。ここヤマナカ競馬場のファンファーレが高々と奏でられ、演奏が終わると騒がしい静寂が訪れた。
さあ発走だ。これに勝てばダービーだ。これに勝てばエナガファームの経営が立て直され、虎クターだって余裕で買える。
俺とオニっ子は意識を正面に集中して、ゲートが開くその瞬間を静かに待った。
いつものようにガシャンと大きな音を立ててゲートが開いた。
俺たちはさも当然のように緑のターフへと飛び出し、好スタートからのトップをかっさらう。かつてないほどに会場が大きく湧いた。
「オニっ子、これはお前の距離適正ギリギリだ、抑えていくぞ」
「うんっ、その話は何度も聞いたよ! がんばるね、ボク!」
しかし今回のレースは2000mだ。
対する現在のコイツの距離適正は2000mが上限だった。
そこで夏草賞と同様に少しずつ少しずつ順位を落として、スタミナを温存させてゆく。
すると俺たちの隣にアルデバランとワタベが付いた。
「どうやったらそんなにスタートが上手くなれるんだい?」
「20年間、戦乱の世で軍馬に乗ってりゃわかるようになるぜ」
「そりゃ……独特な冗談だな……。んじゃお先」
「後で追い抜かしてやるよ」
「待ってるぜ、バーニィ」
俺たちがスタミナを温存している中、各馬はどんどん前に続いていった。
レースのペースが速い。次々と追い抜かれて、後ろを振り返れば俺たちがビリッケツだ。
こういう展開は、後から本気を出す走り方をするやつが強い――のだが、距離適正ギリギリのオニゴロシには苦しい展開でもあった。
「覚悟しとけよ、オニっ子。流れは俺たちの有利だが、お前さんはキツい思いをすることになるぜ」
「うん……!」
オニっ子は無駄口を吐かずに、前だけを見据えていた。
あくまで俺の目標はジャパンダービーだ。このレースは入着さえすれば、ダービーの優先出走権が手に入る。
だが、ここで負けるようでは本番での勝ち目などない。俺たちは互いに折り合いを合わせて、人馬一体となってスタミナを温存した。
これはたった2分で終わってしまうレースだ。
夢中でコーナーを曲がり、少しでもスタミナのロスを減らすためにインコースを走らせると、もう第三コーナーが見えてきた。
すっかり先頭から引き離されてしまっている。きっとホッカイドーでは今ごろ、タルトが大騒ぎしているだろう。
「いけそうか、オニっ子?」
「勝てるよ、バーニィ」
「ほう、大口を叩くじゃねーか」
「だって前のやつら、飛ばしすぎてもうバテバテだもん。全員抜ける!」
「だったらやってみようぜ、オニっ子!」
馬育成スキルによるところのA+級のスピードと、S級の差し足を駆使して、俺たちは一気に駆け上がった。
バテバテの馬たちを大外から追い抜きながら、第三コーナーを回りきって、ついに直線だ。
ヤマナカの長い坂がやってきた頃には、もう9番手まで俺たちは追い上げていた。
後は8頭分、追い抜くだけってこった。
坂を駆け上がりながら次々と前を追い抜き、やがて大きく抜け出していた先頭馬の背中に追いついた。
そいつはもちろん、さっきのワタベが乗る超良血馬アルデバラン号だ。
「きやがったか……!」
「悪いな、ワタベ! ビールはお前の奢りで決まりだっ、ぶち抜け、オニっ子っ!!」
「うんっ!!」
良血と一番人気の誇りをかけて、アルデバランは併走する俺たちに食らいついてきたが、追い込み馬の瞬発力に勝てるわけがなかった。
G1の栄光の舞台にて、少し前まで3戦0勝だったヘタレのメイシュオニゴロシ号は、12番人気という評判の低さを覆し、後続を引き離してゆく。
一歩抜け出した俺たちを抜ける者などもうどこにもなく、俺たちは大歓声に見守られながらゴール板をくぐり抜けた。今日から俺の相棒は誰もが認めるG1馬だ。
大観衆がこの番狂わせと、新たなる英雄の誕生を祝福していた。
・
「バーニィィィくぅぅぅーんっっ!!」
「うっうげっ、止めてくれタマキさんっ、俺はそういう趣味はねぇっ、ぐえぇぇぇっっ?!!」
重賞以上のレースでは表彰式がある。オニっ子と一緒に式へと出ると、爺さんのひび割れた唇が迫ってきて、危うく俺は大切なものを失うところだった。
「オニゴロシ号もよくやった! 私は君たちが誇らしいぞっ、ああ、馬主をやっていて、良かった! まさか五木賞を勝てる日がこようとは……!」
「う、うわぁぁぁぁ……?! 助けて、バーニィ……ッ」
その接吻は矛先を馬の方に変えた。
悪いな、オニっ子。俺のために犠牲になってくれ……。
「社長……テレビカメラの前で、社の恥をさらすのはお止め下さい」
それは危なかった。危うく全国のお茶の間に、爺さんがおっさんに接吻する地獄絵図が展開されるところだった。
人間歳を取ると子供に戻るというのは、本当のことなのかもしれない。
それはともかく俺たちはついにやった。堂々のG1に1着勝利だ。これで莫大な賞金が手に入ることになる。
そして本番のジャパンダービーはこれより1ヶ月半後。それに勝てば――勝てばとうとうこの世界とはお別れだ……。
「バーニィ騎手、何か一言お願いします」
テレビ局のお姉さんにコメントを求められた。
「へ……? んなの考えてきてねぇぞ」
「何でもいいので」
「何でもって言われてもな……。おおそうだ、飛行機で尻触っちまった姉ちゃんよ、見てるか? ありゃ悪かったわ」
テレビのお姉さんはたちの悪い冗談だと思ったようだ。
本日2人目の恥さらしにメイド長の手のひらが俺の肩をつかみ、ミシリとした握力でオヤジを黙らせた。
下手に女性の尻を触ると、元老院クラスの重役でも首が飛ぶ。それがこのジャパンの掟と、俺は後から知ることになったのだった。
・
「ぶったまげたよ……アンタ神か天才か……?」
「ははは、悪ぃな。奢りのビール、楽しみにしてるぜ」
「そんなものグロス単位で送ってやるよ。それより、次の舞台――ジャパンダービーでは負けないぜ。このアルデバランで今度こそ負かせてやるからな」
「おう、かかってこいよ。お前さんがいると張り合いが出るってもんだ、ははは!」
こうして俺たちは五木賞に勝利した。そして――
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