第059話○私しかいない

 圭司が部屋にこもったまま一晩が経った。ベッドで横にはなったものの圭司が心配で結局一睡も出来なかった。


 台所に置いた食事がそのままになっているので何も食べていないようだ。扉越しに声を掛けても全く無反応で何も話せない状態が続いている。


 一晩が経って、だいぶ覚めてきた頭で考えてみる。

 昨日の朝、出かけたときには何の問題もなかった。もし、ライブツアーで私が余計なことを聴いたことで嫌われたのであれば、もっと前から態度に出ていたはず。ということは、昨日訪問したところで何かがあったのかな?

 圭司の現状を知っているのは私だけだし、幸い今日のレッスンは夕方からだ。愛する人を救うために動けるのは私しかいない。


 まずは昨日どこへ行ったのかをゴッゴルカレンダーから確認する。圭司が昨日出かけたのはマツノキ出版だけか。担当者の名前も書いてあるけど、私が直接連絡するのは危険だよね……。


 これは相談も兼ねて、太田さんに現状を伝えて、大崎エージェンシーとして確認してもらった方が良いかもしれない。自分の部屋に入り、扉を閉めて、太田さんへ電話をする。


『もしもし、美愛、突然電話でどうしたの?』

『太田さん、落ち着いて聴いて欲しいんですが、圭司が昨日の夜から部屋に閉じこもったまま、食事もしていない状況です。』

『えっ!?先生が?何があったの?』

『それは私にも判りません。ただ、昨日の朝は何も問題がなくて、出先から帰って来るなりそのまま部屋に入ってしまったんです。』

『……出かけた先で何かあった、か。』


 さすが太田さん。これだけの話でそこに行き着くんだ。


『美愛と違って、先生のマネージメントは基本的に契約周りとライセンス周りの管理だけで、あとは先生が自分でやっているから細かいスケジュールをこちらで把握していないのよね……。だから私は先生が昨日どこへ打ち合わせに行ったか把握していないんだけど、美愛は判る?』

『はい、予定表は二人で共有しているので判ります。昨日はマツノキ出版で小林さんという方と打ち合わせをしていたみたいです。』

『判った。これはマネージメント契約をしている代理人として、私から担当者にどんな打ち合わせをしたのかそれとなく探りを入れてみるわ。あなたの今日のレッスンは調整するからいったん日延べね。美愛はそこから動かないで。とりあえず家にいて頂戴。』

『はい、判りました。』


 電話を切るとダイニングから椅子を持って玄関へ行く。ここに一人でいるのはとてもつらい。でもいまは太田さんを信じて任せるしかない。私は泣きそうになるのを押さえながらスマホの画面をじっと見つめた。


 ……あれ?スマホのバイブレーション?あっ、うっかり、うとうとしてしまっていたんだ。時計を見ると9時に太田さんへ連絡してから既に6時間くらい経っていた。バイブレーションは太田さんから電話してもいいかというRINE通知だった。いったん椅子を元に戻して自室から太田さんに電話をする。


『もしもし。』

『あっ美愛、とりあえず間接的な状況だけは判ったわ。』

『えっ、もうですか?』

『ええ。直接何があったのかまでは判らないけど、間接的な状況を聴いただけでも、もしかしたら極めてまずい状況かもしれない。いまから私がそっちへ向かう。たぶん1時間半くらいかかるけど、着いたらまたRINEする。あと、呼び鈴は鳴らさずに事務所に置いてある合鍵で入るから驚かないでね。』

『はい、判りました。』


 太田さんは17時少し前にそっと玄関を開けて入ってきた。そのまま、私の部屋まで誘導する。


「太田さん、それでどんな状況なんですか?」

「……説明をする前に早緑美愛ではなく西脇未亜としてのあなたに確認しないといけないことがある。あなたは高倉圭司という人の過去について、どんな事実を知っても彼のことを軽蔑したり見捨てたりしないって誓える?」

「えっ。」

「あなたの愛を否定するわけではないけど……。でも、そこを確認したい。」


 突然の質問に最悪の事態がよぎる。もしかして、何らかの犯罪に関わっている……。いや、例えそうだとしても私は私を支えてくれた圭司を支えるんだ。


「……はい、大丈夫です。圭司はライブツアーで私のことを支えて続けてくれました。そんな人のことを見捨てるなんて絶対にありません。例え彼が犯罪を犯していたとしても私は彼と共に生きます。」


 太田さんは私の目をじっと見つめる。


「……うん、未亜は大丈夫そうね。安心して、先生が何か犯罪を犯したわけではないから。」


 そういうと太田さんは一瞬笑顔になったけど、またすぐに真剣な表情に戻る。


「じゃあ、今日は、私が担当するアイドル早緑美愛ではなく、高倉圭司の交際相手である西脇未亜として、あなたと話をするわね。」


 太田さんはそう前置きをすると話を続ける。


「まず、マツノキ出版の担当者は新しい人に変わったそうよ。その新しい担当者は土曜日で休みだったから話はしていないんだけど、たまたま出勤していた前の担当者と話をしていたら『新しい担当者は雨東先生とは中学の頃から付き合いのあるインターン生で、しかもオーナー社長の息子だから安心していただいて大丈夫ですよ』って。」

「中学の頃からの付き合い……。」

「前の担当者の時にはこんなことは起きていなかったし、もし昔からの関係の延長で、契約関係の無理な依頼をされただけであれば、先生のことだから真っ先に私へ報告に来るはず。」

「そうですね、圭司は太田さんに全幅の信頼を置いていますから。」

「だから、私にもいえないような、そして未亜にすらいえないような事態が起きた、と考えるしかない。だとするともしかしたら先生が中学生の頃にその新しい担当者と何かあった、それがいまになって持ち出されてきたんじゃないかってね。」

「なるほど……。」

「中学の頃の話は私も聞いたことがなかったから、ご家族に聞くのが一番確実。今日は土曜日だからお父様はご自宅にいるだろうと思って、失礼を承知で先生のお父様へ現状を伝えて、アポを取って、話をしてきたの。教えてもらった新しい担当者名を告げてね。」

「どんな話を。」

「お父様から聞いた内容をそのまま伝えるけど、ショックを受けないように気を確かにね。」

「えっ……。」


 もしかして、圭司、その担当者に何かひどいことをしてしまったんだろうか……。でも、太田さんは犯罪を犯したわけではないって……。


「うん、ゆっくり話すからね。」

「……はい、判りました。」

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