第19話 それぞれにできること
亜希を犠牲にする。最初、その意味がわからなかった。花梨の口からそんな言葉が出てきたのが、信じられなかった。
「なに言ってんだよ。橘を犠牲にするって、どうするつもりなんだよ!」
結城君が怒鳴るのを聞いて、ようやく我にかえる。もちろん私だって、そんなの認めるわけにはいかない。
「そうだよ。もしかして、辛を亜希ごと攻撃しようっていうの?」
「そうだよ。私も、さっきはためらってできなかった。でも、それじゃダメなの」
一緒になって声を上げるけど、花梨はそれに冷たく返す。
「強い邪鬼は、その他の邪鬼も呼び寄せる。今、この町にたくさんの邪鬼が集まって来てるのは知ってるよね。それが、あの辛ってやつに呼び寄せられた結果なら、あいつを放っておくと、ますます増えてくる。たくさんの人が被害にあう。私は退魔師として、それを見過ごすなんてできない」
花梨の言ってることもわかる。邪鬼が町の中に溢れかえるなんて、考えただけでゾッとする。
それは、退魔師としての修行を積んできた花梨にとって、なんとしても止めなきゃいけないことなのかもしれない。けれど、それで納得できるかは別問題だ。
「で、でも、そんなことしたら亜希の心が壊れるかもしれないんでしょ」
「このまま何もしなくても、どのみち心は壊れる」
「だけど……」
花梨を止めたかった。どんな理由があっても、亜希を犠牲にするのを認めたくなかった。
そう思ったのは、私だけじゃなかった。
「そんなこと言うなよ!」
結城君の叫びが、花梨どころか私の声までまとめて飲み込んだ。
結城君、怒ってる?
苛立ちを隠そうともせず、肩をワナワナと震わせている。結城君のこんな姿、初めて見たかもしれない。
「花梨。お前にとって橘は会ったばかりの奴かもしれねーけど、俺にとってはずっと近くにいた同級生だぞ。そんなの、見過ごせるわけねーだろ!」
「それは……」
普段滅多に怒らないからか、男子故の力強さか、その姿には私にはない迫力があって、さすがの花梨も圧倒されている。
なのになぜだろう。これだけ声を荒げて、怒っているってわかるのに、同時に今の結城君は、とても悲しそうにも見えた。
「花梨。お前、退魔師になるって決めた時、俺に話してくれたよな。自分も、誰かを助けられるようになりたいって。人を犠牲にするのが、お前のなりたかったものなのかよ!」
なに、それ?
結城君が言ったのは、私にとって初めて聞くものだった。思えば、花梨がどんな思いで退魔師になるって決めたかなんて、今までちゃんと聞いたことがなかった気がする。
今は、それを詳しく聞いてる場合じゃない。だけど結城君にとって、花梨がしようとしていることは、その時思い描いていた姿とは、かけ離れているんだろう。
それを聞いて、花梨の視線が僅かにそれる。
「そんなの、小さい頃の話じゃない」
「そうかよ。けど、花梨にとっては昔の話でもな、俺は花梨がそんなこと言うの、聞きたくなかった」
苦しそうに言い放つ結城君。もちろん私だって、花梨を止めたいのは同じだ。なのになぜだろう。このまま闇雲に花梨を責めるのは、何かが違うような気がした。
「まって、結城君」
「吉野、なんで……」
私が止めたいのは、結城君の方だった。結城君はまだ何か言いたいようだったけど、渋々といった具合に言葉を飲み込む。
けれどそれから、改めて花梨を見つめて、ハッと気づく。握られている花梨のその手が、小刻みに震えていることに。
「花梨……」
「だって、しょうがないじゃない」
花梨がポツリと力なく呟くと、その顔がクシャリと歪んだ。
「たくさんの人が危ない目にあうってわかってて、何もしないなんてできないよ。それに、辛は杏のことを狙ってるんだよ。さっきはなんとかなったけど、次はちゃんと守れるかわからない。杏がとりつかれたれたら、今度は杏を攻撃しなきゃいけなくなくかもしれない。そんなの絶対嫌。絶対に、やりたくない。だから……」
最後の方は言葉が出てこなくて、を出すかわりに、ギュっと唇を噛む。いつの間にか、手の震えは全身に広がっていた。
亜希を攻撃すること。誰かを犠牲にすること。花梨だって、決してそれでいいって思っていたわけじゃない。そんなの、本当はすぐにわかることだったのに。
「ごめん。花梨の気持ち、全然考えてなかった」
「……俺も、ごめん。嫌なこと言ったよな」
私も結城君も、亜希を傷つけたくないって思いで頭がいっぱいで、考えなしに言葉をぶつけてしまった。
揃って謝ると、花梨はゴシゴシと目を擦り、溜まっていた涙を拭う。
「ううん、私もごめん。私に、もっとなんとかできる力があったら、誰も傷つけなくてすんだのに。そのために、今まで修行してきたのに」
私達とは違って、花梨にとって亜希は、出会ったばかりのよく知らない子と言ってもいい。
だけど、さっき結城君は、花梨が退魔師になるって決めた時、こう話していたと言っていた。
誰かを助けられるようになりたいって。
そんな花梨にとって、誰かを犠牲にするっていうのは、私達とはまた違う悔しさがあるのかもしれない。
けどそれでも、改めて花梨は言う。
「でもね。これしか方法がないなら、例え亜希って子にとりついたままでも、辛を倒すしかないって思ってる。迷って、何もしないで、その間にもっとたくさんの人が傷ついたりしたら嫌だから」
花梨の主張は、さっきまで言っていたのと何も変わらない。
だけど今は、もう少しだけそれを、落ち着いて受け止められるような気がした。
「本当に、それしか方法がないならね。だけど、そうじゃないでしょ。私が、亜希の心にある負の感情をどうにかできたら、辛を引き剥がすことができる」
「けど、さっきも言ったでしょ。そのやり方は成功率が低いし危険だって。杏が危ない目にあうなら、私はそんなのやりたくない」
花梨が心配してくれるのがわかる。
私だって怖いのは嫌だし、亜希の心をなんとかできるかって聞かれたら、自信なんて全然ない。
それでも、これだけは絶対に逃げちゃいけないと思った。
「亜希はね、昔、教室で一人だった私に、声をかけてくれたの。今はこんな風になっちゃったけど、それでも、亜希は私の大事な友達なの」
それは、花梨が退魔師の修行のため転校していって、しばらくした時のことだった。
花梨がいなくなって、クラス変えで結城君とも離れてしまった私は、普段教室では一人でいることが多かった。
そんな時、一緒に遊ばないかと声をかけてくれたのが亜希だった。私達が友達になったのは、それがきっかけ。引っ込み思案だった私にとって、亜希が声をかけてくれた時は、本当に嬉しかった。
それがどうして今みたいにギクシャクした関係になってしまったのか。
亜希の言う通り、私が必要以上に顔色を伺いすぎて悪かったのかもしれない。せっかくできた友達を失うのが怖くて、気の使い方を間違ってしまったのかもしれない。
考えれば考えるほど、モヤモヤした苦しい気持ちになってくる。そしてそれと同じくらい、ここで何もしないのはダメだという気持ちが湧いてくる。
「亜希がああなった原因が私にあるなら、私はそれから逃げたくない」
「杏……」
「危険なのは、直接辛と戦うことになる花梨だって同じでしょ。それに、いくら成功率が低いからって、ゼロじゃない。だったらやる。絶対に、やる」
やりたいじゃなくて、やるんだ。
このまま亜希を犠牲に辛を倒すことになったら、間違いなく後悔する。私や結城君だけでなく、花梨自身もだ。
それに何より、亜希の心にある負の感情を作った原因が私にあるのなら、何もしないなんてできない。だから、絶対にやる。
私の思いを伝えると、花梨が返事をするより先に、今度は結城君が口を開く。
「なあ。俺にも、何かできることってないか?」
「えっ? でも……」
結城君は、邪鬼のことは知っているけど、決してその姿が見えるわけじゃない。
悪いけど、正直なところできることがあるかって聞かれると、パッとは思いつかない。
だけど、ここですぐに「ない」とは言えなかった。
結城君も、決して中途半端な気持ちで言ってるんじゃないのはわかっていたから。
「俺がいたって、足手まといになるってわかってる。けど昔から、邪鬼の話を聞くたびに思ってたんだ。俺だってできることなら、二人みたいに何かしたいって」
「ちょっと待ってよ。花梨はともかく、私はこんな時でもなきゃ、何もできないよ」
今回は、亜希を助けるために頑張ろうと決めたけど、それは例外中の例外だ。
普段の私は、邪鬼の姿を見かけたら、すぐに逃げるようにしている。
少なくとも私はそう思っていたけど、結城君は違った。
「そんなことないって。前に、邪鬼がいるのを見つけた時、俺に近づくなって教えてくれただろ。それに、他の誰かが邪鬼の近くに行こうとしてた時だって、いつもそうならないように誘導していたじゃないか」
「気づいてたの?」
確かに、誰かが知らず知らずのうちに邪鬼の側に寄って行こうとするのを見たら、声をかけて足を止めさせたり、できることなら別の場所に移動させたりしていたけど、そんなにわかりやすかったかな。
自分では、不自然にならないようやってたつもりだったんだけど。
「杏、そんなことしてたんだ」
「そりゃ、そうしないと、みんながひどい目にあうかもしれなかったから」
「そのおかげで、助かった奴がいるだろ。俺を含めてな。それって、立派に何かできてるんじゃないか」
そうなのかな。自分では、逃げるなら他の人も一緒にって思ってやっただけだから、そんな風に言われると、なんだか気恥ずかしい。
「戦えなくても誰かを助けることができるなら、俺みたいに見えなくても、何か役に立てることがあるんじゃないかって思ったんだ。それに吉野じゃなくても、俺の言葉だって、少しは橘に届くかもしれない。それとも、邪魔にしかならないか?」
どうしよう。結城君に何かできるかって考えても、すぐには思い浮かばない。それに、見えない邪鬼の近くに自分から近づいていくのは、私以上に危険なことだと思う。
だけど、力になりたいって思う気持ちもわかるんだ。
花梨は、邪鬼と戦う専門家としての意見はどうなんだろう。
「邪鬼の姿も見ることのできない大成を巻き込むのは、危ないと思う」
「やっぱり、そうなるか」
明らかに落胆する結城君。だけど花梨の言葉は、それだけじゃ終わらなかった。
「だからさ、みんなで作戦を考えようよ」
「作戦?」
「そう。邪鬼にとりつかれた人を助けるって、相当難しいんだからさ、どう動けばいいか、しっかり考えてた方がいい。その中で、大成の出番がありそうなら手伝ってもらうし、無理なら諦める。それでいい?」
「ああ、もちろんだ」
状況しだいでは、出る幕なんてあるのかもわからない。それでも結城君はやる気一杯に、力強くうなずく。
それを見て私も思わず呟く。
「私も、頑張るから」
どこまでできるかわからないのは、私も一緒だ。だけど決意する結城君の姿に、なんだか背中を押されたような気がした。
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