第24話 抱えていた思い
亜希の心が少しでも開きかけたら、次は花梨がなんとかする。
そう言われてはいたけど、これはなにも、あとは全部花梨に任せるってわけじゃない。むしろ、ここからが私の本当に頑張るところと言ってよかった。
『きっかけさえあれば、杏の精神を亜希って子の心の中に送ることができる。心の中なら、外から呼び掛けるよりも、もっと負の感情をどうにかできるはず。でも、実際にうまくいくかどうかは、杏しだいだから』
事前にどうするか話し合った時、花梨はそう言っていた。私の魂を亜希の心の中に送るなんて、どういうことだか全然イメージできなかったけど、それが亜希を助けるただひとつの方法なら、やるしかないと思った。
それで、実際にこうして亜希の心の中に入ってきたわけだけど、これからどうしよう。
今の私は、何もない真っ暗な場所に一人で立っていて、どこに行けばいいのか、何をすればいいのかもわからない。
だけど、すぐに変化は訪れた。今まで何もなかった広い空間に壁が出現し、辺りを覆う。そしてその中に、様々なものが溢れてきた。
机に、ベッドに、カーテン。急なことに驚くけれど、そのどれにも見覚えがあった。
これらは全部、前に遊びに行った、亜希の部屋にあったもの。と言うより、この空間そのものが、亜希の部屋になっていた。
そして机の上に、今度は突然、亜希本人の姿が現れた。
「亜希!」
名前を呼んで駆け寄るけど、亜希は全くの無反応。私の姿が見えなければ、声も聞こえてないみたい。
それに、よく見たら今よりも少し幼い。多分これは、まだ小学校に通っていた頃の亜希で、目の前で起きているのは、亜希の記憶の再現なんだろう。
亜希は机に座りながらスマホをいじり、一枚の写真を表示させる。
画面に写っているのは、結城君だ。それを眺めながら顔を赤くする亜希は、まさに恋する女の子そのものって感じだ。
「明日、杏にちゃんと話さなきゃ。私も、結城君のこと好きだって。お互い恨みっこなしの、ライバルでいようって」
(えっ……)
誰に言うわけでもなく呟いた、亜希の独り言。それを聞いて、違和感を覚える。
結城君のことが好き。確かにそれは、亜希から直接聞いていた。でもライバルでいようなんて話は、一度だって言われたことがなかった。
だいいち、前に亜希は、自分が結城君のことを好きだと私に話したのは、私と結城君との仲を邪魔したかったからだと言っていたのに。
だけど、そこで気づいた。ライバル宣言なんて、言いたくても言えなかったんだってことを。
亜希の独り言は、もう少しだけ続く。
「恨みっこなしなんて、虫のいいこと言ってるだけかもしれない。けど、杏にはちゃんと話さなきゃ」
言いながら、亜希の声は微かに震えていた。打ち明けることに緊張が、そして怖さがあるのかもしれない。
だけど結局、そのライバル宣言は、私に告げられることはなかった。
亜希が、結城君を好きなんだと話した瞬間、私がこう言ったから。
『二人ならきっとお似合いだよ。応援するね』
亜希と好きな人が一緒になるのが怖くて、私はとっさに、自分の気持ちを隠した。
そんなことを言われたら、当然亜希も、ライバル宣言なんてできるわけがない。
亜希は勇気を出して本心を教えてくれたってのに、私はそれから逃げたんだ。
それを見て、亜希はいったいどう思っただろう。
私達の仲がギクシャクし始めたのは、それからすぐのことだった。
「やっぱり、亜希をここまで追い込んだのは、私だったんだ……」
辛からそう告げられ、亜希から怒りをぶつけられても、どこかでそれが間違いじゃないかって願っていた。
だけどきっと、亜希から結城君が好きだと聞いた時、勇気を出して私もそうだと言っていたら、こんなことにはならなかった。
そして、一度心を偽ることを覚えてしまうと、すぐにそれが癖になった。だんだんと、自分の気持ちを押し止めるのが当たり前になっていって、それがますます亜希を怒らせた。
今さらながら後悔と罪悪感が押し寄せてきて、何度目かわからない涙が滲み出てくる。
だけど──
「泣いてる場合じゃない」
涙が零れ落ちる前に、それを手の甲で拭う。
こうなった原因が私にあるなら、なおさら私がなんとかしなきゃならない。
改めて決意したその時、辺りの景色が再び変わる。元々あったような、真っ暗な場所へと戻っていく。
だけど、たったひとつ違うところがある。
さっきは、私以外には何もなかったこの空間。だけど今は、目の前にもう一人の姿があった。
肩を落として俯く、亜希の姿が。
「亜希……」
小さく声をかけると、亜希は下げていた顔を僅かに上げる。
さっきまで見ていた、少し幼い亜希とは違う、今の亜希。それに今度は、ちゃんと私の声も届いてるみたいだ。
だけど、これからどうすればいい? 亜希の思いと私のしたことを知った今、何を言えばいい?
なんとかしなきゃって決めたのに、肝心なことは何もわからない。
すると今度は、私より先に亜希の方が呟いた。
「杏……ごめんね……」
それは、謝罪の言葉。それは、私がこうして亜希の心の中に来る前に言っていたものと、全く同じ言葉だった。
でも、どうして亜希が謝るの? 謝らなきゃいけないのは、私のはずなのに。
「ごめんね……ごめんね……」
戸惑う私に向かって、亜希は今にも泣き出しそうな声で、何度もごめんと繰り返していた。
「どうして亜希が謝るの? 私が結城君のこと好きだって黙ってたこと、怒ってたんじゃないの?」
そこから生まれた怒りが、負気を生み出し、亜希は辛にとりつかれてしまった。そう思ってた。
だけど怒りが原因なら、どうしてこんなにも謝ってくるんだろう。
「謝らなきゃいけないのは私の方じゃない。私、結城君を好きなこと、ずっと隠してたんだよ」
口に出して、胸がズキリと痛む。元々、隠していたことへの罪悪感はあったけど、さっきのを見た後だと、それがいっそう強くなる。
だけど亜希は、静かに首を横にふる。そして、ゆっくりと語り出す。
「違うの。確かに、杏が結城君への気持ちを隠したこと、腹が立った。だけど、だけどね。それと同じくらい、チャンスだと思った」
「えっ……?」
「杏がこのまま何も言わないでいたら、私だけが結城君そばにいられると思った。色々理由をつけて、牽制できると思った」
そこまで話した時、周りの空間に、まるで映画のスクリーンのように、色々な場面が浮かび上がってきた。
さっき見ていたような、亜希の記憶の再現だ。そしてそれらは、全部私にとっても見覚えのあるものだった。
結城君との恋を叶えるため、協力してねと私に言ってくる亜希。
私と結城君が仲良くしていると、面白くなさそうに苛立っていた亜希。
それらを繰り返していくうちに、私はしだいに、結城君との距離が開いていった。
「勝手だよね。杏が何も言わなかったこと、怒っておきながら、しっかりそれを利用してた。何度もやめようと思ったけど、やめられなかった。結城君にフラれた後も、杏にとられるのが、嫌で、隠してた。ごめん、ごめんね……」
いつの間にか、亜希は涙を流していた。
今ならわかる。亜希が心に抱えていた、負の感情。そこには確かに、私への怒りもあったんだろう。だけど、それはほんの一部。
亜希の抱えていた、最も大きな思い。それは、後悔だ。
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