第37話 ハンナの復活

古来より私たち地球人は宇宙に進出し、様々な星を植民化してきた。途中で宇宙人と出逢えば友好的に接してきたし、多少のいざこさはあったものの、あくまで平和的に活動していたはずだった。

しかし約500年前、俊歴1500年頃に、ある星が突然反乱を起こした。これも人間が植民化した星で、原住民となる宇宙人や生物はいなかった。地球を中心に軍隊を編成して、10年かけて反乱を制圧した。これが人類の経験した、最初の本格的な宇宙戦争だった。

その30年後、今度は複数の銀河にある様々な星が一斉に反乱を起こし、国家の樹立を宣言した。地球軍ははじめ、これを制圧するつもりでいたが、戦局が20年、30年と長期化し、そのあと両者は和平と戦争を断続的に繰り返すようになってきた。さらに他の星も次々と国家の樹立を宣言してから数百年後の今日、宇宙全体は複雑な勢力分布に満ちあふれている。

私たち地球で生まれた人たちは地球軍に属している。地球の中にも多数の国家があるのだが、宇宙戦争のための国家単位として、まとめて地球軍でくくられている。地球と月を直轄するほか、数多くの星を委託統治していて、これらの星も地球軍の中に入れられる。

地球軍に最も近い敵国がケルンという国だ。戦線は地球から約60天文単位離れている。地球から冥王星までの距離が約40天文単位といわれているから、それなりに近い。私たちの通っているメグワール学園の卒業生は、真っ先にこの戦線へ送られる。生存率は聞きたくないが、相当激しい戦闘が続いているらしく、厳しいニュースもよく聞く。


「シュレティユ先輩のお母さんが死んだらしいわよ」


入浴の時、レイナが周囲をはばかるように私に囁いてきた。いつもの私なら軽く流しているところだったが、先程のアユミ、ノイカ、カタリナの会話がまだ頭を離れなかった。


「レイナ」

「何?」


そう聞き返してきたレイナは、私の今の気持ちと比べると遥かに平然で、落ち着いた様子だった。


「レイナはそういう話をして、悲しくないの?」

「悲しいよ。でもみんな慣れてる」

「その慣れてるって、どういう意味の慣れ?」

「どういうこと?」


レイナが怪訝そうに眉をひそめたので、私はゆっくり首を振った。


「何でもない」


所詮レイナにとってこれは他人事なのだろうか。それとも、私が考えすぎていて、周囲は覚悟ができているということなのだろうか。そもそもここは軍人を育成する学校だ。いちいち悲しんでいてはきりがない。

私はレイナの話の続きも聞かずに、湯船から出た。


◆ ◆ ◆


翌日、私は朝一で医務室に行った。ハンナは隅っこのベッドでくうすう寝ていた。

私は無意識のうちに、布団をまくってハンナの手の甲を見た。


「‥‥ん?」


昨日巻かれていたはずの包帯がいつの間にか消え、美しいすべすべの肌が顔を出していた。

私は少し引っかかりを覚えながらも、その手をそっと握った。

ハンナの手は、私の手より少し冷たい。

この学園に入学して初めて会ったときも、私がこれまでハンナに勉強を教えたり世話していたときも、いつも変わらずこの体温だった。地球キャンパスにいた時、2年生以降で一緒にいる時間が長かったのは間違いなくカタリナではなくハンナだ。


「ユマ‥さま?」


ハンナが目を覚まして、私に声をかけた。私はハンナの手をそっとベッドの上に置いて、ほっと息をなでおろした。


「ハンナ、大丈夫?心配してた」

「ありがとうございます‥」


ハンナは元気なさそうにそう言った。


「私のお姉さんがごめんね」

「いいえ、気にしていません」


ハンナはにっこり笑った。その儚く濁りのない笑顔に、私の口元もゆるんだ。


「お姉さんにも伝えてくるね。クッキーはまだ食べてないから、後で3人一緒に食べよう」

「‥‥はい、わかりました」


私の心のつかえが1つ取れたような気がした。私はその後もハンナといくらか話して、それから朝食のために1人で医務室を出た。ドアを閉める時、医師がハンナのベッドへ駆け寄るのを見たが、あの様子ならもう大丈夫だろう。


◆ ◆ ◆


レイナとマーガレットは、トイレの個室に入った。さすがに1人用の個室に2人は狭いのだが、個室が密接するように狭いわけでもなく、2人は少しの距離を確保して個室の端と端にもたれた。


「どうしたの、マーガレット、話って?」

「カタリナ生徒会長と距離を置いてほしいのだ」


レイナは声も出さずに顔を上げた。マーガレットは真剣な目で、レイナを見つめていた。冗談や策略で言っているのではないだろう。


「なぜ?」

「マーガレットは証拠を掴んだのだ」

「何の証拠?」


そう尋ねると、マーガレットは相手の他に誰もいない個室を何度か見回して、それから口に手を当てて小さい声で言った。


「生徒会長は、地球軍に反乱を起こそうとしているのだ」

「‥‥えっ?」


レイナの体にびりっと電流が走るような感覚がした。レイナが何かしゃべる前に、マーガレットはアームパネルの画面をつけた。手首の上に現れた再生ボタンを押すと、音声が流れた。


『あの湿疹が出る薬を作れるのは、キミの国の会社だけでしょ?下手すれば地球軍にばれて銃殺よ?ねえ、元帥サン?』


間違いなくセレナの声である。

元帥って?


「この声は、セレナ先輩?」

「合ってるのだ」


レイナが確認し終わると同時に、別の人の声が流れた。


『その呼び方は好みではないわ』


これは確かにカタリナの声だった。

元帥?カタリナが元帥?

レイナの頭が混乱している間に、カタリナとセレナの会話が音声として流れてくる。


『本当にうっかりなのよ』

『ふうん‥会長が失敗って珍しいじゃん』

『ハンナが体調を崩して、気が動転してたのよ』

『じゃあ、医師がこっち側の人間だというのも偶々(たまたま)か』


レイナは目を細めながらその会話を聞いていたが、突然目を大きく見開いた。

マーガレットは音声再生を切ると、すかさずアームパネルの別の画面を開いた。


「この日の夜、カタリナと医師が話しているところもぱっちり録音しておいたのだ。聞くのだ?」

「いらないわ」


レイナは細かく首を振った。


「あたしは興味ないわ。あたしにこのことを知らせて、マーガレットは何がやりたいの?」

「レイナには委員長という立場があるのだ。それを使って、学園中にこのことを広めてほしいのだ」

「だったらなおさら、信頼できるソースでないといけないわ。情報を広めるということは、それに対する責任を持つことよ」


そう言って、レイナは個室を出ようとした。その手首を、マーガレットは強く掴んだ。


「待つのだレイナ、証拠ならここに‥‥」

「考えてみて」


レイナはぶんとその手を振りほどき、目を丸くするマーガレットに言い放った。


「カタリナ生徒会長はこの学園でも実力があり、生徒のみならず教官からも慕われている存在よ。そのような人の悪評を流すからには、入念に準備したほうがいいわよ。これはあたしからの忠告」


そう言って、不快そうに獣耳をぴんと立たせて、つやつやの長髪をはためかせながら、その個室を出た。

閉まる個室のドアを見て、マーガレットはぎゅっと唇を噛んだ。


「‥言いたい奴には言わせておくのだ。マーガレットは、必ずしっぽを掴むのだ」

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