第167話●サイン会横浜・満月堂レコード都筑大急店

 今日も普通に授業があって、ランチの時間がやってくる。


「昨日はさみあんにサインもらって、握手までしちゃった……。」

「早緑様と握手できていいなあ。」

「志満、うらやましい。」


 もちろん、志満さん、朋夏さん、明貴子さん。


「いろはさんの握手会にも期待したい。」

「そうだ、ここにもう一人いた。」

「私も朱鷺野先生のサイン会に参加したい。」

「あっ、さらに一人増えた!」

「それなら私は雨東先生のサイン会に今度こそ当選したい。」

「5人とも本当に徹底しているよね……。」

「そりゃ、これはこれ、それはそれ、だからね。」

「そうだよ!」

「別だぞ!」

「大事なことだよ!」

「違うからね!」

「……昨日の日向夏さんの配信も楽しかった。」

「うん、確かに楽しかった。」

「慧一、明貴子!?」


 逆にここまできっちり分けてくれるのは当事者としてはありがたいのかもしれないよね、と三人を見ると未亜も彩春さんも明貴子さんも朋夏さんも嬉しそうな顔はしているけど照れくさそうだ。まあ、なかなか慣れないよね。


 そんな大学の時間もあっという間に過ぎ、今日のサイン会は満月堂レコードの横浜市内にある5店舗共催で、場所はセンター北駅近くにある満月堂レコード都筑大急店さんに併設されている「Form Studio」となっている。実家の近くまで未亜の仕事の付き添いで来るなんて、となかなか感慨深い。


 これまでと同様に事務所から社用車でセンター北へ向かう。その車中で昨日話題になったことを早速聞いてみる。


「そうだ、太田さん、ちょっと確認したいんですけど、大崎ってタレントの個人事務所設立はNGですか?」

「えっ、なんで?」

「この前、早緑さんと話していたんですけど、節税を考えると二人で個人事務所作った方がいいんじゃないかなって思ったんですよね。」

「ああ、そういうことね。ほかは知らないけど、うちは問題ないわよ。むしろ、成人したら個人事務所設立を薦めようかと思っていたもの。」

「そうなんですね。」

「ランク上位にいるタレントはほとんど個人事務所持ってるんじゃないかしら。」

「契約関係は問題ないんですか?」

「どの辺が気になるの?」

「健保とかレッスンスタジオとかレッスン料とかその辺ですね。」

「ああ、その辺は全部用意してある契約のひな形に入っているわよ。」

「そうなんですね。」

「例えば、健保は個人事務所が大崎健保へ法人加入する形になる。レッスンスタジオの利用とレッスンの受講は大崎スタジオ&アカデミーと個人事務所で契約を結んでもらって、その費用負担の方はうちとマネージメント料に含むという内容の契約を結ぶ感じ。ちなみにマネージメント料は個人事業だろうと個人事務所だろうとパーセンテージに変更なしよ。」

「じゃあ、ほぼ変わらないですね。」

「うちとの契約はね。あとは給与制にするのか報酬制にするのか、とかその辺は個人事務所側での采配になるからうちとしてはノータッチだし。」

「なるほど。」

「個人事務所を作ると弁護士さんとか社労士さんとか税理士さんとかと顧問契約して契約内容を確認してもらうことになるとは思うけど、今度は自分でも読んでちゃんと理解してからサインしてね。」

「「はい……。」」


 途中、大橋のジャンクションが少し混んでいたもののあとは順調に流れて予定より30分以上早く着いてしまった。

 店舗側から指定されたという搬入車専用口から専用駐車場へ入り、従業員専用通路を通って、「Form Studio」へ到着する。普段からミニライブなどをしているだけあって、ちゃんとした楽屋が付いているのが印象的だ。


 今日のサイン会も無事に終了。満月堂レコード都筑大急店さんの公式Twinsterにあげる写真を撮りたいということで未亜が被写体になって撮影をしていたらお店の方が入ってきた。


「すみません。太田様のお知り合いという方がいらしているのですが。」

「知り合いですか?いま行きますね。」


 太田さんが外へ出て行った。しばらくして戻ってくると……。


「父さんと母さん!?」

「私もいるよ!」

「百合まで!」


 うちの家族がやってきた!


「家の近くまで来てくれるんだ。せっかくだからな。」

「未亜さんにも久しぶりにお目にかかれるかなと思ったのよ。」

「いつもお世話になっています!」

「いえいえ、こちらこそ。未亜さん、圭司はともかく、百合はご迷惑を掛けてませんか?」

「えー、お父さん、私が迷惑掛ける前提なの!?」

「そんな迷惑なんて!百合さんのこれからは本当に楽しみにしてるんですよ。」

「それならよかった。」

「みんなで食事でもする?」

「いや、いいよ。さすがにこの時間からは明日がつらいだろ?二人とも忙しいだろうから少し時間が出来た時にでも食事会でもしようか。」

「判ったよ、父さん。」


 うちの両親がやってきたのは驚いたけど、実はなんとなく予想はしていた。というのも陽介さんへ意思表示したこともあって、今度の25日に未亜へプロポーズすることをうちの両親にも伝えておくべきだと思ったので、大阪行きの前日に父さんへ電話したからだ。


『圭司、突然電話してきてどうしたんだ?』

『うん、父さんにだけ伝えておこうと思うことがあってさ。』

『なんか改まってそういわれるとドキドキするな。』

『いや、悪い話じゃない。今度の25日に未亜にちゃんとプロポーズをしようと思っている。』

『そうか。うん、それがいいと思うぞ。』

『ずいぶんあっさりだね。』

『そりゃ、心療内科の件も含めて、いま圭司のことを支えてくれているのは間違いなく未亜さんだからな。』

『うん、そうだね。』

『それに大学生といったって圭司はもう自分でしっかりと稼いでいる。親としては反対することなんか全くない。』

『そうか、ありがとう。OKもらったら改めてまた紹介しに行くよ。』

『うん、そうしてくれ。そうだ、その話は太田さんにはもう話したのか?』

『もちろん。ちゃんとOKもらっている。』

『なら問題ないな。公表する時は教えてくれ。』

『わかった。』

『未亜さんのご両親にはあとで伝えるのか?』

『正式にはそうなるけど、この前、未亜のお父さんとは話をして、実はもう内諾はもらっている。』

『もう手を打ってあるのか。まあ、西脇さんも圭司のことを救って下さった一人だもんな。』

『父さん、知ってるの?』

『そりゃ、全く関係ない伊予國屋が共同会見に入っていた上に会見に出ていた取締役が未亜さんと同じ名字で、しかも雨東氏と私個人が以前より懇意にしていて、なんていうんならきっとそうなんだろうって、な。』

『推測だったんだね。うん、でも間違っていない。』

『今度お目にかかるときにそれとなくお礼を申し上げておくよ。』


 物事を一つずつ確認して考察するこの癖は父さんに似たのかもしれないな。


『話が変わるんだが、実はちょうど圭司に連絡しようと思っていたんだ。もらった電話で申し訳ないんだが、ちょっと別の話になるんだけどいいか?』

『うん、もちろん。』

『百合のことなんだが、昨日、話をしていたらちょっと誤解があるような気がしたんだ。』

『どんなこと?』

『プライバシーのこと。父さんはあくまで高校の間に限定したつもりで話していたんだが、どうも太田さんも含めて、大学入学後に正式デビューしたあとも含めて主張したと思われている気がする。』

『それなら俺もそう思ってた。』

『やっぱりそうか。もちろん、芸名を使うのがベターだとは思うんだが、完全に隠せるようにして欲しいみたいなことは実は条件としては余り考えていない。百合が本名でのデビューを望むならそれでもいいと思っている。太田さんならきっといい塩梅にしてくれるだろうことは圭司の件でよく判っているから、そこのさじ加減はおまかせすると何かの機会があったら伝えてもらえないか?』

『わかったよ。機会を見て伝えておくよ。』

『うん、申し訳ないんだけどよろしくな。』


 そんな会話があった。太田さんにはまだ伝えられていないけど、サイン会が終わったあと、指輪を買いに行くときにでも伝えようと思っている。

 うちの家族は慌ただしく帰り、お店の方にあいさつをして、太田さんの運転する社用車で帰途につく。


「びっくりしたなあ。」

「私たち二人のことを心配してくれてありがたいよね。」

「未亜のご両親も同じだよな。」

「うん。なんか嬉しいよね。」

「本当だよなあ。」


 未亜から正式にOKをもらったら早いうちに食事会も考えて、来年の早い段階であとは両家の顔合わせもしないと。

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