第120話●太田の勧誘

 柊さんが太田さんの担当するアイドルとして一歩を踏み出すことになった。そして、太田さんは予想通り、既に柊さんの仮所属契約書類と親の承諾書面を整えていた。

 柊さんは20歳未満なので親の承諾がいるからどうするのかと思っていたら、その場で柊さんに親へ電話をしてもらって、直接話をするという手段に出ていた。柊さんの親御さんは元々彼女が歌手になりたいという思いに賛成していたうえ、誰もが知っている大崎エージェンシーからのスカウトということもあり、話はとても早く、速達で同意書を送ってすぐ返送してもらえることになった。

 これで終わりかと思っていたら……。


朱鷺野ときの先生、少しお時間よろしいですか?」

「えっ、私ですか?」

「はい、お忙しいのに今日はわざわざありがとうございました。」

「いえいえ、親友のためですし。」

「先日もドラマ化の発表がありましたし、先生はいまものすごい忙しいと思いまして、本当になんか申し訳ないな、と。」

「確かにちょっと忙しすぎですね、このところ。」

「これまで出されている書籍は、古汐社こちょうしゃ磐浪書店ばんろうしょてん藝学秋日げいがくしゅうじつ社・散仏社さんぶつしゃ海入書房新社うみいりしょぼうしんしゃ・ムーン出版・影文社えいぶんしゃ・KAKUKAWAとバラバラですよね。一社からしか依頼がない方も多いのに幅広く依頼があってすごいですよ。」


 太田さん、何で全部そらでいえるの!?


「たまたまだとは思うんですけどね。」

「他にも書籍化とか書き下ろしとか依頼とか来てそうですね。」

「そうですね。最近けっこういろいろなところから依頼が増えてきているんです。」

「それはなかなか。依頼がたくさん来ると自分でさばくのは大変じゃないですか?大学の勉強とか執筆の時間も確保しなければならないでしょうし。」


 これは太田さん、もしや……。未亜を見たら苦笑している。判るよね、この流れ。


「あー、そうなんですよ。依頼の処理だけじゃなくて、商業出版物にしてもコミカライズやアニメにしても前に関連グッズを無許諾で出せるとか変な契約を入れられたこともあって、毎回契約書をちゃんと確認しないと危険ですし……。Web小説はしばらく新作が書けなくて、商業出版物ばかりな上にその依頼も多すぎる状況で……。」

「そうでしょう。全部きちんと対応するのは大変でしょうし。」

「学生なので、学業を優先しているとどうしても確認や返信が遅れて迷惑を掛けてしまったりとか……。」


 うーん?なんかどこかで聞いたことがあるような話をしているぞ。


「雨東先生、ちょっと。」


 あっ、なんか呼ばれた。


「雨東先生が早緑と交際発表した直後とかすごかったですよね?」


 うん、これは間違いないよね。未亜もニヤニヤしている。あとの三人はきょとんとした顔をして状況を見守っている。


「ええ、すごかったですね。あのときは太田さんに助けてもらって本当にありがたかったですよ。」


 太田さん、この回答を期待してるんでしょ?


「えっ、高倉くん、そんなに来たの?」

「うん、本当にすごかった。朝出かけて大学から帰ってきたら未読が100通とか初めて見たよ。それが毎日だからね。」

「なにそれ、うちのいまの現状と同じ状態じゃない。」

「それでもうどうにもならなくなって、未亜に相談して、大崎に所属することにしたんだ。いまは楽、本当に楽。太田さんに全部おまかせするようになったおかげで執筆と大学の勉強に集中できるようになったのは間違いない。」

「いいなあ、マネージメント料払うから私にもマネージメントしてくれる人が欲しいかも……。」

「……お話に割り込んで申し訳ないですが、朱鷺野先生、よろしければ弊社でマネージメントさせていただきますよ。」


 あっ、やっぱり。


「えっ、大崎さんってWeb作家のマネージメントしていただけるんですか?さみあんと交際している雨東先生は特例ではなく?」

「弊社は総合芸能事務所なので、文化人を担当する部門があるのです。実際、作家の赤星あかぼし恵子けいこさん、漫画家の江山えやま和也かずやさん、写真家の大澤おおさわ信好のぶよしさんなどが所属されています。」

「すごい、有名な人たちじゃないですか。Web作家も含めてもらえるんですか?」

「もちろんです。むしろこれからはWeb作家の方が忙しくなっていく時代です。もしあれでしたら部門は違いますが、既に雨東先生でその辺の経験を積んでいる私が担当させていただくことも出来ます。私のいまの社内職制ですと私が多忙になっても事務を手伝ってくれるアシスタントを付けられるので、万全の体制でサポートさせていただきます。」


 お世話になっているし、フォローを入れておくかな。


「ちなみに雨東が巻き込まれた諸々は太田さんのおかげで迅速に解決したって思っている。大手芸能事務所のネットワークはやっぱりすごい。」

「あの、実は、雨東先生の話題が仲間内でよく出るんで調べたら大崎エージェンシーに所属しているって出てきて、うらやましいなあって思ってたんですよね……。まさか私がお誘いいただけるなんて……。」

「朱鷺野先生なら全く問題なく所属契約していただけますよ。しかも実績がすごいですからおそらくすぐに本所属までいけると思います。」

「ちなみにマネージメント料ってどれくらいの料率ですか?調べた感じでは報酬の6割くらいが多いけど事務所によっては9割持って行かれるってあって、正直、いまの4割に減ってもこのままだと信用問題になってゼロになりかねないので、もし大崎さんが6割設定ならまじめに検討したいんですが。さすがに9割持って行かれるとなると困っちゃうんですけど……。」


 確認事項として真っ先にマネージメント料の話が出るのは、さすが売れっ子作家だけあるなあ。ちなみに俺の契約では大崎の取り分は6割だ。契約書の法務的なレビュー費用も契約締結にあたっての印紙代もスケジュールの調整費用も顧問弁護士への委任費用も心療内科の紹介料も公式サイトの運営費用もマンション家賃の周辺相場との差額も一切取られていないのだから十二分にリーズナブルだと納得している。


「えーと、細かいパーセンテージはランクや個別契約によって変わるので一概には申し上げにくいのですが、弊社で一番多いパターンですと6割ですね。」

「それなら私としてはぜひともお願いしたいです。ちょっと親に電話で聴いてみます。すみません、少しお待ちください。」


 そういうと御園生さんは会議室を出ていった。

 あー、太田マジックがまたもや!あのときの話の流れ、なんで御園生さんも一緒に誘った方がいいっていうのかと思ってたんだよなあ……。そして、御園生さんはすぐに戻ってきた。


「あの、父が、電話を替わって欲しいと。」

「判りました……お電話変わりました。大崎エージェンシーの太田と申します。このたびは突然申し訳ございません。……あっ、はい、そうです。……いえいえ、名前だけが先行していまして。……そうです。昨年度の収益は業界一位です。……そんなそんな。……はいはい、そうですね。……それで申しますと私はアイドルをメインにマネージメントしております。……ああ、鶴本でしたら、私がスカウトしました。……ええ、そうなんです。……えっ!?いや、ご本人は作家ですからアイドルとかでは……。いやいや……。あっはい、もちろん、ご本人が希望されるのでしたら尽力しますが。……はい、それはご安心ください。……ありがとうございます。……はい……はい……ええ……それでは、本日速達でお送りします。同意書も同封させていただきますので……ああ、ありがとうございます。……はい、それでは、お電話戻します。……OKいただきました。」

「えっ、もうですか!?……お父さん、電話替わりました。

 うん、うん、はい、それは大丈夫だ。……いやそれはねえすけね。……絶対にねえ。……怒るよ。……うん、うん……じゃあ、契約してもらう。……どうも。……うん、また電話する。……じゃあね。」

「あの、太田さん、父からもよろしくとのことで。おまえもアイドルになったらいいとかいわれましたが、却下しました。」

「朱鷺野先生がアイドルになりたいということでしたら真面目にそちらでの仮所属ということで手配を頑張りますけど……。」

「いえいえ!もし素質があるとかいわれても絶対にないです!」

「そうですか、残念……。」


 太田さん、どこまで本気で考えてたんだろう……。


「私は付き添いだけで来たつもりだったのに。なんか私までありがとうございます。本当に助かります。」

「いえいえ、こちらこそ、いま飛ぶ鳥を落とす勢いの朱鷺野先生に所属いただけるのは箔が付きますから。」


 この短時間に朱鷺野澄華まで仮所属が決まってしまった。

 大学の親友連中8人のうち、6人が大崎に所属ってなんだろうね、これ。まあ、でもあとの二人はさすがにないだろうなあ……。えっ、マジでないよね?

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