第085話●早緑美愛デビュー2周年記念日

 例の事件を経て、本当の意味で二人の関係がスタートして、誕生日、そして箱根の夜と少しずつ進むことの出来た9月は暦の後ろへと過ぎ去り、今日から10月となった。


 今日は、2年前に未亜が早緑美愛としてデビューした日。24時になったとたん、Twinsterはファンのお祝いで盛り上がっている。単なるツイストだけでなく、ファンアートなどもけっこう上がっていて、「#早緑美愛デビュー記念日」のタグは大盛況だ。朝起きてみてみると「早緑美愛」がトレンドの一位になっていた。さらにはスマイル動画にも歌ってみたや踊ってみた、演奏してみたから良くできたお祝いのMAD動画まで、いろいろな動画が上がって、「早緑美愛」タグが「急上昇中のタグ」に入っている。1周年の時とは大きく様変わりをしているのは未亜の努力が花開きつつあるからなんだろうな。

 そんな大勢からの祝福に包まれた、早緑美愛デビュー2周年の個人的なお祝いとして、今朝大学へ行く前に「ニシマチ」の名刺入れを渡した。ライブツアーの最中、忙しくなって名刺を受け取る機会が増えたのにもらった名刺をどうしたらいいか判らない、といっていたのを思い出したんだよね。早速あけて中を見て、ちょうど欲しかったと大喜びしてくれたので、選んで良かった。去年の今頃は単なる一ファンとして1周年をお祝いしていたのに2周年の今年は直接プレゼントまで渡せる恋人関係になってるなんて、と感慨深い。

 ちなみに俺は自分の名刺を持っているのだけど、未亜は持っていないそうだ。アイドルは名刺のやりとりをしないというのはつきあい始めて知った新しい発見だった。


 そして、そんなお祝いの日に大崎の顧問弁護士事務所に所属する俺の担当弁護士さんから電話がかかってくる。大学へ行くときにかかってきたその電話によると例の5人は、まず違法薬物所持について、検察が起訴したそうだ。即決裁判というのになってしまうのではないかと危惧していたのだけど、所持量が多い上に常習性が高いということもあって、通常の裁判に回るようで安心した。

 俺への脅迫については拘留期間を延ばすためなのか、ついこの前逮捕されていた。示談は絶対にしないと担当弁護士さんへ伝えてあるので、そのうち起訴されるのだろう。そういえば、被害者の会による共同での刑事告訴と損害賠償の訴えも近々予定されているという報道もあったなあ。

 また、担当弁護士さんによると警察から連絡があり、甘巻さんと俺の件については、編集される前のビデオも残っていたそうで、今後、強制性交等罪での捜査も予定されていて、事情を伺うこともあるので協力して欲しいとのこと。何かまた告訴の手続きなどがいるのかと思ったら担当弁護士さんが「非親告罪だからこちらから何かをする必要はないですよ。」と教えてくれた。その件も含めてすべて大崎の顧問弁護士事務所へ委任してあるので基本的に対応はすべておまかせする。甘巻さんも大崎の顧問弁護士事務所へ委任する手続きをしたとこの前パーティで東京へ来たときにホテルで本人から聴いたので、二人分まとめてすべて顧問弁護士事務所でやってくれるのだろう。大崎という会社がここまでしてくれるのは本当にありがたいし、なんか心の奥底にある何かはこういう話を聞く度にどんどん小さくなっている実感がある。


 3限まで授業を受けた後、未亜は事務所へ向かった。今日はデビューした日ということもあって、事務所で事務手続きをしたあと、ファンクラブ向けに当日収録して21時に撮って出しするお礼動画を収録してくることになっている。去年は俺もファンクラブのサイトで見ていたけど、今年からはファンクラブのサイトでは見られない、未編集のフルバージョンを見せてもらえることになっているので楽しみ。前は遠慮もあったけど、役得だと思って素直に楽しめるようになった。これも未亜のおかげだよなあ……。

 そして、俺の方は断ってもらっていた原稿書きを今日から再開している。「セントハイディアン王国の魔物と聖女」は、このところ筆が乗ったこともあり、100話のストックへ戻すことが出来ている。未亜に相談しながら、今後はファンタジー短編とかにこだわらずエッセイなんかも含めていろいろな仕事を受けると決めて、太田さんにも伝えてあるので、早速かなり多種多様な依頼が舞い込んできている。未亜とも相談しながら受ける受けないを決めよう。


 10月に入ってしまったけど、機会を見てそれぞれの実家にも顔を出してお礼を述べなければ。特に陽介さんは最終的な一撃を入れてくれただけに礼を尽くす必要がある。電話を取り急ぎ入れたときには、別にそんなのいらないとは言われたけど、それは個人的な信義にもとる。


 原稿を進めていて、ふと気がついたらもうすぐ17時。慌てて、近くのスーパーまで買い物に出かけるために外に出ると引っ越しの作業員らしき人たちが大崎の社員らしきスーツ姿の人と一緒に1階へ向かうエレベーターへ乗り込むところだった。どうやら隣の部屋に荷物が運び込まれたようだ。いよいよ隣室にも入居者が来たのか、どんな人だろう?と思いながらエレベーターを降りる。


 野菜や冷凍食品なんかを買って地下一階でエレベーターを待っていると後ろから声を掛けられた。


「雨東さん、こんにちは。」


 振り向いて後ろを見る。


「こんにちは、儘田ままださん。」


 そういうと甘巻さんもカードキーをタッチする。エレベーターが来たので乗り込むと18階のランプしか点いていない。これはもしかして……。


「儘田さん、もしかしたら、今日……。」

「はい、所属契約が今日から正式に発効して本所属になったんで、今日こちらに越してきました。雨東さんたちのお隣です。よろしくお願いします。あとでRINEしようかと思っていたんですけどね。」

「なるほど、そうしたら隣人としてもよろしくお願いします。」

「はい、こちらこそ。あとで早緑さんには私からRINEしておきますね。」

「判りました。」


 部屋の前で別れて、1801号室に入る。たぶん太田さんがそういうふうに斡旋したんだと思うけど、甘巻さんが隣人になるとはなあ。


 部屋に入るとほぼ同じタイミングで未亜から「晩ご飯は作らないでおいて」とRINEが来た。デビュー2周年だし何かあるのかな?と思いつつ、原稿も今日はもう書く感じではないので、テレビを点けて18時のテレビニュースを見る。ニュースは主にネットでチェックしているんだけど、内容によってはテレビで映像見て解説を聴いた方が判りやすいので、時間があえば、テレビのニュースもなるべく見るようにしている。

 10月1日だからか、臨時国会が始まったり、新たな制度が始まったり、なんかいろいろと動きがある日だなあ、と思って画面を眺めていると臨時ニュースが割り込んできた。


「ここで今はいってきたニュースをお伝えいたします。出版業界大手のマツノキ出版およびマツノキ出版グループ各社がさきほど裁判所へ会社更正法の適用を申請し、事実上倒産しました。作家の引き抜きを巡る脅迫事件やオーナー社長の長男による違法薬物事件および性的暴行事件などの影響で返本と取引停止が相次ぎ、資金繰りが急速に悪化した影響によるものです。また、マツノキ出版と関係の深い学校法人松埜井学園も裁判所へ破産の申し立てを行いました。文部科学省では緊急の声明を発表し、松埜井学園へ通学している生徒については近隣の公立中高ならびに一部の私立学校にて受け入れるほか、大学生は千葉県や東京都にある各大学への特別転入学試験を斡旋するとしています。ただいま臨時ニュースをお伝えしております。出版大手のマツノキ出版が会社更正法の適用を申請して事実上倒産しました。」


 未亜のデビュー2周年というお祝いの日にこんなニュースが入らなくても、と思うとともに自分の一件が多くの人を路頭に迷わせるのかとちょっと暗くなったが、つづけてこのニュースを見ていたら出版社としての事業は継続、スポンサーとしてKAKUKAWAと伊予國屋書店、漫談社、大東京印刷が入り、役員や社名などもすべて一新した受け皿会社「天地人書籍」を設立したと報じている。働いていた人には罪はないから良かった、と思っていたら太田さんからのRINEが届いた。


{ネットで速報を見たかもしれないけど、マツノキ出版の倒産は先生が悪いわけではないからね。気にしないのは無理だと思うけど。何か思うところがあったらちゃんと連絡下さいよ。]


 太田さんのケアは本当にありがたいなあ……。とりあえず返信しておこう。


 [今のところは大丈夫です。ありがとうございます。苦しくなったらすぐ二人に頼ります。}


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 未亜は予定通り19時過ぎに帰ってきた。


 ピンポーン

「おかえり。」

「ただいまー!」


 お帰りのキスをする。俺からも躊躇なく出来るようになった、このちょっとした変化がとても嬉しいし、それが少しずつ心を軽くしてくれる。


「晩ご飯は作らないでおいてっていってたけど、何かとるの?」

「ふふーん、これを見て!」


 未亜はRINEの画面を見せてくる。

 そこには未亜と飯出いいでさんのやりとりが表示されていた。なるほど、彼女の家で早速食事会をするのね。


「そんなわけでいまから早速行くよ!」

「了解、着替えてくるよ。」

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