水無月:雨に誓えば02
「人には信仰があり、それぞれの神がいる。日本で言えば八百万の神々、仏や、イエス・キリスト……人生には時として寄り添う神というものが存在します。勿論それも真実です、が、今回はそういった細かい枠について話すときりがないので、わかりやすく会社の構図でお話しようかと思います」
「会社?」
随分と、また敷居を落として来たものだ、とカフェラテを飲みながら小首を傾げる。
「私は、社長の指示を更に仲介して受ける中間管理職のようなものだと、お考え下さい」
「あっ、なんかすごい胃が痛い立場なのでは?」
「気楽にやらせて頂いていますよ。御安心下さい」
くすくす笑いながら、斎藤は話を続けていく。
「この会社は、生きるという任務を全うした人達……まあ人ではないものもありますが、それは兎も角として。そういった魂たちに次の生きるという仕事を斡旋し、派遣するというのがこの中間管理職の役目となります。勿論これは私だけではなく、他にも沢山いらっしゃいますから」
安心してください、と彼は繰り返した。
「仕事にするとわかりやすいとは思うのでこの表現にしましたが、この『生きる』という仕事、簡単なようで難しく、少なからずミスがあったり、大きな失敗があったりします。時に途中でその現場を退くこともある」
「……あ」
頭によぎったのは、あのふたりのことだった。失敗や、ミスといった言葉で片付けていいものか、と困惑したのが伝わったのだろう。説明の便宜上、ですよ――と苦笑しながら宥められてしまった。
「その業務上で何らかのダメージがあった場合、すぐに次の現場に、というわけにはいきません。特に芥川くんは、御存じの通りの状況だった為、次に進むことすら拒否を続けたのです。彼のダメージは深刻なものでした」
だから、私が彼のところへ派遣されたのです。そう、斎藤は自らの胸を軽く指で示した。
「――斎藤先生は、確か芥川先生の主治医、だったんでしたっけ」
「主治医は別におりましたが……そうですね。彼は不眠症に悩まされていましたから、その相談を受けて薬を処方していた、という意味においてはその表現も間違っていないのかもしれません、が。あの頃もう少し自分の力が及べば、苦しむことはなかったのではないかと」
かつての親交のあった、患者と言っても過言ではない相手が未だに動けないことでいることに心を痛めた斎藤は、芥川の為にまずダメージを和らげようと考え、とある提案をすることにした。
それが。
「……魂、のバカンス……ですか?」
こくり、と、テーブルの向かい側で頷かれる。
「まず、生きることが苦行だけではないということを感じてもらう必要性がある。そう考えた私は様々なしがらみを抱えにくい環境でまずお試しで生きる、ということを勧めたわけです。魂のバカンス――人の輪廻転生、というのがわかりやすいでしょうから、以後『お試し転生』と呼ぶことにしましょうか」
おためしてんせい、と思わず口にしてしまう。
「兎に角一年、のんびりと生きてもらおう、という静養を兼ねたリハビリをすることにしたのです。ただ、それでも彼は渋ったものですから、ならば、と更に提案しました。一人で不安、というのならば、誰かを道連れにしていい、と」
「道連れ――宗一さんを?」
「そうですね、彼は他にも親しい人や心を許したであろう人がいたに関わらず、直木三十五――貴女に馴染み深い名前で言えば植村宗一を指名しました。そしてまた、彼も次の生に踏みださないひとりであった」
「宗一さんも、ですか?」
直木三十五の最後は病死でだったと記憶している。人生そのものに関しては波乱万丈でエキセントリックな部分が強かったにしろ、そこに躓く要素はあっただろうか。
「彼は、何故留まっていたかはわからないが。敢えて言うならば、次に進む必要がないと考えていたのかもしれないですね」
「進む必要が、ない?」
「まあ、それは本人に聞いてみないとわからないですが。真意は何処にあれ、芥川君が彼を選んだことは、そういう意味ではとても好都合だった。直木さんにも『お試し転生』をさせることで、効果が得られるのではないか――とね」
珈琲は、カップの中で半分ほどになり、湯気は消えていた。
斎藤は改めて、花へと視線を向ける。
「そこで、彼等が期間限定で住める環境を整える必要があった。刷り込みが馴染みやすく、また彼等も親しみやすい場所として関わりのあった鎌倉に定めました。そして、刷り込みが自然に出来る居住地点として選んだのが、佐藤花さん、貴女の御爺様のところでした」
「どうして」
「御爺様は一人暮らしをされていた。また、周囲にある程度の知り合いもいて土地に明るい方でもあった。更に言えば、一人にしっかり刷り込みをすれば、二人は自然に風景に馴染むことが出来る。お子様、お孫さんの訪問がここ数年少なかったのも選んだ理由のひとつです」
う、と言葉に詰まってしまう。確かに、正月にしか訪ねていなかった花に、否定の言葉を口にする権利はなかった。
「そこまでは、予定通りだったんです。御爺様が認知症となり、老人ホームへ入居、となるまでは」
「……あ」
あの時。
母に勧められ、一年の猶予が出来たと思えば、と引き受けた記憶が蘇る。
「貴女が、そこに代わりに住むこととなった。思わぬ変更に、彼等の居住拠点を変える案も出ました。その前に、その旨を伝えようと、研修中の彼等へ話をしたわけです」
「研修?」
思わず問い返してしまったのは、普通だろう。
「ああ、彼等の生まれは大正で、昭和初期までの知識しかありませんからね。現在の社会の仕組みや倫理観等、事前に頭に入れる必要性がありました。ですから、会社で言えば『研修』で間違いないですね」
成程、確かに。
随分とシステム的な言い方だが、確かに必要な過程ではある、と妙に納得しながら花は冷めたカフェオレを、くい、と呑み干した。
「……まあ、そこで現状をお伝えしたわけです。これから行く拠点の家主が変わったこと、刷り込みが浅くなる可能性が高くなるので拠点変更を提案すること、等々」
刷り込みが浅くなる、とは? そこで首を傾げているのに気が付いた斎藤は、説明を追加してくれる。
「あの場所に馴染むための刷り込みになる為、そもそも土地に長くいた御爺様だからこそ意味を成すものだったのです。花さん、貴女は幼い頃は良く通われていたとはいえ、御爺様に比べずっと馴染みは浅い。更に言えば、貴女だけでなく貴女に関わる人達にもその刷り込みを行うこととなる。一点集中で行えることが、広く浅く、となったことにより、暗示が解ける可能性が出てきたわけです――今回のように」
ああ、そういうことか。一人にだけしっかりと暗示にかければ、丁寧に一人に刷り込むことが出来る。何も親族でなくても、例えば恩師の孫やら、何とでもなるには違いないだろう。それを説明するのは祖父となり、花達は暗示をかけるまでもなくそれを信じることとなるだろう。多少の疑問はあるにしろ、彼等の今の馴染み方を考えればうまく溶け込むところは想像が容易かった。
しかし、暗示をを大勢に行うことは労力が伴わず自然、刷り込みは浅くなる。
「暗示は人数が増えるだけ、リスクが伴います。本来のバカンスが苦行になる可能性は、私も避けたかったのです。だから改めて拠点の変更を申し入れました。理由を添えて」
そしたら。あの二人は何と言ったと思います?
そこで、斎藤が少し、悪戯っ子のような微笑を咲かせる。
『待って。ということは、僕達が行かなかったらその子はそこで一人で暮らすことになるの? 危険じゃないか!』
『それはあかんな……変更はなしでええ』
ぽかん。
余りのことに口をあんぐり、と開けてしまった。何という人達なのか。
そういう反応になりますよね、と彼もくすくすと笑いながら、言葉を続ける。
「バレたら暮らせなくなる。大体女性一人のところに男性が二人も押し掛けて、下手を打てば自分達は言い逃れのできない状況に陥る、というにも関わらずですよ? 貴女があの家でひとりで暮らすことによる危険性を、真っ先に心配したんです」
「……馬鹿かなぁ」
「ですよね、大馬鹿です。暗示が解けるリスクよりも、あの二人は貴女がここで安全に御爺様の家を守れるように、見守ることを選んだのです。正直、これだけでもこのお試し転生の成果はかなり高いものであったと、思います」
ざあ、と大粒になった雨が、窓硝子に伝って、落ちていく。
そこで、斎藤は改めて居住まいを正した。
声は、真摯な響きを持ってそれを綴った。深々と、頭が下げられていく。
「貴女の期限も、彼等の期限も一年になります。どうか、最後まで彼等に貴女を見守らせて頂くことは出来ますまいか」
斎藤のそれに、花は苦笑いで応えるしかない。
「追い出すつもりだったら、私、あんなに図書館に通いつめたりしませんよ」
本当に。
とても優しい、馬鹿な二人を。ちゃんと、理解したい、その一心で図書館に向かう。その時点で選ぶものなど、決まり切っているのだ。
斎藤が、微苦笑でそれに返すと、テーブルにある伝票を手にする。ゆっくりと立ち上がると、席を立とうとした花をそっと制した。
「何、貴女は雨がもう少し静かになるまでここにおいでなさい」
そして、そこにそっと声が添えられる。
「次は、鰻を一緒に食べに行きましょうか。奢りますよ」
***
カラリ、と戸を開けると、おかえりなさーい、というのんびりした龍一の声が聞こえてくる。
「遅かったねぇ、勉強根詰めすぎちゃった?」
ぱたぱたと玄関に戻ってきて心配げに聞かれ、いいえ、と笑ってレインシューズを脱ぐ。
「帰ろうとしたら雨が酷くなっちゃって、途中のカフェで雨宿りしてたんです」
「そういう時は呼んだらこのひとが迎えに行ってくれるからね? 遠慮なく連絡するんだよ?」
台所の方から「俺かい!」という声が聞こえてくる。宗一にしては大きい声な気がする。まあ、来る来ない、で言えば来るんだろうな、とは思うが。
レインコートを玄関で脱いでからまず自室へ入ると、最初に鞄の中から借りてきた文庫を出してカバーを手早く掛けていく。彼等についての本だから、見られてもカバーがかかっていれば何の本までかはわかることはない。それらを引き出しに収めてから。ふう、と一息つき、先刻交わした斎藤との会話を思い返す。
勿論、彼等のことを知ってしまえば、知らない時には戻れない。
しかし、彼等と過ごした時だって、過ごしていなかった時には戻れないのだ。
「私には、大事な家族だもの」
確認するように呟くと、よし! と気合をいれてぺしん! と両頬を叩く。
そして、から、と戸を開けるとほわっとスパイスの匂いが鼻をくすぐる。同時に、酸味と旨味を同時に感じさせるトマトの匂いが合間に見え隠れしているのに和座卓を見るとそこには、赤い色のカレーの皿が並んでいた。
赤は、トマトの赤だ。鶏肉と、玉葱、じゃが芋、そして人参の代わりに赤と黄色のパプリカが入っているようだ。
「トマトチキンカレーだって。胡瓜は僕が作ったんだよ」
にこにこしながら、龍一が小皿を横に置いていく。砕けた胡瓜に練梅を絡めたものらしい。少し蜂蜜を咥えて酸味をまろやかにしているのかもしれない。ほんのりとした甘い香りが潜んでいるのはそのせいか。
麦茶を盆に乗せて持ってきた宗一が「おかえりさん」と顔を覗かせる。
その風景があんまりにも優しくて、嬉しくて。
「ただいまです!」
一年。
期限付きの家族のような、この時間は。
守ってみせる、と心に誓いながら、花はふにゃりと表情を綻ばせながら、それに返したのだった。
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