第41話 森に入った
「それは‥どういうことですか?」
ハンナが声を震わせてセレナに尋ねた。
「‥うん。この企画で生徒会長自身が宝になるというのは、生徒会長のほうから言い出したんだよ。キミは間違いなく大きな力を持っている。それを開花させるって息巻いていてさ」
「まさか‥」
私は何歩かすさった。ハンナに近づきすぎたのか、背中にハンナの少し冷えた手を感じた。
「ユマさま‥大丈夫でございますか?」
「‥‥う、うん‥」
私は気が気でなかった。デートの時にもあれほど実力を見せびらかしたカタリナが、私に全力で襲いかかってくる。カタリナは私の姉であり、憧れであり、目標なのだが、いくら何でもレベルが違いすぎる。カタリナが何を考えているのか、私には全く理解できない。
「そうだ、棄権は病気と怪我以外禁止、逃走者は捕まえろと実行委員で周知されてるから。これ、生徒会長が半ば強制的に決めた今年だけのルールなんだけど、あとは分かるよね」
セレナはそう言って、手を振ってその場を後にした。
「せ、先輩‥」
アユミが呼び止めるが、セレナは無視した。すぐにアユミは私の方を向いて、手を合わせて頭を下げてきた。
「‥‥ごめんね、ユマ」
「いえ、アユミ先輩が謝ることではないです」
そう言いながらも、私の心に余裕があるわけではなかった。半日後にタイムスリップできる魔法があったら使いたかった。今は8月下旬で、夜が始まってから1週間くらいなので気温も下がって、地球の温帯で言うなら秋から冬にさしかかるところだ。私も周りも、長袖の服を着ている。にもかかわらず、私の額には汗が伝っているような感覚がした。
◆ ◆ ◆
服装については、動きやすい服を別途持ってくるようにという通知があらかじめあった。私、ハンナ、クレアのポケットにも、ペンライトによってボールに縮められたジャージが入っている。旧レストランの2階にある会議室に特設された更衣室で、私たちは着替えた。
「‥ごめんね」
ズボンを穿き終えた後、私はまだ着替えている途中のハンナに、申し訳なさそうに言った。
「‥どうされたのですか、ユマさま?」
「私のせいで、おねえさ‥生徒会長との戦いに巻き込んちゃって。どうしても嫌なら、今からでも他のチームに‥‥」
「ユマさま」
ハンナはズボンを穿き終えると、私の方へ近づいた。そして私の頬に手を伸ばすが、遠慮したのか途中で引っ込めた。私はそんな手を軽く握ってあげた。
「‥ユマさま。大丈夫でございます。わたくしは、どこまでもユマさまについて行きます」
そう言って、にっこり笑った。その笑顔を見て、私は少し落ち着いたかもしれない。呼吸も心拍も静かになるのが自分でもわかった。
「ありがとう、ハンナ。‥クレアはどうするの?」
そう言って、私はクレアの方を見た。白いブラが緑髪の色と混ざって輝いているように見えた。
「‥わえもハンナについていく」
「ありがとうございます、ラジカさま」
そうやって私たちがつかの間の休息を楽しんでいるところへ、悪魔の足音が忍び込むように近づいてきた。
「ユマ」
私は怖くて振り返られなかった。
「‥‥生徒会長」
カタリナのことは好きだ。心から大好きだ。もちろん恋愛の意味ではない。尊敬する姉としてだ。
しかしこの時は、カタリナの顔も見たくない、目も合わせたくない気持ちだった。
「ユマ、こっちを向いて」
「‥はい」
私はおそるおそる後ろを向いた。カタリナも、私たちと同じ、学園から配給されたジャージを着ている。胸のところにメグワール学園のロゴが入っている。
「ユマ、この戦いで負けた方に罰ゲームってどう?」
いきなりの提案である。それも、圧倒的に私にとって不利な条件だ。私は断ろうとしたが、矢継ぎ早にカタリナは続けた。
「負けた人は勝った人の言うことを無条件で聞いてもらうわ。わたしはユマにキスしてもらうけど、どうかしら?」
「ひ、卑怯でございます‥もしかして、最初からそれが目的で‥」
後ずさりしすぎて背中をクレアにぴったりくっつけながらも、ハンナが強めの声で抗議した。しかしカタリナは不敵な笑みを浮かべて、言った。
「何のことかしら。わたしは、ユマにも勝算はあると思うわ。むしろ、戦略魔法を使える分、ユマが圧倒的に有利なんじゃない?」
姉とは長い間の付き合いだから、素で、真面目に言っているというのはわかった。しかし冗談で言っているようにしか聞こえなかった。話の内容が非現実的すぎるのだ。
「戦略魔法って‥いにしえの昔に使われたといわれる、伝説の魔法‥」
「そうね。記録ではハールメント王国の魔王、そして伝説の聖女も扱っていたらしいわ」
「でもあれを使うには膨大な魔力が必要で、限られた人にしか伝承できないという伝説です。その王国も王族が皆殺しにされて断絶した今、伝承する人はもはやいない‥‥」
「魔力さえあれば再現可能よ」
「そんな、私はそこまで強くないし、私に伝説の聖女と同じことをやってって言うの?」
私は声を荒げた。敬語を使う余裕もなかった。周りの人も、一気にこちらに視線を集めた。
「うん」
カタリナはうなずいた。即答だった。
「‥冗談じゃない。私、お姉さんのことは好きだけど、こればかりは無理。本当に無理。私と戦うつもりなら、ごめん、私、逃げる」
私は周りに聞こえるように、大声でそう宣言した。同時に周りがざわめきだすが、カタリナはまだ薄ら笑いを浮かべていた。まるでこれも計算に入っているようだった。
「わたしも戦略魔法の資料を持っているわけでも、知識があるわけでもないわ。今日は無理だけど、ユマ。ユマにはそれだけの素質があるわ」
「やめて。来ないで。お姉さんと戦いたくない」
「今ここで罰ゲームしてくれたら、見逃してあげるけど?気を失っちゃうくらい濃厚なのをお届けするわよ?」
「えっ‥」
罰ゲームとは、すなわちキスのことである。私はカタリナに恋愛感情はないのだが、カタリナと戦うという危険を犯すくらいならいっそキスすべきだろうか。私がそう迷っていると、ハンナが私の代わりに返事した。
「だ、駄目でございます。それだけは、わたくしが‥」
「ふふ、決まりのようね。楽しみにしてるわ」
そう言って、カタリナは私が発言する前に、その場を立ち去ってしまった。
「あっ‥」
私は何か言いかけたが、その頃にはカタリナの背中はもう、遠ざかっていた。
◆ ◆ ◆
「申し訳ございません、ユマさま」
今度はハンナがぺこぺこ頭を下げてきた。本当に迷惑なほど頭を下げてくる。
私たちは旧レストランを出て、午前11時にさしかかったにかかわらず真っ暗な空の中を街灯に照らされた森の前の広場に集まっている。私たちを取り囲むように、先輩たちが監視の目を光らせている。
「ハンナ、気にしなくていいんだよ」
私はハンナの背中をさすってあげた。ハンナは少し泣いているようで、小さな噎び声を押し殺しているのが分かる。
「では、これより3人ずつ森の中に入れ」
マイクを持ったオードリーの声が聞こえる。
「おーほっほっほ、一番乗りはこのマチルダがいただきましたわ!」
「マチルダうるさいよ、森に隠れている先輩に見つかるよ」
こんな会話が聞こえてくる。私の同級生のマチルダは確か寮ではクレアと同じ部屋で、高飛車で少しナルシストが入っていた気もする。お嬢様キャラだ。宇宙酔いで体調を崩したと人づてに聞いたが、どうやら治ったらしい。
次々と3人組が森の中に消えていって、次は私たちの番になった。
「ハンナ、落ち着いた?」
「‥はい、大丈夫でございます。ユマさまは?」
「私?大丈夫じゃないけど‥きっとなんとかなると思う」
全く根拠はなかったのだが、私はハンナを安心させるためにそう言い切った。
カタリナと鉢合わせしないよう、隠れながらやり過ごそう。私はあらかじめ2人にこの作戦を伝えた。
とはいえ高い技力を持ったカタリナに見つからない保障はない。その時は、とにかく逃げる。それしかない。
そう心に決めて、私たちは森の中に入った。
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