第52話 周りから尊敬された
「‥ん?」
振り返ってみると、ハンナが顔を茹で蛸のようにして、湯気をあげながら倒れてしまった。
「だ、大丈夫、ハンナ!?」
「大丈夫で、ございます‥」
しゃかんだ私がハンナの身を起こそうと手を伸ばすのを、ハンナは制止した。
「‥大丈夫でございます、わたくしに触らないでくださいまし」
「え‥ええっ?」
ハンナは仮にも親友である。触るなと言われて、私は軽くショックだった。私が悲しそうな顔をしていたのだろうか、ハンナは早口で説明した。
「その、先程のユマさまが、とてもりりしくしておられたので‥体に触れるのも畏れ多くて‥」
「えっ?」
私が何気なく首を傾げると、ハンナはまた恥ずかしくなったのか、ぷいっと私から顔を背けた。
「‥‥わたくしは1人でも立てます」
「う、うん‥」
ハンナはよろめきながらも、ゆっくり立ち上がった。
「ハンナ、さっきからあんな調子なのよ。気にしなくても大丈夫だわ」
レイナがすました調子で言ってきた。
「あの、レイナさまは大丈夫でございますか‥?」
「あたし?あたしは‥大丈夫よ」
そう返事するレイナも、どこかぎこちなさそうだった。なんとなく様子がいつもと違う。
「担架は私が持つね」
私が担架から下りる以上、誰も乗っていない担架の運び手が必要だ。2人ともそれところではない様子だったから私が立候補してみたのだが。
「わえが持つ」
「あ、ありがと、クレア」
クレアは私から取った担架を肩にかけた。
「レイナとハンナの様子がおかしいけど、クレア何か知ってる?」
「ああ‥」
クレアも返答をためらっている様子だった。一体何があったのだろうか。
レイナとハンナが気を取り直して歩き出したので、私とクレアもそれについていった。森を抜けて旧レストランの建物の灯りが見えてきたところで、クレアがやっと口を開いた。
「ユマは、一時的とはいえ、生徒会長と互角に戦った」
「う、うん、それがどうしたの?」
「みんな、ユマを尊敬している」
「えっ?」
「‥‥会場に戻ってから確認すればいい」
クレアも説明を投げたのか、私から少し距離を置き始めた。私は何が何だか分からないまま、クレアについていった。
◆ ◆ ◆
午後2時30分。地球であれば空は明るい昼、一番暑い時間帯かもしれないが、月は自転に1ヶ月かかるので夜だ。気温もむろん低く、さながら晩秋か初冬そのものである。
私たちは、最後の方だったようだ。他の同級生や先輩たちはみな旧レストランに戻ってしまったようで、森の中ではレイナ、ハンナ、クレアの他は誰とも出会わなかった。みな会場に戻っているのだろう。
旧レストランの入り口に自動ドアから入って、薄暗い風除室(ふうじょしつ)からエントランスに入った。そこから階段を上って、2階の更衣室へ行った。更衣室も、誰もいなくてからんからんだった。私たちの戻ってくるのは、相当遅かったらしい。
「もう次のイベント始まっちゃったかな」
「大丈夫でございます。3時までは休憩を兼ねた歓談の時間でございますよ」
ハンナにそう言われて、私はスマートコンを見た。確かに歓迎会の次第ではそのように書いてあった。
「3時からゲーム大会みたいだね」
「はい、楽しみでございます」
ハンナはそう言いつつも、後退りして私から離れた。
「‥どうしたの、ハンナ?」
「いえ‥」
ハンナは気まずそうに、紅潮した頬を手で覆い隠して私から目をそらした。クレアが代わりに説明した。
「これから着替えるけど、ユマと一緒にいるの恥ずかしいって」
「ええ‥女同士‥あっ」
女同士なのだが、ハンナは私に恋をしている。それを私は今更ながら思い出した。
「‥でも、宝探しの前は普通にいられたでしょ?」
「うん、でもそれだけユマがかっこよかったみたい」
女がかっこいいものに憧れる気持ちは、私も女だから分かる。でもそこまで程度の大きいものなのだろうか。私は不審に思ったが、ハンナを疑うわけにも行かず「‥ありがとう」とだけ返した。ハンナはそれでさらに興奮したらしく、ぷいっと体ごと向きを変えてそのまま「ああっ!」と叫びながら壁に突進した。
白い壁にぴったりくっついているハンナを見て私は寂しく感じた。心のどこかに鋭利な刃物が突き刺さったような気持ちだった。
「‥‥着替え終わったら声かけるからね」
私はそれだけ言って、急いで着替えた。
◆ ◆ ◆
ハンナが着替え終わるのを、私は薄暗い部屋の外でレイナと一緒に待った。宝探しの前とは扱いが違うのに、私はいくばくかの不満を抱いた。だがこれも、ハンナが私に恋煩いしているからではないかと自分を納得させることにした。親友に恋煩いされてこのような扱いをされるのには寂しさを覚えるのだが、これは時間が解決するのかもしれない。しかしハンナのことだ、時間が経ってもっと悪化するようなことがあったら、アユミに相談してみよう。
しかしそれがただの恋煩いでないことに、私は会場に戻って悟った。
着替え終わったハンナ、クレア、それから立派で上品なドレスに戻ったレイナとともに階段を降りて、私は会場の光あふれる大きな扉を静かに開いた。
誰もが一瞬で私に視線を集めた。その時の私は、単にみなドアが開いたので反射的に振り向いたのだろうと思っていた。
「おい!」
いきなり怒鳴り声が入ってきた。ヤストだった。ヤストがものすごい剣幕で、つかつかと私の方へ歩み寄ってきた。
「おい、やめろ!」
宝探しの時の3人組でヤストと一緒に行動していた2人が、後ろからヤストの腕を掴んだ。
「離せ!」
「やめろっつってんだよ!女に手をあげんな!」
「うっさい!こうでもしないと俺の気持ちが収まらねえんだよ!くそ!生徒会長と互角に戦いやがって!この俺を差し置いて!」
さながら駻馬(かんば)のように、ヤストは何度も叫びわめいていた。その周りに何人かの先輩が集まって、しばらくするとヤストの声は聞こえなくなったので、私はその様子をうかがいながら奥へ進んだ。会場の真ん中あたりのテーブルに空いている椅子が2つあったので、私はその1つに座り、もう1つにハンナが座るよう促そうとする前に、近くにいた先輩が代わりに座ってしまった。
一瞬で、私の椅子の周りには大きな人だかりができた。
「ユマ、すごいね!」
「森の戦い、すごかったよ!」
「まさか生徒会長と互角に戦うなんて」
「生徒会長は無敵で他の追随を許さなかったのに、少しだけとはいえ互角になれるなんてすごいよ」
「私は生徒会長の同級生だけど、あれほど生徒会長が本気を出すのを見たことないな」
「いくら偶然でも、生徒会長のあんな顔を見たことはないね」
先輩、同級生、様々な声が私の周囲に入り乱れた。この様子だと、私とカタリナの戦いは結構多くの同級生や先輩に見られていたようだ。あれほど派手な爆発を起こした挙げ句、結構な距離を走ったのだから、戦いに気づかなかった人はいないだろう。
しかし、台無しである。
せっかく憧れのカタリナと一瞬とはいえ互角に戦えたことの余韻に浸っていたのに、台無しである。
私はあのとき頑張ったと少し興奮しながら思い返して、憧れで目標であったカタリナとの距離がくっと近くなったことを考えてニマニマするのが今後の楽しみになるかもしれないと思ったのに、それらを一気に無理矢理思い出させられる。1ヶ月分の余韻が全て洗い落とされてしまった気持ちだ。
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